株式会社損害保険ジャパン  取締役会長 佐藤 正敏 氏

1年1冊、40年間の好奇心を書き留めてきた手帳

財部:
佐藤会長はアンケートで「好きな本」にイザベラ・バードの『日本奥地紀行』を挙げられていますが、これも実は初めての回答です。

佐藤:
これは今回、東北を中心とする大きな地震があったので、特に意識して書きました。明治11(1878)年に47歳で来日したイザベラ・バードは、かごと馬で東北地方を巡り、北海道に渡ってアイヌ人に会い、東京に戻ってきました。その間、彼女は酒田(山形県)や秋田などの日本海側の町を回って東北の人々と交流しながら旅行をしたのですが、「日本は貧しいけれど、その貧しさの中にも凛としたものがあり、心は豊かである」というような描写が作品の中に数多く出てきます。それは明治以来の、日本の持つ強さをよく表していると思います。

財部:
そうですね。

佐藤:
何が凄いかというと、明治11年という、皆が文明開化に邁進していた時に、どの町でも学校や病院を造っていたことです。その意味で、日本の文明開化はまず社会インフラを整えるところからスタートしています。今の発展途上国のように、地主階級が王侯貴族のような生活をするためにお金を使うのではなく、その町や村のために地主たちが資金を寄付して、基礎工事を行い、建物を建てたのです。しかも明治維新で日本が変わってから、明治11年の段階で、イザベラ・バードが東北やアイヌ人たちの居住地に安全に行けたのも、内務省から警官に通達があり、すべてのコースを管理していたからです。つまり内務省の力が、明治11年の段階で青森県や北海道にまで行き届いていたということです。

財部:
なるほど。

佐藤:
そこに、日本の近代化の速さを非常に感じます。私は、『ベルツの日記』やアーネスト・サトウの『日本旅行日記』のような本を読むのが好きなのですが、それらの書物から、日本には江戸時代の段階で、そういう基礎的な「民度の高さ」があったことがわかります。そして明治になって体制が変わり、それまで押さえつけられていたエネルギーが一気に出てきます。それを支えていたのが、日本の当時の富裕層。つまり税金ではなく、富裕層たちの寄付、今で言えば義援金で近代化が行われていったのです。だから今回の大地震で、国が何でもやるというのではなく、皆がそれぞれ持っている力を出し合って復興に向かっていかなければならないと思います。

財部:
今のお話でふと感じたのですが、郵政民営化そのものは、考え方としては正しい方向だと思います。ところが私は、「特定郵便局長とは、はたして本当に集票マシーン≠竍二代目継承≠ニいう2つの言葉でしか語ることができない存在なのか」と疑問に思い、地方にも随分足を運んで取材をしたことがあります。その時に出てきた話が、会長が今まさにおっしゃられたことと通じる部分があります。明治維新後、郵便の仕組みがあっという間に全国にできたのですが、当時、多くの投資家が自分のお金を出して郵便局を造っていました。(かつての特定郵便局の)ほとんどが、そういうスタートなのです。

佐藤:
そうなんです。イザベラ・バードは旅行記を書き、それをイギリスで新聞などに載せて食べていました。ですから彼女は、たとえば(旅行記が)10日分まとまったところで、記事を手紙にしてイギリスに送っていた。そのように、日光から出した手紙、酒田から出した手紙、秋田から出した手紙、函館から出した手紙のすべてがイギリスにそのまま届いている。つまり明治11年の段階で、駅逓制度が郵便制度になっていたということです。凄いことだと思いますよ、(明治維新から)たった10年ですよ。明治の頃の10年の変化はとてつもなく大きかったのですね。今よりも生産力がずっと小さな時代に、それほどまでに大きな変化を日本人は成し遂げている。このことをもう一度、皆が思い起こさなければならないと思います。

財部:
本当にそうですね。ある意味で、皆が10年というタームを、あまりにも気楽に言いすぎているような気がします。

佐藤:
はい。日本人が書いたことではなく、外国人の目を通して、日本という国がこれだけ変わってきたということを、今われわれが確認できるのですから凄いですよね。当時のそういう書物にはいろいろなものがありますが、私がここにイザベラ・バードと書いたのは、彼女が女性だからです。やはり47歳の女性が英国から遠く離れた日本に来て、それもアイヌ人たちがいる地域にかごと馬だけで行くという、女性のパワーというものを、日本はもっと取り入れなければならないと思います。

財部:
はい。佐藤会長のアンケートへのご回答は、かなり首尾一貫しておられますね。学生時代に取り組まれたことについても「観光学会というクラブで自然保護運動や古都保存運動」と書かれています。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』もそうですし、何か一連の流れがあるような気がします。おそらく10、20代の若者へのアドバイスでもある、「好奇心を持て」ということがずっとベースにあるのでしょう。

