ユニ・チャーム株式会社 代表取締役 社長 執行役員 高原 豪久 氏

成功の秘訣はユニ・チャームの経営をそのまま移植する

財部:
お父様の時代は事業をゼロからスタートし、国内のマーケットを中心に展開してきたわけですが、(ユニ・チャームさんは)そこから大きくグローバル化を進めてこられました。実際、皆がグローバル化と言っていたし、私も「サンデープロジェクト」などの番組で、一生懸命グローバル化を促すことが国益に叶うと思って活動してきました。にもかかわらず、私は実感として、グローバル化できない日本人の姿をまじまじと見てきたわけです。ですから、高原さんご自身はどんな思いで、どんなプロセスを経て、ユニ・チャームがここまで(グローバル市場に)本当に入りこんできたのかということを、お伺いしたかったのです。

高原:
ユニ・チャームには29歳で入り、その2年後に台湾に駐在しました。入社した時から海外統括部(当時)に配属されましたが、先ほど財部さんがおっしゃったように、うちもご多分に漏れず、プロパーで英語を喋れる社員が1人もいませんでした。うちのビジネスは紙おむつや生理用品。軽工業に属していて、人材採用は苦労続きでした。そのため当時は、英語が達者な商社さんから来た人たちのほぼいいなりで、ゴルフバッグを担いでお付き合いすることがグローバルビジネスの作法だというようなことを言われて、高給を支払っていたのです。とりあえず香港でも家賃の高い九龍地区にオフィスやマンションを構えたりと、でも、そういうことではないというのが自分が行って良くわかりました。

財部:
1994年に台湾の合弁会社で副董事長(副会長)に就任されていますね。

高原:
台湾に行って感じたのは赤字が累積していた会社なので、当たり前のことですが、人心がすさんでいました。実質52対48程度のジョイントベンチャーなのですが、台湾の会社ですから、ユニ・チャームが資本のマジョリティを握っていても、社員の数も(現地の人たちが)圧倒的に多くて、気持ちはなかなか1つになりません。ここで経営を立て直そうと言っても、自分1人では何もできない。ローカル人材の気持ちを和らげ、持ち上げて、自分が素になって、それこそ地べたに這いつくばってやらないと動いてはくれません。私がお酒の飲み方を覚えたのは台湾で、それが中国でも役に立ったりするのですが、結局ユニ・チャームがまずやったことは、相手の気持ちをこちらに向かせることでした。

財部:
新興国では日本人が働く以上には、ローカル社員は働きませんからね。

高原:
日本の会社は、100%ピュアとは言えないものの、アジアでは尊敬されています。ところがそれを、信頼や期待という段階にまで昇華させていくには、人間対人間の関係がベースになり、相当な時間が必要です。結果的に私は1年半で帰ったのですが、駐在はしていなくてもずっとコミュニケーションし続けることが絶対に必要です。これから申し上げることが多分ユニ・チャームの成功の秘訣だと思うのですが、それは日本のユニ・チャームの経営をそのまま移植するのです。

財部:
そのままですか。

高原:
そうです。日本のユニ・チャームのやり方です。もし商品だけで勝てるのなら、あるいはマージンだけで問屋さんが担いでくれるなら、販促費だけで小売さんが売り場をくれるなら、それは簡単ですし、瞬間的には売上も立つでしょう。でも問題はそれを継続できるかどうかです。そもそも川上の開発が、現地の消費者の「心の琴線」に触れるようなものを作り続け、それをマーケティングやテレビ広告やパッケージでうまくミートさせなければ、売り場や取引先とのネットワークはあっという間に瓦解してしまいます。だから、ひとつひとつを真面目に徹底的にしつこくやることがユニ・チャームの企業文化になっており、これは本当に先代に感謝しています。私を筆頭に、資質的にはまったく高くない凡人の集団ですが、やはり「凡事徹底が非凡を生む」のだとブログでも書きました。

