ブックオフコーポレーション株式会社 佐藤 弘志 氏
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モノを「捨てない人」のための総合リユースNo.1を目指す

ブックオフコーポレーション株式会社
代表取締役社長 佐藤 弘志 氏

財部:
今回ご紹介いただいたディー・エヌ・エーの南場社長とは、マッキンゼーでご一緒だったんですね。南場さんは当時から有名人だったんですか?

佐藤:
はい。私は学卒で会社に入ったものですから、要はもう「最下層民族」でしたが、パートナー(役員)の南場さんはまさに、「恐れられるNo.1、No.2」という感じだったですね。

財部:
佐藤さんがマッキンゼーを辞められたのが、97年ですね。

佐藤:
最初の頃は(南場さんが私を)たまに呼んでくださって、「今何をしているの? そんなところにいないで戻ってきなさいよ」、というようなこともおっしゃっていただいたんです。

財部:
マッキンゼーに?

佐藤:
はい。ところが気がついたら、彼女がマッキンゼーを飛び出していました。それでちょうどディー・エヌ・エーさんの『ビッターズ』が始まった頃、「オークションサイトには、とにかく出品数が要る」というわけです。それで、これもまた南場さんからの命令で、出品しろといわれまして(笑)。そういうわけで、ブックオフコーポレーションは、『ビッターズ』の「会員番号2番」なんですよね。

財部:
そうなんですか。南場さんとは、上司と部下という関係になるんでしょうか。

佐藤:
はい。南場さんはマッキンゼー時代、非常に成功を収められていて、われわれも彼女にしごかれたという感じです。ただ、彼女は経営者になってもの凄く苦労されて、「私も、社長だとは言ってはいても、要はずっとサラリーマンできていた。要は、会社を守らなければならない」と言うわけです。逆に、「もう佐藤さんが先輩なんだよ」、というぐらいのことをおっしゃっていただいて。はい。

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財部:
たしかに、南場さんにもずいぶん厳しい時代がありましたよね。僕は、ビッターズの開設当時に初めて彼女にお目にかかったんですが、あの頃から比べてみても、彼女は随分変わりました。起業すること自体も大変だったでしょうが、会社を立ち上げたあとも、道は決して平坦ではなかったでしょう。そうした中で、彼女はずいぶん経営者らしくなってこられたなあ、と思います。

佐藤:
ええ、もう格好いいですよね。

財部:
続いて、佐藤さんのお話を伺いたいのですが、そもそもマッキンゼーにはどのぐらいいらっしゃったんですか?

佐藤:
私は、2年半です。

財部:
それで、マッキンゼーを出られたきっかけは、どんなものだったんですか?

佐藤:
それはもう、一言で申しますと、奢りですよね。もう自分は「大体わかった。世の中はだいたいこうやって回っているんだな」と、その頃本気で思っていました。学校を出て3年目の若僧が、世の中なんてわかりっこないんですけどね(笑)。でも僕は、「自分の手で何かを作る仕事をしたい。自分には新規事業担当であるとか、何かを立ち上げるといったことができるんだ」と思っていましたし、そういうことをやりたいと思って転職したんです。

財部:
次に行く先として、さまざまな選択肢があったと思うんですが、どんな経緯でブックオフに入社されたんですか?

佐藤:
まず人材紹介サイトに登録をしたら、それこそCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)さんを始め、いろいろな会社の情報が送られてきました。でも、たまたま私の生まれがブックオフの創業の地である相模原だったものですから、ちょっと面白そうだということで門を叩いたんです。今からちょうど11年前のことですが、ブックオフはまだ全国区ではなかったんですが、この辺では割とメジャーな会社でした。

財部:
そうですか。

佐藤:
そうしたら、創業社長の坂本孝さんに、いきなり寿司屋に連れて行かれて、日本酒を飲ませていただいたんですが、そこで私も坂本さんも酔っ払ってしまって。当時、私の実家が近くにあったものですから、「社長、実家がすぐそこにあるので、これから行きませんか」って誘ったんです(笑)。

財部:
ははは――。

佐藤:
誘う方も誘う方ですが、「じゃあ行こう!」と言う方も言う方で(笑)。すぐにタクシーを呼び、寿司桶を持って実家に飛んで行ったら、親父もびっくりですよね。めったに帰って来ない息子が実家に戻ってきたと思ったら、何か見知らぬおじさんが一緒。それが誰かと思ったら「こちら、ブックオフの社長さんだよ」というわけですからね。

財部:
僕の推測ですが、坂本さんの立場に立てば、1代で築き上げて急速に成長を遂げた会社というのは、人も足りないだろうし、さまざまな部分で不備があるわけですよね。当時、求職案内も出していたと思いますが、そんな時にマッキンゼー出身の佐藤さんが来たとなれば、これは経営者としては何が何でも採用しなければ、ということになりますよね。そこで実際に会ってみて、佐藤さんに対して、それだけのことをお感じになったわけですし。

佐藤:
そうかもしれませんね。

店長失格――人生で最大の挫折を体験

財部:
佐藤さんは入社後、企業戦略室の仕事を任されていますね。坂本さんは佐藤さんに「自由にやれ」という形で。それはいい意味で、佐藤さんのことをしっかりと取り込みたいし、能力を発揮してもらおうという親心だと思うのですが。そこはどう受け止めたのですか。

