財部:
具体的に何かを言われたり、指摘を受けましたか?
佐藤:
店舗のオープンはもの凄く盛り上がったんです。そこで達成感を味わってしまって。だから「俺、できたじゃないか」と思ったんです。でも、それはシチュエーションがそうさせただけであって、問題はオープン後でした。オープンの「お祭り騒ぎ」が終わったとたん、スタッフの誰々がやる気をなくしているとか、この商品の流れがうまくいっていない、といった地道な日常が始まるわけですよね。そういう中で、今でも覚えているんですが、オープン3カ月後のある日、店が終わったあとに副店長、社員たちに呼ばれて、「佐藤さんがいるから、僕たちはやる気が出ません」と・・・。
財部:
それは、大きな試練を体験しましたね。
佐藤:
ええ。衝撃的というか、ショックですね。というより、一番は恐怖感でしたよね。周り全員がそう思っているのに、自分は店に行かなければならないわけですから。「いったい、どのツラを下げて店に行くのか」と思いましたし、「店を壊してしまった」、要は「やってしまった」という後悔もそうですし――。
財部:
自分のせいで人心がバラバラになった、「あんたが悪いから、こうなったんだ」と言われたような感じですよね。
佐藤:
はい。でも、どうしていいかわかりませんし、彼らは部下といえば部下ですが大先輩です。そういうのを午前3時ぐらいまで、ずっと言われたんです。それから僕は、家に帰って布団をかぶって震えていました。翌日はオフだったんですが、1日中、家で震えているような状態でね。結局、翌々日に会社に行き、店の幹部たちに「すみませんでした。自分にはもうできません。坂本社長に、店長を外してくれというつもりです」と話しました。その時、一昨日にあれだけ自分に言ってきた幹部の1人が、「俺も最初はそうだったですけどね」と言ってくれたんですよね。
財部:
そうなんですか。
佐藤:
その感覚はリアルに覚えているんですが、自分の中の「氷」のような、カチッと固まったものがスーッと溶けていく感じ。何か、氷にお湯をかけられたようでしたね。
財部:
それは、ありがたい言葉だったでしょうね。
佐藤:
いや、本当にそうなんです。頭ではわかっていましたけど、「人に感謝しながら生きていかなければ」とか「心の底から本当にありがたい」、「この人たちのために何かきちんとやらなければならない」ということを、その店舗で、27歳にして初めて学んだ気がします。
財部:
なるほど。それで、その後はどうなったわけですか。
佐藤:
そこで心を入れ替えて、「みんな、ごめん」と言って店を立て直したら格好いいのですが、まあ、それができなくて――(笑)。
財部:
佐藤さんの人生の中では、本当に初めての挫折なのでしょう。それで、坂本さんのところに行くまではどのぐらい時間があったんですか?
佐藤:
1カ月ぐらいしてから、坂本さんに呼ばれたんです。「あいつ、ちょっとやばいらしいぞ」というのが、どうやらわかったんですね。あの一件があって以来、朝早く店に来て掃除をするとか、そういうことはやっていたのですが、壊れてしまった人の和は戻らないし、気持ちが鬱々としていました。それで坂本さんに「どうなんだ」と聞かれたので、「店を壊してしまいました」と答えたら、「要は、スタッフとお客さんがニコニコしていればいいんだよ」、と言ってくださいまして。結論としては、「じゃあお前、本部に戻ってこいよ」ということで、また本部で企画の仕事をやり出したんです。
財部:
僕は、そこが非常に興味深いなと思ったんですね。坂本さんのような創業経営者は、現場を重視しているし、現場で学ぶべきことが多いということを、誰よりもよくご存知なはずです。でも佐藤さんのケースでは、「そうか。じゃあ、もう一ぺん頑張ってこい」と、店舗に残すのではなく、企画部に戻されています。そこには、どういう判断があったんでしょうか。
佐藤:
たぶん「環境が変わらなければ、こいつは仕切り直しをして変わることはできないだろう」という、ある意味で見切りの判断だったと思いますね。実際、私はつい最近まで子会社で30店舗ぐらいをみていたんですが、やはり同じように、「もう私は駄目です」という店長がいます。理屈からすれば、「お前、これで気がついただろう。もうちょっと頑張れよ」と言ってあげるのがいいのでしょうが、1度リセットをかけてあげないと、本人がしんどくて潰れてしまうことがあるんです。たぶんその辺が、坂本さんは手に取るようにみえていたんでしょう。僕の場合も、「もっと頑張れよ」と言われて「やります」と言えば格好良かったでしょうし、そう言いたい気持ちもありました。ただ、やはり耐えきれなかっただろうと思いますね、自分が。
財部:
精神的に?
佐藤:
はい。実際、「戻ってこいよ」の一言で、ホッとしましたから。それから現に、本部での仕事の仕方も、以前とは変わっていましたしね。坂本さんは、いつもそういう「間合い」を取られていました。もう1度活かすのか、ここでパッと変えてやるのかというような。
財部:
坂本さんの、佐藤さんに対する接し方と、他の社員に対するものとは、違うものがあったんですか?