財部:
それは一番難しいことかもしれません。

高原:
そうですね。1つのことを徹底的にやり続けるというのは、決してステレオタイプのやり方ではなく、その中には常に変化を求めるとか、先ほど醤油のお話が出ましたが、差別性を求めることも含まれます。確かに、慣れ親しんだ味を変に変えると逆に売れなくなるかもしれませんが、ユニ・チャームの商品は、良い方向に変える場合、「少し良い」では駄目で、圧倒的に良くしないとブランドは変わってくれません。その意味で、徹底して継続するという企業文化も、決して「金太郎飴」とかステレオタイプに同じことをやり続けるのではなく、変化を継続させるとか、差別性にこだわるとか、1人の成果よりも集団の成果や達成感に重きを置いています。

財部:
ずいぶん根気が必要なことをやっていらっしゃるのですね。

高原:
今の日本企業すべてがこういう価値観を持っているとは限りませんが、やはり日本人のDNAの根底につながっているやり方だと思っています。それを、アジアやオーストラリアやアメリカも含めて(海外で)同じことをやっていくのです。日本人だけでもこれだけ多様なのですから、中には適合できない社員もおり、何人かは辞めていかれます。海外に行ったらもっと違うのですが、中国でも13億人、インドでも12億人の人々がいるわけですから、こういう経営のやり方に賛同し、一緒にやっていこうと思ってくれる人たちは大勢いると思っています。

財部:
確かに中国にも、日本人から見ていい人はいますし、その意味で、それぞれの国に形を合わせるのではなく、ユニ・チャームの経営を持ち込んで、同じ価値観を持ち共有できる人が活躍してくれればいいという考え方なのですね。

高原:
そのために企業理念・企業倫理に則って全役員、全社員が行動するための行動指針を体系化し、現地語に翻訳した、この「ユニ・チャームウェイ」というバインダーを皆が持っているのです。

財部:
「ユニ・チャームウェイ」の存在は知っていたのですが、こんなに分厚いものだったのですか。

高原:
ええ。全社員にこれを携帯しなさいと言っています。私自身はiPadにもインストールしています。

財部:
拝見してもよろしいですか。

高原:
どうぞ。これは私のものですので。こちらが中国語版、英語版ですが、まったく同じものを作って同じように各国で配布しています。メモにちょこちょこ漢字を書いているのは、年末に新年への決意を漢字1文字に込めて発表するためです。今はなかなかメモを取りませんから、とにかくメモを取りなさいと言っています。

財部:
なるほど。

高原:
それと、当社ではキャリアプラン、キャリアパスを自己設計し、活動にまで落とし込むという「10年キャリアプラン」という活動を行っています。もちろん自分の都合も会社の都合もありますし、まずその通りにできることはないのですが、10年後にこういう仕事がしたい、では逆算して今どういうことを勉強しなければならないのかということを自分が主体的に考えることが重要です。私は29歳で入社してから最初に、20年かけて社長になるまでに、どんなポストで何年間何をやるかということを書いて父に提出しておいたのですよ。それが、結果的に半分になりましたが、本当は20年ぐらいかけて、現場をすべて経験しようと思いました。

財部:
では、このキャリアプランは第三者的に人事政策としてではなく、まずご自分が取り組まれたわけですか。

高原:
そうです。プラン通りにはならなかったのですが、人から与えられるのではなくて自分で考えることが大事だと思いました。やはり創業オーナーがいて、曲がりなりにも(会社が)そこそこ成功してきたら、どこの会社でも、社員は自分で考えなくなります。私が29歳で入社した時に父は60歳ぐらいでした。60歳といえば現役バリバリで、皆がそちらを向いていて、この人の言うことを聞いていれば、まだまだユニ・チャームは伸びると誰もが思っていました。でも過去の成功は役に立ちません。むしろ皆が一緒になって今起こっていることを見つめ10年ぐらいの大きなトレンドを見極めれば、大きな間違いはなくなり、ある程度の幅の中で方向性は判断できる。ならば、そこから先に経営資源を投入し、私たち経営者の頭の「時間割」も、そこから組み立てて行きましょうということにしたのです。

