ハウス食品株式会社 代表取締役会長 小瀬 ム 氏

財部:
ハウス食品さんの社内の仕組みでは、プロダクトマネージャーは社長室に所属し、担当するプロジェクトに関しては社長と同権限を持つ、とあります。中でもカレー部門のプロダクトマネージャーは、ハウス食品において最も重要なポストだということになりますね。

小瀬:
会社の利益のほとんどを稼いでいる部署でしたからね。僕は入社後、大阪支店の営業部門に配属になり、3年半後に本社の社長室で、当時カレールウグループのプロダクトマネージャーを務めていた河野元社長の所に配属になりました。というのも、その河野さんが病気で数ヶ月入院することになり、社長がその仕事をカバーせざるを得ない状況になったからです。従来、プロダクトマネージャーのアシスタントは女性が務めていたのですが、それでは駄目だということになり、男性のアシスタントを入れることになったのです。

財部:
逆にいうと、小瀬会長がそういうポジションに引き上げられたのは、営業で相当な成績があったからということなんですか。

小瀬:
あったのかどうかわかりませんが、大阪本社は大阪支店の近くでしたから、当時の浦上社長はよく大阪支店に来られていました。浦上社長は、われわれのような入社2年目、3年目の新人のもとにも足を運び、いろいろと話をしてくれるような人でした。だからそういう中で、僕のことを覚えてくれていたのかもしれません。現在、当社は大阪と東京の2本社制ですが、当時、僕が東京支店に配属されていたら、そういう出会いはおそらくなかったでしょう。

財部:
ほお。

小瀬:
僕は河野さんの部署に入りまして、その後アシスタントでずっといきました。僕が感謝しているのは、何か物事を相談しに行くと、必ず「お前はどう思うんだ」と言ってくれたこと。普通は、ただ上司に答えをもらうために相談に行くわけですが、河野さんは簡単に答えをくれません。1つのことを相談するにも、自分なりの考えを持ち、「自分ならこうする」という答えを準備しておかなければ駄目でした。そういう中で、僕が34歳の時に、「カレールウグループのプロダクトマネージャーをやってみろ」と言われ、仕事を任されたのです。

財部:
実際に任されたときのプレッシャーや、やり甲斐についてはどうお感じでしたか。

小瀬:
やり甲斐というよりも、プレッシャーの連続でした。当時はわが社のほとんど利益のすべてがカレールウグループにかかっていた時代ですから、熟睡することはまずありません。その後、社長を務めた時もそうでしたが、寝られないものですから、枕元にメモと筆記具を置く習慣がつきました。

財部:
ご自身の人生の中で、そこまで追いつめられてもやる、とお考えになったわけですね。

小瀬:
はい。僕は34歳でプロダクトマネージャーになり、43歳で取締役になりました。ある意味で、大変な重荷を背負ったともいえますが、その背景で、やはり誰かが自分を抜擢し、指名して下さっているわけです。だから「その方に恥をかかせては絶対に駄目だ」という思いが、自分自身のバックボーンになっています。実際、当時の役員よりも10歳ぐらい若くして取締役にしていただいたのですから、大抜擢ですよね。

財部:
そうなんですか!

小瀬:
部長職を経験せずに、次長職から役員になりました。ですから、その時に任命していただいた大塚社長(当時)の判断が間違っていると社内で思われないように、しっかりやらなければ駄目だ、という一心ですね。

財部:
その場合、問題意識の向かう先は、売上および利益ということになるのでしょう。しかし、毎日さまざまな問題が生じてその処理に追われる中で、小瀬会長は何が一番重要だと思われたのですか。

小瀬:
今の言葉で言えば、いかにお客様視点で物事を判断するかですね。そういうお客様視点のものの考え方と、プロフィットセンターという2つの軸の考え方で、企業そのものをコーディネートしていくことが1番大事だと思います。

