株式会社損害保険ジャパン  取締役会長 佐藤 正敏 氏
趣味:自転車に乗って東京見物 …もっと読む
経営者の素顔へ
photo

皆がそれぞれ持っている力を出し合い、復興に向かっていかなければならない

株式会社損害保険ジャパン
取締役会長 佐藤 正敏 氏

財部:
今回は、東京ガスの岡本毅社長からご紹介をいただいたのですが、岡本さんとはどんなご関係なのですか。

佐藤:
非常に古くて、まさにバブルが絶頂期を迎えた1988年頃、異業種交流をする中で知り合いました。「日本企業はこのまま大きくなって海外に出て行くだろう。そういう時代に日本はどんな役割を果たすのか」とか、86年に「前川レポート」が出たあとであり、「内需拡大をもっとしなければならない。輸出ばかりしていてはいけない」といった問題意識について、皆で語り合う会でした。それがきっかけで、岡本さんとお付き合いするようになりました。

財部:
一緒に仕事もされたのですか。

佐藤:
その頃はお互いに課長同士でしたが、年が経つにつれて、「保険とガス事業のコラボレーションをやってみよう」とか「保険事業を東京ガスさんで一部やっていただけないか」とお願いするなど、さまざまな関わりが生まれました。そして今、岡本さんが社長になられ、私も社長、会長になり、そういう縁が続いています。

財部:
そうやって、同じ課長というポジションから、それぞれの会社で互いにトップに上り詰めていく関係とは、どういうものなのでしょうか。私にも企業に勤めている友人が数多くいますが、企業の友人との関係は、ポジションによって濃淡が出てくることが結構あります。その意味で、お互い同じようにポジションを上げていくというのは、なかなかないことで、ありがたい関係になりますよね。

佐藤:
ありがたいですね。同じような立場になると、考えなければならないことにも似たようなことが出てきますので、そういう時に、ちょっとお話させていただくのは良いことですね。

震災翌日に災害対策本部を設置し、保険金の支払体制を構築

財部:
今回、私が非常に興味を抱いたのは、3月11日に起きた東日本大震災への対応です。あの震災の中で、東京ガスさん本体および関連会社、町のガスショップ「ライフバル」などの従業員約3万人が、被災地のガスインフラの復旧に懸命に取り組みました。その一方で、スマートグリッド(次世代送電網)は遠い将来の話のように語られていますが、実は、震度5相当の地震が発生するとガスを自動遮断するマイコンメーターというスマートメーターに近いものを、すでに東京ガスさんが導入しています。そういう話を以前、岡本社長とさせていただいたのですが、3.11では損害保険業界もずいぶん頑張られたのではないかと私は評価しています。

佐藤:
ありがとうございます。今回の3.11は日本の損害保険史上最大の災害で、この災害でお支払いする保険金の額は、今までの最高額の15倍程度となっています(9月28日現在、日本損害保険協会集計)。従来こうした大きな広域災害といえば台風が典型的で、たとえば九州一円が台風の被害に遭った場合、日本中から要員を集めて九州地区に派遣してきました。

財部:
そうですね。

佐藤:
ところが今回の場合、(地震の被害が及んだ)範囲の広さもさることながら、一軒ごとの損害の大きさが、かつてない規模です。浸水では、あとで家を修復することができますが、今回の津波では(建物が)根こそぎ土台から持って行かれてしまっているため、すぐに保険金の支払いに着手しなければなりません。そこで震災の翌日に災害対策本部をたちあげ、保険金の支払体制の構築に臨みました。

財部:
震災翌日にはもう、支払い体制の整備に着手されたわけですね。

佐藤:
はい。社員と家族に加え、東北地方や茨城県、千葉県におられる代理店の皆様の安否確認を行うとともに、ただちに支払体制の構築に入りました。当初、被災地の皆さんは生命の危機にさらされており、実際に保険金のご請求が増加したのは4月に入ってからです。

財部:
契約者からの請求が、かなり集中したのではないですか。

佐藤:
4月に入ってから、多数のお電話をいただきました。ゴールデンウィークには、被災者の皆さんが家に戻って後片付けをされるだろうということで、本社および西日本から約3000人を動員し、被害の大きい地域ではご契約者のもとを一軒一軒お訪ねして、保険金の支払に必要な書類上の手続きを行いました。

財部:
一軒一軒、契約先を回られたのですね。

佐藤:
地震保険は、国が再保険を引き受けて損保会社をバックアップすることで成り立っています。われわれの言葉で「損害調査」と言うのですが、今回のような大規模災害では、人の数がお支払いの数に直結することになるので、多数の人員を動員しました。