財部:
高原社長が、ご自身のキャリアプランを作られたのは29歳の時で、結果的に半分の時間で終えられたとおっしゃっていますが、それは(ご自身のプランを)ほぼ達成できたというか、納得のいくものだったのですか。

高原:
1つだけ心残りなのは、生産現場の社員から「社長はモノづくりの現場を経験していない」と言われることです。私は、トヨタさん流の現場改善などの社外コンサルテーションにも率先して参加し、理屈だけはしっかり学びました。現場で紙おむつを1枚も作ったことはありませんが、学生の時に四国の工場で、紙おむつの詰め替えのアルバイトをしました。その時「なぜ綺麗な新しい段ボールを破り、別の段ボールに詰め替える作業をするのだろう」と思ったのですが、それは売れ残りを抱えていたわけです。まさに、販売計画が達成できないとどんな無駄が起こるのか、在庫は会社にとってどれだけマイナスになるかが強烈に記憶に残りました。

財部:
そうですか。

高原:
社長になる前に、取締役を務めた時「疑似カンパニー制」という制度を実施し、グローバル化にタイミングを合わせて組織改編を行いました。商品カテゴリー別に、国内外の(事業の)統一および(ビジネスの)川上から川下までを事業部長がすべて責任を持つという、会社のフレームワークを再構築したのです。私は生理用品の事業本部長を2年半務めました。これが社長職以外では一番長いキャリアです。

財部:
そのキャリアの中で学んだことは何ですか。

高原:
それぞれの職種の中で、何が価値の根源なのか、「成否を決めるボタン」がどこにあるのかがよくわかりました。また経営戦略担当役員をやっているよりも、ライトパーソンを的確に見極めることができました。そういったものを理解した上で、ユニ・チャームでグローバル化できる事業はベビー用紙おむつと生理用品しかないと判断しました。

財部:
ベビー用紙おむつと生理用品にグローバル化を絞ったのはなぜですか。

高原:
カテゴリーとしての困窮度もしくは必需度が高いからです。(対象国の人々の)収入がまだ低い段階でも、生理用品は普及し始めるのです。そこで生理用品を皮切りにグローバル化の先鞭をつけたのですが、事業部長時代に立ち上げた海外の新事業もありますがる、何年も鳴かず飛ばずの期間もあるのです。一般に、先行投資をして広告費を売上高以上にかけるべき時期もあります。でも、そういうことはサラリーマン社長にはなかなか決断できないのかなと思います。1期2年、3期で(社長の任期が)終わると言っていたら「常に10年先を読み、メガトレンドに照らしてビジョンを描く」と言ってもなかなか難しいですよね。しかし、そういうことを、こうした環境下でやらせていただいたのは大変ラッキーな経験だったと思います。

財部:
拝見した資料の中で、高原社長は「キャリアを積んだ日本のユニ・チャーム社員の中でも、これはという知識や経験を持ったエース人材しか海外に送れない」、しかも海外に行くなら10年スパンだとおっしゃられています。それを実行するのはなかなか難しいですよね。

高原:
本当にそう思いますね。それは自分の場合、台湾は1年半の駐在でしたが、そういう経験から見ても、エース人材でないと成功は難しいと思います。先ほど財部さんがおっしゃったように、海外の人たちは(日本人社員を)「値踏み」するわけです。どれくらいの能力があるのかを見ているのです。これは目算ですが、日本で100の難度の仕事を任されて成果を出せた人材でも、海外では120のパワーを発揮できないと同じ成果は出せません。だから10年スパンで、その分野のエースを出さなければ、成功する確率は低い。成功の確率が5割では途中で社内が萎えます。絶えず成功確率7、8割で進んでいかなければ、途中で「やはり当社はドメスティックだ」とか「国内でまだシェアを上げることができるのではないか」というムードになってしまいます。

財部:
なるほど、海外の成功確率が国内本体に跳ね返ってくる。

高原:
そうだと思います。ですから絶対に成功確率の高いエースでなければダメです。