佐藤:
やはり、自分の中にプライドを持って生きたいじゃないですか。そこで私は、生意気にも、遠慮なく、「取締役にしてください」と言ったんです(笑)。

財部:
当時、27歳で(笑)。

佐藤:
ええ、27歳。もう無茶苦茶な話じゃないですか。昨日、今日できた会社なら取締役でもいいでしょうが、ブックオフはその当時でも6期ぐらいはやっていました。それなりに人がいて、組織もきちんとしていたんです。そこで「取締役にしてください」というわけですから。でも考えてみれば、それが自分のプライドの拠り所だったんです。要は友達に「お前、マッキンゼー辞めたんだって。何をやってるんだよ」と聞かれたとき、「新しい、伸びている会社で、取締役なんだよ」と言えれば自分のプライドはOK、という感じだったわけです。

財部:
なるほど(笑)。それから、すぐ取締役に?

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佐藤:
はい。後でもの凄く後悔されていましたけど(笑)。

財部:
それから、今度は店長として出ていかれますよね。店長をやったということが、ブックオフに入って一番大きな経験だったと――。

佐藤:
まさしくおっしゃる通りで、「店長をやりたい」というのも、自分で言い出したことなんです。

財部:
それはなぜですか?

佐藤:
ブックオフは、店長が務まる人間でないと、社内で本当の意味で尊敬されないシステムになっています。今でもその傾向があるんですが、「現場主義」と口だけで言うのではなく、店長がパート・アルバイトさん20人の気持ちをきちっと1つにして、店舗の業績を上げると、脚光はすべて店長に当たるんです。私も偉そうにして会社に入ったはいいものの、1年ぐらいするとだんだん空回り。というのも、自分が良かれと思って言ったことが、現場の立場からするとそうではないことがありました。自分はもっと脚光を浴びていいはずなのに浴びていない。「あれ、どうしたんだろう?」と思ったわけです。そこで考えた末、「なんだ俺、店長をやればいいんだ」と――。

財部:
つまり、「通過儀礼」をしていないだろうと。

佐藤:
そうです。「店長なんてどうせできるんだし、やればみんなが自分のことを尊敬して、またいろいろなことができるようになる」と思いました。

財部:
それで、実際にやってみてどうだったんですか?

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佐藤:
結論から言うと、できなかったんです。やはり物事を頭で分かっているだけでは駄目で、それが本当に「腹に落ちて」いるかどうかが自分の行動すべてに出るものなんですね。そういう思考と行動のギャップが、当時は理解できなかったんです。実際、店長は統率者ですから、パート・アルバイトさんは全員、店長の一挙手一投足をみています。だから「この人は口ではこう言っているけれど、本当に自分たちのことを考えているのだろうか」ということを、三日で見抜くと言いますよね。僕はコンサルティングファームという参謀の専門会社にいて、実際、坂本孝さんの参謀の仕事もしてきて。それが初めて統率者になったんです。だから僕が「店長をやって認められてやろう、どうせ店長なんかできるから、みんな俺を尊敬するだろう」という頭の中が、周囲には丸分かりだったんですよ(笑)。

財部:
ははは。

佐藤:
でも、それでは「人の和」がもう崩壊ですよね。しかも僕は、自分自身を過信していましたから、当時社運を賭けていた520坪もある町田中央通り店という、全国ナンバーワン店舗の立ち上げ店長をやらせていただいたんです。というより、自分が「そこをやらせてください!」と言ったんですが、いかに嫌な奴だったかと――(笑)。

財部:
本人としては、絶対できると(笑)。

佐藤:
できると思っていましたね。横でみていて、ブックオフの店舗を立ち上げていくのに、一通り何をすればいいかということは、概略頭に入っていましたから。ただ当然、最後のところまではわからないので、ベテラン社員2人をつけてもらいました。彼らは副店長で自分が店長。当然、キャリア的にも、能力的にも彼らの方が上なんですが。

財部:
そうなんですか。

佐藤:
町田中央通り店は新しい店で規模も大きかったので、僕はPOSをゼロから開発しました。ブックオフは本を単品管理しないのですが、当時の私の仮説は、本を全部データベースに登録すれば、全国どこに何の本があるかがわかり、取り寄せもできるようになる。営業効率が今よりもずっと良くなるだろうと考えていました。ですから、POSの開発に力を入れつつ、お店のコンセプトも考え、店長として振舞わなくてはいけない、と全部一度にやろうとしたのです。そのうち「俺はこんなにやっているぞ病」に陥ってしまいました。要は「俺がこんなにやっているのに、なんでみんなは・・・って」。これは、完全に病じゃないですか(笑)。

財部:
「なんでみんなは・・・」というのは、具体的にはどんな感じだったんですか?

佐藤:
その店ではパート・アルバイトさんを初期で55人採用したんですが、自分がやろうとしたPOSなんかは、みんなみたことがないですからね。「そんなことをしていて、本当にお店が回るんですか」と懐疑的でした。でも、それは当たってて、実際、回らなかったんです。「佐藤さんは何かやりたいことがあるみたいですね。いつも格好いい言葉でいろいろ言っていますよね。でも、この55人にこの店に勤めてよかった、と思ってもらうことのほうが本当は大事で、そのために店長はいるんじゃないですか」ってね。つまり、やろうとしていることが私たちとは別ですね、という感じで見られていたと思います。