財部:
津波の被害が大きかった地域では、全損・半損などの被害状況を、航空写真で判定されたそうですね。

佐藤:
今まで実施したことがなかったのですが、損害保険協会の取組として、津波で根こそぎ被害に遭った地域については航空写真を撮り、それを地図と重ね合わせて全契約者をマッピングしました。そして、津波で完全に全損になっている所は、その写真をもって確認したと判断し、自動的に全損扱いにしました。それ以外の地域では、家は残っていても土台がやられているとか、柱にひびが入っている、などの詳細な状況は、現場に行ってみないとわかりません。そういう地域では、たとえ家が残っていても、その周囲で多数の家が全損被害を受けていることが多かったので、現地の状況を見に行くことが必要でした。

財部:
取材で聞いた話の中で、非常に印象的だったのですが、あくまで一般論としてですが、従来保険会社では、できる限り詳細に査定を行い、支払いはなるべく抑えるというのが基本的なスタンスだったと思います。ところが今回は、保険金を支払うことが可能な部分についてはできる限り支払いを行う、という方向で対応されたという話を、あちこちで聞きました。実際、生保業界では、津波や地震で支払われないこともある災害関連特約の保険金や給付金を、加盟全社が全額支払うことを決めています。損保業界も、契約者本人が申請をしない限り保険会社は支払いの義務を負わないという、従来の申請主義を改めました。

佐藤:
はい。2005年に、生保業界および損保業界は保険金の支払いについて、「支払額が少ない」「支払いが漏れている」と、消費者から非常に厳しい批判を受けました。それによって、損保業界も処分を受けています。そこでわれわれは体制を変えて、「いざという時にお客様に安心と安全を提供するのが私たちの使命」というお客様本位の姿勢を、業界全体で再認識したのです。東日本大震災は、そのあとに起こった史上最大の災害でした。われわれ保険会社としては、2005年頃の汚名を返上したいという思いもあり、全社一丸となって取り組んできたのです。全社員、もしくは業界に属する全員が力を合わせて成し遂げたことだと思います。

財部:
3月11日に起きた本震のあと、4月7日にまた宮城県沖を震源とする大きな余震がありました。地震保険普通保険約款(第2章 第3条(2))には「地震等が発生した日の翌日から起算して10日を経過した後に生じた損害に対しては、保険金を支払いません」とありますから、4月7日の余震による被害は通常、1つの大きな地震が発生してから「10日を経過した後に生じた損害」と扱われ、保険金の支払い対象にはなりません。しかし今回、損保会社は、それをダブルアクシデント、すなわち3月11日の本震とは別個の地震による被害として計算していたという話は、もっと世の中にきちんと伝えられて然るべきだと思います。

佐藤:
今回その意味で、保険会社に限らず日本の産業界および企業が力を合わせて、被災者の救援に乗り出しました。私は日本経団連で社会貢献推進委員会の共同委員長を務めていますが、ありとあらゆる企業が、義援金のみならず自社製品を無償で提供したり、無料で荷物を被災地に運ぶなど、日本の産業界を挙げての支援を行っています。その中で、われわれ保険業は、本業としてそういう貢献をしなければいけないと思ったのです。

財部:
震災前の話ですが、本来、今年3月には多くの企業が好決算を迎える予定でした。決算で良い数字が出て株価も上がり、2011年度は非常に順風満帆な年になるだろうという前提で、誰もが動いていたのです。その矢先に震災が起こったわけですが、企業の復興に向けた努力には素晴らしいものがあったことはもちろん、皆が3月決算をかなぐり捨てて、本業を置いてでも支援に行かれるという姿勢に、日本の企業社会の素晴らしさを感じました。私は、日本は捨てたものではないと思いましたね。

佐藤:
そうですね。われわれに感銘を与えたのは、やはり東北・北関東の被災地の皆さんです。誰もが非常に毅然とした行動を取られており、海外では起こってもおかしくないような暴動などが一切ない。皆が列になって並んでおり、体育館などに設けられた避難所で、被災者の方々が秩序だった集団生活を行ったということに、われわれが学ぶべきことが数多くあると思います。私も、先ほどお話があった大きな余震が起きた4月7日の夜、宮城県の女川町に行くために仙台におりました。午後11時30分過ぎに震度6強の地震が起きたのですが、翌日の朝はどこも停電で、信号も止まっている中、皆が整然と交通整理を受けながら、荷物を積んだ車両がどんどん隊列をなして宮城県内を動いているのを目の当たりにして、これは凄いと思いましたね。