佐藤:
好奇心は強いですね。海外に行って「スーパーに行く」と言うと、「会長、なぜですか?」と驚かれてしまいますから。

財部:
高級デパートに行くというなら、ともかくですね。

佐藤:
やはり日用品と食べ物ですよね、共通の尺度で価格を見ることができるのは。

財部:
はい、基本的には。佐藤会長が海外に行かれて一番印象的だったところはどこですか。

佐藤:
なかなか行けない所では、ウズベキスタンが面白かったです。スーパーがないのでバザールに行きましたが、本当にありとあらゆるものが売られていました。やはり(食品では)生ものよりも乾物が多かったですね。発展途上国ではパッキングなどができない時代が長かったので、何でも乾燥させて売っています。その意味で、(現地では)昔の乾物屋さんが幅を利かせていますが、経済が成長するにつれて生ものがだんだん増えていくような気がします。

財部:
確かに、インドに行っても乾物が多いですね。

佐藤:
ナツメグでもクローブでも乾燥させて、あとで戻して使うようになっています。きのこでも何でも干してしまいますよね。

財部:
そういう佐藤会長が、損保業界を就職先として選んだのは、どういう理由からなのですか。

佐藤:
先の観光学会の話ともリンクすることですが、私が入社した頃は、交通事故で亡くなる方が多く、交通遺児が社会問題になっていた時代。ですから、自動車保険というものを扱い、社会を救済するような企業は素晴らしいのではないかと思いました。どちらかと言えば、当時は学生運動盛んなりし頃で、「企業は公害を垂れ流す」などの悪いイメージしか学生に与えられないような時代です。そういう中で、世のため人のためになること、ラグビーで言う「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」をビジネスとして実践できる保険は良いなと思いました。

財部:
そうなんですか。

佐藤:
損害保険は、生命保険事業以外のありとあらゆるリスクを取り扱うというところも魅力でした。なんとなく青臭いことを考えていたわけですが、入社後も、その意味では、世のため人のために仕事をしているという感じはありましたね。今年は新入職員全員を被災地に派遣し、事故の対応をしてもらったのですが、「保険会社に入ってよかった」、「(自分たちの仕事が)本当に世のため人のためになるんだということを実感しました」というレポートが数多く提出されていますので、良い選択だったと私は今でも思っています。

財部:
実は私も、「世のため人のため」という言葉を、とても大切なものとして自分の中に置いています。私たちの仕事には、ただモノを書いて伝えるだけでは自分自身の精神を維持できない面があり、「自分は何のためにこういうことをしているのか」という基盤をしっかり置いていなければなりません。そうでなければ、メディアの仕事は極めて空虚になり、あるいはやることがなくなってしまったり、単純にお金を追いかけるだけになってしまいがちなのです。

佐藤:
なるほど。逆に言えば、保険業界では事業そのものが「共助」の仕組みになっています。だからその意味で、「お互いに助け合う」ということを言いやすい業種なのかもしれません。私もその部分に共鳴して入社したので、そういう意識を長く持ち続けることができたと思います。

財部:
もう1つ、これもアンケートで今までに見たことのないご回答ですが、会長の宝物は40冊の手帳なのですね。

佐藤:
はい。これは今年の手帳ですが、ありとあらゆることを書き込んでいます。日記のような部分もあります。今はスケジュール管理をパソコンで行っていますから、結局、手帳の余白には自分が気付いた事柄などを書くことになります。そうすると40年も経てば、(昔の手帳を見返してみて)「40年前はこのレベルだったかなあ」と思いますよね。私の手帳は基本的にスケジュール管理からスタートしているのですが、今はその時々のことが書いてあります。「今日は自転車でここに行った、あそこに行った」ということを書くだけでも、かなり埋まってしまいます。

財部:
では、訪れた先は全部書かれているわけですね。何かこう、怒りや喜びなどの感情は記されないのですか。

佐藤:
それはないのですが、私にはもう1つ、自転車と兼ねていることがあります。それはほぼ週に1回、美術館や博物館に行くことです。私は公益財団法人損保ジャパン美術財団(損保ジャパン東郷青児美術館)の理事長を務めて5年になります。そこで、美術館に行って絵を見るだけではなく、たとえば照明はLEDに変わっているのか、何部屋に何人の警備担当者がついているのか、採光や動線はどうしているのかなどを見て、当美術館にも使えないかと考えているのです。そういう話はさておき、私は美術館によく足を運び、絵を見て楽しんでいますが、そういう時に、どんな絵を見てどう感じたかということを、ここに書いています。

財部:
それは現場で書くのですか、1日が終わったところで書くのですか。

佐藤:
1日が終わってからですね。これを40年ぐらいやっていると、結構良い記念になるのです。今回アンケートで宝物は何かと問われた時に、「『家族』などの答えを書くものかな」とも思いましたが、家族よりも手帳のほうが大事だというわけではありません(笑)。

財部:
でも、のちにお子さんなどがご覧になったら、それはとても貴重なものになるでしょうね。 本当に今日は長時間ありがとうございました。

(2011年8月30日 東京都新宿区 損害保険ジャパン本社にて/撮影 内田裕子)