財部:
いただいた資料を拝見すると、小瀬会長は「世の中の誰もが『お客様が大切』だとか『お客様起点』と言っているが、じつはここが難しい」とおっしゃっていますよね。

小瀬:
当たり前のことですが、私どもはたとえば1個100円、200円、300円の商品をお客様に買っていただいたお金で企業が成り立っています。だからトライアルでの商品購入は、なかなか収益には結びつかない。お客様がどれだけリピーターになっていただけるかによって、収益がついてくるのです。また、われわれはある意味で、お客様が望んでいらっしゃることを食の分野で、お客様に代わってご提案しているとも言えます。その提案に価値があれば商品を買っていただけるし、価値がなければ買っていただけないという結果が出る。ですから、おのずと「お客様が何を求めているのか」ということが、われわれの原点になるわけです。

財部:
「顧客が求めるもの」を、企業が理解していくことは非常に難しいですよね。

小瀬:
企業の中で、本当にお客様がどれだけ語られているか、お客様についての理解がどれだけ進んでいるか、ということに尽きると思います。お客様はやはりわからない。しかし、わからないからこそ、最も大切な永遠のテーマであり続けるのです。

財部:
そうですね。

小瀬:
われわれは、お客様のことがなぜわからないのか。それは、お客様は日々変化しているからであり、同時にわれわれが、お客様の意識や心の中にまで踏み込むことができないからです。そもそも、私どもは仕事だから「どういうカレーが良いのだろうか」と日々考えていますが、お客様は「自分はどういうカレーがほしいのか」ということまでは考えておられません。だから、われわれが考えた仮説をお客様にご提示し、「こういう商品を作りましたが、どう評価されますか?」という問いかけをしなければ、答えは返ってこないのです。

財部:
ええ。

小瀬:
ですから、先に申し上げたように、「お客様の100パーセント」は絶対にわかりません。ひょっとしたら、われわれはお客様について30パーセントしか知らないのかもしれない。でもそれを40、50パーセントに持って行くのが、企業としての務めであり、われわれは競合他社よりもお客様のことについてよく知らなければなりません。ただ面白いもので、お客様に「どういうカレーがほしいと思いますか」と聞いても答えが返ってきませんが、「今のカレーに何か不満がありますか」と聞くと、ご意見が結構出てくるのです。

財部:
カレーに対する不満には、どういうものがあるのですか。

小瀬:
たとえば量やカロリー、使い勝手についての問題ですね。聞き方ひとつで、お客様は商品への不満について、ずいぶんお話になりますよ。これはお客様に限らず、人間皆そうだと思うのですが、良いことよりも、不満や愚痴の方が話しやすいという心理が働いているのかもしれません。

財部:
なるほど。

小瀬:
実際、アメリカなどでは、お客様に不満を言わせるリサーチ方法も取られています。そこからヒントを得て、「この商品で改善すべきことは何か」、「商品の価値をより向上させるためには、こういう不満を解消していけばいいのではないか」と、逆発想から入る場合もあるわけです。数あるマーケティングの中でも、表面には出てこない潜在意識や心の問題について、お客様を知る精度をどれだけ上げられるか。あるいは、それについていかに時間をかけて厳しい検証をするかが、大変重要なポイントですね。

財部:
そこに企業のノウハウが凝縮しているのかもしれませんね。

「おいしさと健康」を追求し、日本の消費者が求めるものを作り続ける

小瀬:
そうですね。でも、だからと言って、今のようなリサーチで商品が必ず売れるという確約はありません。たしかに「これは売れない、駄目だ」という商品は、リサーチをかければわかるでしょう。でも「これは絶対に売れる」という答えは、消費者調査からは返ってこない。駄目なものを排除していくことで、結果的に精度が高くなっていくわけです。

財部:
小瀬会長は、「これからの製品作りで大切なのは、おいしさと健康、簡便さである。だが、最終的にはやはり、おいしさが重要だ」というようなお話をされています。ある食品を食べたあと、「健康に良いからもう1度買う」というリピーターはむしろ少数派で、やはりそれがおいしいからリピーターになる、ということなのでしょう。ですが、この「おいしさ」とは何かということを突き詰めていくと、本当に難しい話になりますね。

