日本コカ・コーラ株式会社 魚谷 雅彦 氏
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「コカ・コーラシステム」はブランドを絆とする運命共同体である

日本コカ・コーラ株式会社
取締役会長 魚谷 雅彦 氏

財部:
アスクルの岩田彰一郎社長とは、どのようなご関係なのですか。

魚谷:
僕のライオン時代の先輩ですが、最初は岩田さんのことを知りませんでした。僕は同社に入社して4年目にアメリカ留学をさせてもらったのですが、当時ライオンは大きな転機を迎えていました。ご承知のように、花王さんが問屋流通を見直し、販売会社による直販制度に移行した頃です。また資生堂さんもトイレタリー分野に参入するなど、「ライオンは今後どうすべきか」と大きく揺れていました。当時、僕たち若手社員は、「ふりむかないでエメロンシャンプー」もいいけれど、これからはもっとやり方を変えなければならないと感じていたのです。

財部:
「ふりむかないで」は、『エメロンシャンプー』のCM曲でしたね。懐かしい。

魚谷:
一世を風靡しましたよね。あれは確かにライオンにおけるマーケティングの真骨頂です。他にも昔、練り歯磨き粉の『ホワイト&ホワイトライオン』やヘアリキッド『バイタリス』などがヒットしましたが、(トイレタリー分野は)割とコモディディ化しやすい領域でした。ところがその頃、日本も少し豊かになってきて、センスやデザインを活かした『ウエラ』などの、比較的高価格帯のシャンプーが出始めた。そこで僕たち若手社員は「今までのライオンの強みは分かるが、もっと新しい価値観を持つべき時代が来ているのではないか」と話していたのです。

財部:
岩田さんとのお付き合いは、どのようにして始まったのですか。

魚谷:
僕がアメリカに留学していた頃、社内報が留学先にも毎月送られてきました。ある日、その社内報を開いてみると、今度『フリー&フリー』という新しいシャンプーを上市します、と書いてあった。その記事を見て、僕は「わが社にも、こういうセンスを持っている人がいたのか」と思い、嬉しくなりました。そこで、すぐに人事部門の担当者に「この商品のマーケティングを担当している人は誰ですか」と聞くと、岩田さんだという。僕は早速、「帰国したら会いたい」と手紙を書きました。

財部:
凄い関係ですね! 

魚谷:
ええ。そして僕は帰国後、本当に岩田さんに会いに行きました。「この人こそ、僕がついていくべきマーケティングの大先輩であり、将来、この会社を絶対に変えられる」という思いを持って――。その結果、岩田さんに非常に良くしていただいて、「ライオンの次世代のマーケティングを一緒に創っていくことができるのではないか」と心底惚れたんです。

財部:
それは、なかなか得難い人間関係だと思いますね。

魚谷:
ただ残念なことに、いろいろとご事情があり、岩田さんはその2、3年後に退社されることになりました。その時、僕は「この会社はどうなるんだろう」と落胆し、「岩田さん、辞めないでください」と言ったのですが、結果的にプラス株式会社へ移られました。私も、それが原因ではなかったのですが、3、4年後にライオンを退社したのです。

財部:
でも見事ですよね。その2人が、それぞれの道でトップになり、成功されたというのは。

魚谷:
何年か前のことですが、アスクルさんがいよいよ発展しそうだという時になり、紙や文房具だけでなく、オフィスにも飲み物の需要があることがわかってきました。そこで「飲料をやってみたい」と岩田さんから相談を受けたのです。ただしコカ・コーラは、ボトラー社(地域で製品の製造・販売を行うパートナー企業)が地域割りになっている一方、アスクルさんは一斉に全国に配送されます。商品供給をどこからするか、売上げをどうやって管理するかという問題もありましたが、データをもとに地域に割り当てられることができるとわかったので、すぐに「やりましょう」とお答えしました。

財部:
そうなんですか。

魚谷:
そういう経緯で岩田さんと組み、飲料の取り扱いを広げたので、今やアスクルさんは日本コカ・コーラにとって非常に大きなお得意先。その意味でも、岩田さんとはしょっちゅうお会いしていますし、経済同友会でも同じ委員会で活動させていただいています。