佐藤:
基本的に同じです。いや、ある意味で個人個人をしっかりと見極めて、それに見合った対応をしていたと思います。まさにあの方は、「恐るべし」でした(笑)。
財部:
本部に戻ってすぐに、きちんとリセットはできましたか?
佐藤:
そのことについてちゃんと話ができるようになったのは、2年か3年たったあとでした。本当は自分が「やはり駄目でした」と言って本部に戻してもらったようなものなんですが、周囲に対しては、「いや、社長が帰って来いって言うんだよね」なんて話していましたから。もちろん、あまり社長には聞こえないようにですけどね(笑)。
財部:
そこからもう一度お店に出ますね。それはどれくらいの期間で、また、どういう経緯だったんですか?
佐藤:
きっかけというのは、ブックオフ本部で大きな失敗をしたんです。坂本社長が創業時から信頼を築いてきた大事なパートナーに不快な思いをさせることをやってしまいましてね。坂本さんに謝って、「もう1回現場に行かせてください」とお願いしたんです。
財部:
その失敗と、「現場にもう1度出たい」というのは、どういう繋がりがあるんですか?
佐藤:
じつはその時、「会社を辞めなきゃいけないかな」と自分では思ったんです。これだけの経験をさせてもらってきたのに、やはりどうしても不遜なところが出てきてしまう。実際、そのぐらい怒られましたし、本来だったら「責任を取って辞めます」というレベルの話でした。でも、「辞める権利はもはや自分の中にはない」とも感じていました。ブックオフは「迷ったら現場に戻れ」という人事はよくあるんです。幹部会議のメンバーが、一店長にもどるということは、一見、降格にみえますが、当社では普通のことだったりします。そういうわけで、僕も「現場に行かせてください」と頼みました。
財部:
そうなんですか。
佐藤:
でもその時、坂本さんに「佐藤、お前が現場に行きたいのはわかった。でも、今からブックオフの現場に行っても、どうせあの橋本(真由美・現取締役会長)さんを、超えられないだろう。だったらお前、TSUTAYAの加盟店をやれば?」と言われました。
財部:
ははは(笑)
佐藤:
もうそれはおっしゃる通りでね。(笑)当時TSUTAYAさんに加盟している店が3店舗あり、今ちょうど10店舗をやっているところなんです。そういうわけで坂本さんは、「今後ここを伸ばしていこうと思っているんだよ。そこだったらお前がナンバーワンになれるかもしれない。お前のキャリアパスを考えると、今TSUTAYAの現場でやってもらうことが、一番いいと思うんだよ」と言ってくださったんです。これには驚きがあって、考えてみれば、自分のキャリアパスを他人が考えてくれるなんて、僕自身の人生の予定にはなかったんです。
財部:
やはり、すべて自分で考え、すべて自分でやる、というわけですね。
佐藤:
はい、はい。だって、マッキンゼーに行っちゃうような奴ですからね(笑)。そもそも僕には、「自分の人生はこうだ」というビジョンがずっとあって、自分の人生は自分が考えるし、自分で責任を持つし、他人の意見は聞くけれど、決めるのは自分だ、という思いがありました。でも僕が失敗してしゅんとしているときに、自分を超越した人がキャリアパスを考えてくれて。だから、もう何も考えずにそこに乗っていくことが、最終的に自分の「非連続な成長」に繋がる唯一の道なのかな、と思いましたが、その時はいやもおうなしに、そうせざるを得ませんでしたね。
財部:
新しい仕事を担当されて、どんな感じでしたか?
佐藤:
今度はTSUTAYA事業部というところだったんですが、当時はまだ3店舗で赤字でしたし、社内でも本当に「辺境」のような部署でした。その時、自分に多少の我があれば、「えっ、TSUTAYAですか。それは勘弁してください」と言っても不思議がないようなところだったんです。でも僕はその時、そうは少しも思いませんでした。これまで、町田の店長をやった時も、その次に小さな店を短期間やった時も、その都度その都度「俺はここで何をやろうか、何を変えてやろうか」と意気込んできました。でも、TSUTAYAに行く時に思ったのは「ちゃんと掃除しよう」と、そんな気持ちで。
財部:
それは心の底から思った、と。
佐藤:
はい、心の底から。「俺が何できるか」じゃないんだと。初めて思えました。
財部:
ということは、TSUTAYA事業部に行ってからは、気持ちの上では楽というか、素直になることができたんですね?
佐藤:
もの凄く楽な感じでしたね。TSUTAYAの店舗で働いたのは、秋から年明けぐらいまでと、短い間ではあったんですが。そのあと、TSUTAYAなどのフランチャイズチェーン加盟店舗の運営を行う子会社(ブックオフメディア(株))の社長をやれと言われ、「言われるならやろう」と思いまして、そのあとずっと子会社にいました。まあ、赤字の3店舗を抱える、会社の端っこの事業部に、何とか全社的な意味をもたらそうと考えました。
財部:
そうですか。
佐藤:
当時、子会社の社員だった3人と僕とは運命共同体で、自分がこの子たちを守っていかないと駄目なんだ、ということが「腹に落ちた」んです。それから、ああでもない、こうでもないといって部下と話し合うのが楽しくて――。まあ、執行役員としてブックオフに戻った去年の4月ぐらいまでですが、その間はずっと楽しかったですね。