外食産業で「創造性」を売る
株式会社クリエイト・レストランツ代表取締役社長 岡本 晴彦 氏
財部:
最初に、ローソンの新浪社長とのご関係を教えていただけますか?
岡本:
新浪さんは、三菱商事時代の直属の上司です。彼はローソンに行かれる前、三菱商事で外食を担当されていました。ソデックスコーポレーションという給食会社を立ち上げられたあと、三菱商事に戻られていたんですが、「外食の親分」的な存在でしたね。私は、ケンタッキーフライドチキンに2年出向し、三菱商事に戻ってから彼の下で働きました。
財部:
ケンタッキーフライドチキンでは何をやられたんですか?
岡本:
『Soup Stock Tokyo』を運営している潟Xマイルズの遠山正道会長が、たまたま同じ時期に、三菱商事からケンタッキーに出向されていました。そこで私たちは一緒にスープ事業を立ち上げたのですが、スクラッチからスープを作るということが非常に面白かったんです。ケンタッキー社員の皆さんは、チキンについてはプロですが、同店ではサイドオーダーにすぎないスープを主役に持ってこよう、それがNYで流行っているんだ、といっても、なかなか理解されませんでしたが――。
財部:
そこを、どうやって切り抜けたんですか?
岡本:
当時、ケンタッキー直営1号店の店長から始め、同社社長を約20年務められた大河原毅さんという、外食業界のバイブルを作ったような方がいまして、「じゃあ、やってみろ」といってくださいました。そんなわけで、三菱商事から出向してきた我々2人が、ケンタッキーフライドチキンにいながら、勝手にスープ事業をやっていたというわけなんです。それが、私の原点ですね。
財部:
そこで学んだのはどんなことですか?
岡本:
1億や2億という大きな数字が動くとか、三菱商事の看板があるから商売ができるという世界とは、全く違うものですね。たとえブランドは確立されていなくても、「これ、いいわね!」と、個人のお客様の感性に引っかかって商品が売れていくという、以前とは全く違う世界。それを目にして、「商売の真実」は常にリアルな現実に根ざしているんだ、と思いました。お客様に支持されて商売が成り立つという、規模の論理とは違う魅力を、そこに感じたんです。そうした期間が2年ほどあり、『Soup Stock Tokyo』1号店が開店する頃、私は三菱商事に戻ることになりました。
財部:
三菱商事に戻られてからは?
岡本:
最初に、「新浪チーム」で、オリエンタルランドさんとの合弁事業を手がけました。彼らにとって、『イクスピアリ』という、ディズニー傘下ではない商業施設を舞浜に作るのは、文字通り大きなチャレンジでした。その施設の中核レストランとして、私は『レインフォレストカフェ』という、アメリカのテーマレストランを誘致する話を仕掛けたんです。はじめは断られたのですが、2000年7月に1号店をオープンすることができました。
財部:
それなのになぜ、岡本さんは独立を決意されたんですか?
岡本:
2000年に、これまでの複雑な役職を廃し、スタッフ、プロフェッショナル、シニアプロフェッショナルという3つのランクからなる、新しい人事制度が三菱商事にできたんです。それと同時に、やる気のある個人は、会社と共同で新会社を作り、ベンチャー的な事業をやっていいということになりました。私はその制度を知り、「これだ!」と思いました。この社内ベンチャーの仕組みを使い、会社を作って社長をやろう、と決意したんです。
財部:
それは、ご自身も出資をされるということですね。
岡本:
そうです。もちろん三菱商事が親会社ですが、私も最初は2%ぐらい出資しました。その後、段階的に出資額を増やしましたから、現在は5%弱ですね。
財部:
起業するにあたり、岡本さんには、やはりレストランがしっくりきたわけですか?
岡本:
小さくスタートし、大きく育てていくという意味で、レストランが都合よかったんです。そもそもレストラン事業には、圧倒的なブランドの優位性はありません。売上高をみても、3、4000億円もあればその分野でトップです。さらに市場の実態をみても、地域の中でいかにナンバー・ワンになれるか、つまり、その商圏にいるお客様の頭の中でナンバー・ワンとして印象に残る店舗になれるかどうか、という商売なのですね。だから規模は小さくても、土俵を変えれば、ナンバー・ワンのポジションを取れる可能性があるわけです。ところがその意味で、私はこの業界は、マネジメントに対して真剣に取り組んでこなかったのではないかと思っているんです。