財部:
まさに『坂の上の雲』のストーリーを彷彿とさせるようですね。

魚谷:
そうですか。実は岩田さんとはよく話すんです。お互いに「志」という話が好きで、「マーケティングという視点で、新しい価値を世の中に提供していけるようなモデルを作ろう」ということを、20代の若者のような気持ちで、熱っぽく語り合っています(笑)。

4万数千名が携わる「ピープル・ビジネス」

魚谷:
ところで財部さんといえば、僕が真っ先に思い浮かべるのが、以前「サンデープロジェクト」で放送された三菱商事さんの特集番組です。あれは、非常にインパクトが強かったですね。

財部:
それはどんな点でですか。

魚谷:
当社も三菱商事さんと関係が深く、同社の小島順彦社長とも以前から親しくさせていただいています。ところが、同社が本質的な構造転換を遂げようとしていることを、世間の人は知っているようで知らないところがあります。実際に収益構造も大きく変わったし、最近では特に鉱山に直接投資するなど、「自分たちがポジションを取る」ことを果敢におやりになっている。そういう意味で、あの番組には単に石炭事業が儲かって凄いということではなく、三菱商事さんのあり方自体が大きく変わろうとしている姿がきちんと描かれていました。

財部:
実は小島社長との接点も、最初はこの「経営者の輪」です。その時に、同社では従来の「手数料」による収益が3割で、投資事業から生じる収益が7割に逆転しているというお話を伺いました。こちらも同社のビジネスモデルが変わり始めているという漠然としたイメージは持っていましたが、90年代終盤から2000年初頭にかけて「商社がITビジネスなどに傾斜してしまうのは、はたしてどうか」という印象が、僕にはありました。ところが、この「経営者の輪」で小島社長にお話を聞き、そこまで収益構造が変わっていることに驚き、「サンデープロジェクト」できちんと取材しようと思ったのです。

魚谷:
三菱商事さんが、小島社長のリーダーシップの下に大きく変わろうとしている姿を拝見し、私たちも非常に心強く感じました。今日、財部さんにお会いしたら、この話をぜひしたと思っていたんです。

財部:
それは嬉しいお話です。あの番組は僕たちの側にとっても、本当にエポックメイキングな特集になった一方で、非常に苦労した回でしたから。でも僕はそれ以上に、魚谷さんに個人的興味があります。実は私はこれまで、さまざまなビジネスに携わってきたマーケターにお目にかかってきましたが、外資系企業でマーケティングを任された人の実力は、桁がひとつ違うと思っています。

魚谷:
そうでしょうか。

財部:
魚谷さんは、30代で日本コカ・コーラに来られて、マーケティングを任されていらっしゃいますよね。

魚谷:
39歳でした。

財部:
魚谷さんは副社長として迎えられ、マーケティングを任されたあとに、社長になられたわけですが、ご自身のどういう部分が評価されたと思っていますか。

魚谷:
雑誌の取材等で、「魚谷さんは若い頃から、段階的にキャリアを描いてきたのですか」ということを聞かれることがありますが、僕は「まったくそうではない」とお答えしています。僕は、ライオンという会社でマーケティングと巡り合い、留学もさせてもらった。そして、岩田さんを始めとする人との巡り合わせについても、すべては偶然の連鎖だったと感じています。実際、僕自身も、まさか日本コカ・コーラから「ぜひ来ないか」という話をいただくとは、夢にも思ってはいませんでしたから。

財部:
日本コカ・コーラさんに入社することになった経緯についてお教えいただけませんか。

魚谷:
いわゆるサーチ会社のヘッドハンターから、ホールさんという当時のイギリス人の社長が日本コカ・コーラの思い切った改革に取り組まれていると聞き、堅苦しい面接は嫌だと申し上げると、「食事でもしよう」ということで彼に会いました。話をしてみると、ホールさんは非常に温かい人柄で、何度かお会いする中で「私は将来、日本人の社長を確立したい。それが自分の、この会社での夢だ」とおっしゃいました。それで僕は、最終的に当社に入ろうと決めたのですが、そういうプロセス1つをとっても、巡り合わせだと思うのです。僕は人との前向きな関係を早く作れる方かもしれません。そこが評価されたのかな、と。

財部:
日本コカ・コーラの求めていた人材は、非常に限定された中でのマーケティング能力自体よりも、人間的な要素だったということですか。

魚谷:
そう思います。それとも関係する話ですが、ライオンの場合は、卸店さん、つまり流通の中間業者に、スーパーや薬局、歯科医などのお客様へ商品を販売していただいていました。そのお客様の店舗に、消費者が来られるのですが、われわれ若手は当時、なかなか卸店を担当させてもらえませんでした。まずは、末端の店舗からなんです。

