技術者が海外に行かない限り、日本料理は世界に羽ばたくことができない
辻:
最近、さまざまな省庁や団体から「日本文化を世界に発信するためにはどうしたらいいか」とよく聞かれます。ところが「ジャパン・パワー」なり「クール・ジャパン」とは言っても、私たち自身のアイデンティティとは何かがわからないまま、文化を世界に発信したいと先走りしているところがありますね。私はたまたま、そういうことにもお手伝いをさせていただく機会が多いので、非常に考えさせられてしまうのです。
財部:
そうですね。
辻:
つまり「ジャパン・パワー」自体が何なのかわかっていないのに、「ジャパン・パワー」を発信しようとしているわけです。しかも、そこに収益や経済メリットを求めるのか、あるいは文化的なものに重きを置くのか、新しいジャパンを示すきっかけを作りたいのかなど、ゴールやビジョン、方策もすべて一緒くたにしている。だから、そういう話をいただくと、「いったい日本料理のどの部分を世界に発信したいのか」といつも悩んでしまうのです。
財部:
辻さんなら「ジャパン・パワー」のどの部分を世界に発信しますか。
辻:
おもてなしではないですね(笑)。やはりソフトですよね。
財部:
料理の世界でソフトとは、何になるのですか。
辻:
技術力だと思いますが、こればかりは技術者を海外に出さない限りどうにもなりません。料理技術者を日本に置いたまま、日本料理を海外に出そうとしても駄目なのです。職人が海外に行かない限り、日本料理は世界に羽ばたくことができません。日本料理のレシピ本を外国人に渡しても、それは言わば「楽譜」でしかないので、彼らには理解できません。だから、その「楽譜」をきちんと使える人が海外に行く必要があるわけです。
財部:
そこが1番のポイントですね。日本の役人や政治家はみな知ったかぶりをして、日本料理は世界中に普及していると言っています。ところが海外に行くと、「はたしてこれが日本料理と言えるのか」と驚くようなものが山ほどあるのです。職人や技術がなくて、メニューにだけ日本料理と書いてあるようなものです。日本人が内向きになり、外に飛び出していこうという人が少なくなっている今、たとえば辻調さんのような学校が海外に出て、現地の人たちを日本料理の技術者として育てるという方法はないのでしょうか。
辻:
韓国やタイで、料理を教える教室やプロジェクトはあるのですが、本格的な学校を出すというところまでの需要がまだないと思います。確かに日本料理を覚えたいという外国人は何百人といると思います。私たちも、ビジネスチャンスがあればいつでも飛び出していきたいという気構えはあるのですが、おそらくビジネスとしては成り立たない。ニーズがあれば中国、韓国、アメリカ、ベトナムからどんどんやって行きたいとは思っていますが。
財部:
おっしゃる意味はよく分かりますが、やっとその入り口が開かれてきた段階にあるような気がします。たとえば、中国人ほど自国に猜疑心を持っている人たちはいません。彼らは中国製品をまったく信用していませんし、上海のカルティエで時計を買うにしても、従業員が商品を偽物と取り替えているかもしれないというリスクさえあるわけです。だから彼らは大挙して日本に買い物に訪れる。ただ中国は、本当に貧しい層から知的レベルも文化度の高い層まで幅広いことも事実です。だから、日本料理を学びたいという中国人が数多く出てくる時代が来ることを、私も待ちたいですし、少なくともそういう時代がやってきたらいいなと思えるところにまでは来ていますね。
辻:
そのためには日本料理そのものが、もっと海外で揉まれる必要があると思います。(外国人の味覚と)まだ大きなギャップがあるので、本物の技術に敬意を表しつつももう少しアダプタブル(受け入れられやすい)な、外国人の味覚に合う料理をもっと開発しなければ、今後日本料理ブームは先細りしていくのではないかと危惧しています。
財部:
そうですね。
辻:
だからたとえば、世界で最も有名な日本の料理人の1人であるNOBUさん(「NOBU RESTRAUNT」等を世界に展開している松久信幸氏)のような方が、良い料理を作って海外の皆さんに食べてもらうという形で、日本料理をもっとエクスポージャーする必要があると思います。日本の懐石料理は海外で「Kaiseki」と呼ばれていますし、日本人よりも上手に箸を使う人も出てきてはいます。しかし味噌汁の味や鰹出汁の味となると、なかなか外国人にはわからないと思うのです。
財部:
確かにアダプタブルではないですよね。
辻:
ただ、日本料理を学びに来てくれている海外留学生は確実に増えています。これは当校だけの話ではありません。この10年間で特に韓国人の留学生が増えていて、年間100人を突破しています。最近は、当校では外国人留学生の約7割が韓国人で、次いで台湾の人が多く、中国、ベトナム、タイの留学生がそれぞれ数パーセントという状況です。