小瀬:
ある意味、ターゲットを絞ったとしても、その中における最大公約数でのおいしさなり味覚を作らなくてはなりませんし、そもそも「最大公約数でのおいしさとは何か」というのが問題です。今のご質問についてですが、お客様が食に対して基本的に抱いているニーズは、よりおいしく、より簡単便利であり、より体に良いものという3点で、それらは変わっていないと思います。

財部:
ええ。

小瀬:
そういうものを、お客様は求めていらっしゃるし、われわれもそれをテーマにしていかなければなりません。ただし、おいしさと健康とは、ある意味で矛盾する部分があるのも事実。たとえば塩分が強ければ味覚的には「おいしい」のですが、今ではそれは体に良くないという意識を持っている人が多い。また油脂分は成長期には必須ですが、ある程度の年代になったらとくに必要ありません。でも先ほどの揚げ物の話ではないですが、油脂分が醸し出すおいしさというのもあるわけです。そうすると、われわれの1つのテーマとは、おいしくて体に良いという、ある意味で相反する商品を、技術でもってどう作り上げるかということに尽きます。

財部:
そうですね。

小瀬:
アメリカなどに行くと、「カロリー50%オフ」や「カロリーゼロ」と書かれた食品をよく見かけますが、実際に食べてみると、おいしくないものが多い。特に、欧米人の一定の層の消費者は、われわれならおいしさを取るところを、健康の方を重視して商品を買われます。ところが日本の消費者は、いくら体に良い食品であっても、おいしくなければ継続しない。こういう味覚の違い、評価基準の違いは厳しいですね。しがたって、日本の食品メーカーにとって、味づくりが何よりも大事だということになります。

財部:
先日、偶然カレーを買いに行ったのですが、僕はカロリーオフのカレーがあることをまったく知りませんでした。スーパーでカロリーオフの商品を取るか、そうではないものを取るかで悩んでしまうぐらい、健康とおいしさについては大きな問題意識がありますね。

小瀬:
そういう意識を持っているのは、必ずしも年齢の高い層だけではありません。今、若い人たちを含めて「1億総健康志向」といっても過言ではないでしょう。たとえば、われわれの世代はラーメンのスープを最後まで飲んだものですが、今の若い人はそういうことをしない人も多くいます。カレーの話に戻りますと、カロリーを減らした商品を出すこともたしかに大事かもしれない。でも、われわれが本来やるべきなのは、カレーそのものを、低カロリーでおいしい食べ物にすることなのです。

財部:
なるほど。カレーの概念そのものを変えてしまうということですよね。

小瀬:
そうです。そこで当社では、レトルトカレーのパウチをすべて200キロカロリー以下に抑えました。「カレーは決してカロリーが高い食べ物ではない」、という方向に、レトルトカレーの商品そのものを完全にシフトしたのです。ちなみに、ここにあるものですと、『ククレカレー』の甘口が173キロカロリー、『カリー屋カレー』の中辛が178キロカロリー、『カレーマルシェ』の中辛は少々高くて184キロカロリーです。

財部:
カレールウを固形化する時に油脂が必要で、固形化しなければカロリーは落ちるということなのですか。

小瀬:
そうです。ただし、そういう技術開発は、必ずしも油脂分だけを見て行っているのではありません。油脂分で固めたルウはまろやかなのですが、逆に言えば、香辛料が本来持っている香りやおいしさが、なかなか表面に出てこないという事情があるのです。だから、本当に香り立ちの良いカレーを食べようと思うなら、ルウの油脂分を落として行った方が、香辛料が醸し出す微妙な香りや味覚を感じられるというわけです。

財部:
マスキング効果のようなことが起きているわけですね、油脂で。

小瀬:
はい。だから油脂分にも、カレーを非常にまろやかにおいしくする一方で、素材が持っている味や香りをマスキングしてしまうという善悪両面があるわけです。そこで最も重要になるのは、素材のおいしさも味わいながら、カロリーも落とせる、ということになります。われわれの技術でいけば、カロリー30パーセントオフがその大体のラインで、それが50パーセントオフまで行ってしまうと「体には良いが、おいしくない」ということになる。そうなると、お客様は1度商品をお買いになっても、その後が続かないのです。