財部:
それはなぜですか。

魚谷:
ライオンに限らず、消費財を売る会社は今もそうですが、現場の泥臭さを知らなければ良い商品企画はできないという哲学を持っていますから、まずは新入社員全員を営業現場に出すのです。僕はたまたま関西出身ということもあり、大阪の営業所で、いわゆる「ドブ板営業」を経験しました。スーパーや薬局などの店舗に営業車で通い、まずは自社製品がどこに並んでいるかを見るんです。お店の方は忙しいので、自分で倉庫に行ってケースを出してきて、ライオンの商品を並べます。当時はPOSもありませんでしたから、営業マンの七つ道具の1つと言われた「ラベラー」で、値札をマシンガンのようにもの凄いスピードで打ち、壁などに陳列棚にPOPポスターを貼る。非常に泥臭いのですが、ある意味で、ビジネスの原点のような仕事を、僕も最初はやっていました。

財部:
そうやって、魚谷さんは現場感覚を身に着けていかれたわけですね。

魚谷:
はい。コカ・コーラの場合は逆に、流通の中間業者がなくて直販です。製品開発やマーケティングを行う日本コカ・コーラ、および当社のパートナーとして製品の製造販売を行っているボトラー社があり、スーパーやコンビニエンスストアなどのお得意先の店舗がある。ボトラー社の営業担当者は皆、そういう現場仕事に日々接していて、それこそ夏の暑い日には汗みどろになって自販機の製品を補給している。そういうビジネスの原点のような部分があって初めて、日本コカ・コーラのマーケティングや広告といった、一見華やかな部分が成り立っているという思想を、この会社は強く持っています。ライオンも割とそういう会社でしたから、僕の若い頃の現場体験を、ホールさんも評価してくれたのでしょう。

財部:
その現場感覚が、マーケティングの仕事に活きてくるのですね。

魚谷:
もちろんマーケターにとって戦略的なマーケティングはもちろん重要ですが、それだけでは不十分であり、ボトラー社の皆さんと同じ目線で、現場感覚をしっかり持って仕事に取り組む必要があります。実際、「われわれはこういう素晴らしい製品を開発しました。市場調査や消費者調査の結果も上々です。絶対に売れますから、頑張って拡販して下さい」と言うだけでは製品は売れません。やはりボトラー社の皆さんと同じ目線で、「この製品を世の中にいかに提供していくのか」を一緒になって考え、取り組み、心を尽くさなければ、現場は動いてくれないのです。マーケターにとって、そういう感性の部分も重要だと、僕は思います。

財部:
なるほど。日本コカ・コーラという会社そのものが、そういう価値観を持っていたということなんですね。

魚谷:
ええ。アメリカも含めて、これはコカ・コーラ全体の考え方です。そもそも、われわれのビジネスは、IT企業などに比べれば、製品がサイエンティフィックなわけではありません。僕らは、われわれのビジネスは「ピープル・ビジネス」だとよく言っています。事実、日本全国だけでも、派遣社員やアルバイトの方も含めると4万人、正社員だけでも2万人以上が、われわれのビジネスに携わっている。その彼らが、どれだけ拠点を作って製品1本1本を売ってくれるかということと、そこにお客様を呼び込み消費を喚起するための、テレビを始めとする各種広告や宣伝の力。それらが合体したときに、本当の強みを発揮しブランド力が強まるというのがコカ・コーラの信念なのです。

財部:
確かに、外資系企業などのマーケターに会ってみると、現場には行ったことがないとか、本社の外には出たことがないという方もいます。これだけ短時間お話ししただけでも、コカ・コーラさんの場合は、そういうケースとは、マーケティングの質や考え方がまったく違うという気がしますね。

魚谷:
恐縮です。でも、自分自身のあり方を考えた時に、「魚谷さんはマーケティングの世界の人ですね」と言っていただくのはありがたいですが、その言葉が、単に製品開発やテレビコマーシャルという狭い部分での評価を意味するなら、あまり嬉しくないのです。全国各地で現場を受け持つ組織を動かし、皆と一緒になって取り組むという、リーダーとして評価していただけるのであれば、とてもありがたいと思うのですが(笑)。