財部:
先のアンケートで、宝物は「家族、学校、職員、卒業生」だとお答えになっていますね。
辻:
卒業生はもちろん全員が宝物ですが、綺麗事は抜きにして、やはり成功してくれる卒業生であってほしいと思います。辻調は大学とは違い、就職後に出世して成功を収めるというところまで完結しなければ、教育効果が表れていないと判断しますから。昔は「卒業生たちが、この業界で長く働く中で、幸せを感じてくれれば私たちも本望だ」と言われたものですが、われわれはそんなに甘ったるいことを言ってはいられません。教育成果がきちんと現れるようなカリキュラムを作って学生を指導し、1人ひとりに合った適切な就職先を見つける必要があります。彼らが転職を考えた場合にも相談に来てもらい、本人が今どこにいるかを把握し、短期間で成功に導くところまでが私たちの仕事だと考えています。
財部:
大変な仕事ですよね。
辻:
技術教育の歴史はルネッサンスの時代から続いており、工房も当時からあったわけですが、料理を体系的に教える学校の歴史は浅く、当校もまだ53年目と若いので、今後の展開が大きな課題。その意味で、何よりも大切なものは卒業生で、ケーススタディを通じて、彼らがどのようなキャリアをたどってきたのかを分析するのもわれわれの仕事。卒業生を介して飲食業界といかに密接なつながりを持つかが、われわれにとっての大きな課題です。
財部:
先ほどお菓子の実習室を拝見した時、先生が「卒業生がよく母校を訪ねてくれる」という話をしていたので驚きました。いずれにしても、人が社会に出て成功するには、技術以外にもさまざまなものが要求されます。人間関係もうまく使えなければなりませんし、我慢すべきところは我慢しなければいけませんよね。
辻:
たとえばアーティストは、絵を描けて当たり前であり、そういう人以外は絶対にアーティストになりません。われわれの世界でも、スポットライトに当たる人、すなわち絶対的な味覚を持っていたり、手と頭と舌がつながっているような人は何百人に1人。ところが、われわれが教えているのは、そこまでには及ばない9割の人たちです。彼らは好きでこの世界を選んでくれているのですから、なんとかしてこの世界で生きていけるように指導しなければならないという使命があります。
財部:
先代のお父様の頃よりも、目標のハードルを上げたのはなぜですか。
辻:
特に上げてはいません。昔から先代は入学式で「君たちは1年間に何百、何千品の料理を覚えることはできない。その代わり、1品でも良いから完璧に作れるようになってほしい。そうすれば一生食べていけるから」と、私とは別の言い方で話していました。先代は、プロフェッショナリズムとは何かということを学生に伝えたいという気持ちが強かった人です。「情報は洪水のように流れていくが、その洪水の中に立っていればいい。多くは通り抜けてしまうが、その中で何か受け止めたものさえあればいい。学校とは洪水の中で情報を得る場所であり、勉強の仕方を学ぶところである。何を学ぶかはあまり関係ない」という言い方を、よくしていましたね。
財部:
辻さんの教育方針はどんなものですか。
辻:
私はどちらかというと、もっと体系的にカリキュラムを組み、このシラバスでこのクラスにこんなことを教えなければならない、この時期にはこれをもっと教えなければならない、という言い方をしています。昔は、職人の先生が職人を育てるという学校でしたが、今はそれぐらい厳しくしていかなければなりません。先代は「こんなに難しい中国料理を教えているが、ラーメンは教えているのか」「カレーのレシピもしっかり教えておけよ」というような確認を、先生方1人ひとりに言っていました。言っていることは多分私と同じなのでしょう。先代は、「学校とはどうあるべきか」ということを考え抜いて辻調を作った人ですから、そういう言い方に落ち着いたのだと思います。
財部:
なるほど。非常に素晴らしい話ですね。もう1つ、「今思い出しても恥ずかしい失敗」は何かという質問に、「失敗というよりも、過去17年間をやり直したい」とお答えです。これも過去にまったく例のない回答ですが、どのようにやり直したいと思われますか。
辻:
学校を継いだ1年目をやり直したいですね。「悔いの無い人生を生きてきた」と言う人がよくいらっしゃいますが、私の場合は悔いばかりです(笑)。29歳で学校を継いだ最初の日に、当時510人ぐらいいた教職員全員を集めて挨拶をしたのですが、当時、職員の6割が私よりも年上でした。そこで元セゾングループ代表の堤清二さんの真似をして「5年間、一切何もしません」と話したのです。
財部:
そうなんですか。
辻:
何もしない方が、信頼関係が生まれるかと思ったのです。実際にまだ何もできませんでしたので、とにかく時間をかけて、まずは歴代の番頭さんを始め、職員との信頼関係を築くことから始めたのですが、5年ではなくて2年ぐらいにしておけばよかったと後悔しています。しかし、それも今過去を振り返ればそう思うだけであって、当時はそんな余裕はありませんでした。その意味で、学校を継いだ初日から再スタートし、当時の職員との会話を1からやり直したいと思います。
財部:
そういう考え方は、よくあるようでなかなかないですね。過去を受け入れてこそ今がある、あの時にああいうことがあったから今がある、と考えている経営者が多いのです。
辻:
9年前に本館の校舎を全部建て直しました。当校は、阿倍野という1つの地区に校舎を次々に建てて学校を展開し、それで今の私があるのですから、これ以上の感謝はありません。しかし本来は、校舎を建て替える前に組織と人材を見直さなければいけませんでした。9年前に、教職員の育成についての考え方や技術教育の見直しを行い、「人材ができたから次は建物に行こう」と考えるべきだったのです。ところが私は建物から先に着手したので、教育や組織の見直しも10年遅れになってしまいました。
財部:
お父様は、「料理のことで、先生たちと絶対に競い合ってはならない」とおっしゃっていたのですよね。
辻:
はい。確か中学2、3年か高校生の頃だったと思います。当時、私が年に2、3回帰国した時には、父と学校の話しかしていませんでした。「料理を覚えるために、レストランで働いた方がいいのではないか」と私が思っていた矢先に出たのが、まさにその言葉で、「お前は料理を覚えて、先生と対決するつもりなのか」と言われたのです。父は「料理はできなくてもいい、自分と同じように、まずは味覚を覚えろ」と言いました。要は、料理を覚えるよりも料理の体系や、味覚の構成はどうあるべきかを覚えたほうがいいということで、それを勉強するには結局食べ歩きしかないのです。父からは「技術者にもなってはいけない」、「"Know your limit"、つまり自分の限界を知れ」といつも言われていました。
財部:
「自分の限界」という言葉が、まさに「天国で神様にあった時なんて声をかけてほしいですか」という、アンケートの最後の質問につながりますね。「結局、君はこの程度だよ」というお答えでしたが、それは非常に正しい生き方ではないかと思います。自分の限界を知ることで、人としても生き易くなり、正しくなれるような気がします。
辻:
外国人にもこういう質問をされたことがなかったので、嬉しかったのですが、日本語でこんな質問をいただいたのは初めてです。日本には天国という概念がありませんから、日本ではこの手の質問は絶対に聞かないのです。"Pearly Gates"、すなわち「天国の門」とよく言いますが、私は死というものをまだ何も知らず、死に近づくことを恐れていないので、今死んでも20年後に死んでも「結局、君はこの程度だよ」と言われそうな気がしたので、そう答えました。
財部:
辻さんのお話にはリアリティがありますね。この回答もその意味で言えば、死そのものに対して辻さんは非常にリアルな受け止め方をしていると思います。多くの場合、むしろ言葉は違っても「自分は頑張った。それを褒めてもらいたい」という願望が出てくるのです。
辻:
私はもう、かなり前に諦めました。当校には、私も含めて媚びへつらわない、互いに褒め合わない、持ち上げないという校風があるのです。私は根っからの体育系ですが、逆に、心のどこかに体育系のノリを排除しようという気持ちがありました。リーダーシップがなければ人がついてこないというのが嫌で、方針発表も1回しか私は言わないし「基礎的な事柄についてはネットに全部書いてあるから見てください」と言う方です。
財部:
リーダーシップをあまり強調しすぎるのも考え物ですね。
辻:
本来は、何か同じことを言い続け、褒め続けなければいけないのでしょう。労いの言葉は全く別です。これは絶対に必要です。一時期、リーダーシップをもっと発揮してほしいという声もありましたが、私はあえて「僕がそういうタイプではないということは、わかっているでしょう」と話しました。
財部:
辻調さんは良い学校だと本当に思いました。数多くの企業に取材で足を運んでいると、オフィスに入った瞬間に、その企業の経営は今どうなっているのかが、かなりわかってしまうのです。その意味で、私は辻調さんが持つ温かい雰囲気を感じましたね。
辻:
いろいろなタイプの教職員がいると面白いのです。それが辻調の良さであり、やはり人材ありきです。よく言えば、温かい感じで競争も少ない校風ですし、悪く言えばただの世間知らずです。辻調は先生の集団であり、心から料理を作る事、指導する事が好きでいてくれる先生たちがそういう校風を作っています。先生たちが暗くて学校に誇りを持っていなかったら、その時点で学校はアウトです。その意味で、先生たちはみな、辻調が好きなのです。
財部:
そうですか。今日はどうもありがとうございました。