JFEホールディングス株式会社 數土 文夫 氏

志を実現するための“How to do”を自ら考えなければ駄目

財部:
ところで、JFE統合に至る経緯というか――、數土社長に伺いたいことがたくさんあるのですが、最終的に素晴らしいと思ったのは、やはり経営は数字であり、数字というものに、ありとあらゆるものが集約されるわけですよね。その意味で、數土社長は川崎製鉄とNKKの統合にあたり、当時3%台だったROSを10%にすると明言されたわけですが、これは普通に考えると大変な数字です。どこから、こういう数字が出てきたのですか?

數土:
今から8年から9年ぐらい前まで、鉄鋼は30年間ずっと停滞していました。今でこそ、鉄鋼業のROSが10%以上あるのは普通のことになりましたが、当時、鉄の業界でそういう数字を明言していた人はいなかったと思います。でも僕は、できるかできないかを議論するよりも、「連結ROS10%」をまず達成する。会社のあるべき姿は、やはりこうでなければならない、と思ったんです。つまり、志をまず持ち、そして勉強をして、その志を達成するための“How to do”を自ら考えないと駄目だ、と思ったわけです

財部:
ほお。

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數土:
僕は、物事に成功するためには、3つの要素があると思っています。それは志を持つことと、それを達成するために勉強をすること。そして、実践することです。ところが、これは成功のための必要条件ではあっても十分条件ではありません。実際、この3つをやっている人はたくさんいますが、成功する人は限られている。そこで、成功した人の姿をよくみてみると、みな志を持って努力し、そこに賭けていて、決断しているんですね。

財部:
そうですね。

數土:
これが1つのことに成功するための必要十分条件。同じように、僕はリーダーの持つべき資質も3つあると思っていまして、それは第1に、何でもいいからスペシャリストであること。つまり自分のビジネスや守備範囲、フィールドで、相手が誰であっても自信たっぷりに話ができ、それが東京や日本だけでなく世界のどこに行っても通用すること。そして第2に、自分のビジネスが10年後、20年後にどうなっているのかを見通す、将来展望能力を持っていること。さらに第3が、それを実行するための“How to do”を考えられることです。

財部:
ビジネスリーダーが、あるフィールドのスペシャリストであることは、とても重要だと思いますね。

數土:
おそらく、先の丹羽さんのお話は、少し前の日本の経営者はスペシャリストではなかった、ということなのでしょう。ジェネラリストは下にごまかされるというか、政治家でいえば官僚の言うことを聞かないと駄目だから、部下に対して強い指導ができません。また、将来展望や“How to do”を考えることも、下に任せてしまう。これまで日本ではそれでやってきた人が経営者として「いい人」だと言われてきたわけで、結局リーダーに必要な3要素を、ジェネラリストという訳の分からない言葉でカモフラージュしてきた経営者は、何も持っていなかった。これを丹羽さんはおっしゃっているのでしょう。

財部:
そうだと思いますね。

數土:
もう1つ重要なことがありまして、日本では昔、「コスト+適正利潤=売値」だと考えられていたわけですが、さすがにそれは戦後に終わってしまって、今度は、「売値はお客様が決めるもの、そしてわれわれが一所懸命にコスト削減をやる。そこで残ったものが利益だ」ということになった。ところが、結局、売値の変動によって赤字だとか黒字だとかになって、(経営が)人任せになってしまっていたわけです。僕はその時に、「収益とは最大の『確保すべき固定費』であり、売値から収益、すなわち確保すべき10%を引いた残りでやっていくべきだ」と考えた。そこで大事なのが、われわれ自らが売値を決めていけるようなビジネスを、いかにして行っていくか、ということになるわけです

財部:
はい。

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數土:
鉄鋼業界は「鉄のデパート」のようなもので、高炉メーカー6社が皆同じものを作っている。だから川鉄とNKKが統合したときに、ウチしか作れないオンリーワン、あるいは、他社にも作れるがウチが圧倒的なアドバンテージを持っているナンバーワン商品を伸ばして行こうと考えました。実際、両社の統合時には、オンリーワン、ナンバーワン商品の対売上高比率は6〜7%程度でしたが、いまは約30%です。こうした商品は、われわれメーカー側が強い価格交渉力を持つため、これらの比率が上がれば、売値から収益確保分を引いたコストでやっていける。そういう一大決心をしまして、「ROS10%」と言ったんです。

財部:
いまお話をお伺いして、「ROS10%」という数字の向こう側にある背景がみえてくると同時に、その数字の重さを痛感します。でも私が驚いたのは、それを実現するプロセスで、御社が手がけられていた数多くのビジネスの中から「ワースト30」をピックアップし、改善要求をして改善できない商品はやめてしまう、という施策を取られたことです。商品をやめるとはいっても取引先がいるわけで、「とりあえずこれはやりません」と取引先を巻き込んでやめてしまうのは、従来の延長線上ではないですよね。

數土:
たしかに営業から一番、心配の声が上がりました。要するに「ワースト30」と言ったら、言葉の響きからしても、われわれだけでなくお客様にとっても「ワースト」だということになる。そのため「(お客様に)収益が上がらない、黒字にならない、儲けが少ないと言うのは失礼だ」というわけです。そこで僕は、「それはけっして失礼ではない、『ワースト30』を売っていることが失礼なんだ。お客様から評価してもらえない、価値のないものを、われわれが押し付けていました、と言ったらどうか」と僕は話しました。

財部:
つくづく思うのですが、会社が大きく変わらなければならない、価値転換をしなければいけないとき、経営者がいくら強く言っても、人はそう簡単には変わりません。だから、具体的なビジネスの手法を変えるといったことを実際にやらせてみてはじめて、社員は「本当にウチの会社は変わっていくんだな」とか「自分は変われなければ遅れていくんだな」ということを、事実や行動として理解するようになりますよね。

數土:
そうですね。

財部:
ところで、數土社長は中国の古典についても話をされていますが、やはりそこから多くを学ばれたのでしょうか。

數土:
私はやはり、経営者やトップは、どこか修羅場を体験していないと駄目だと思うんです。先ほどの田アさんのように、いきなりアメリカに行ってこい、英語もしゃべれない、しかも誰か現地にサポートがいるわけでもないという修羅場を、経営者は自らくぐっていく必要がある。ところが人生において、そんな修羅場を体験できるという機会はなかなかありませんが、唯一それを疑似体験できる方法がある。それが歴史に学ぶことなんです。たとえば渋沢栄一の本であるとか、『史記』や『十八史略』といった歴史書を読む。そのうえで、たとえば外国の政治家や要人と話をしたら、「これは『史記』のどの場面に合致するだろうか」あるいは「そのときに項羽、劉邦、秦の始皇帝はどういう行動を取っただろうか」と考えるのです。明治の元勲は、多くが下級武士でしたから、おそらく彼らはみな、そうした疑似体験を持っていたのでしょう。勝海舟などはもう、その最たるものだったろうと思いますね

財部:
これはぜひお伺いしたかったのですが、川鉄もNKKも、このままでいったら本当に危ない危ないという中で、統合という選択をされましたよね。当然、そこに至るまでにはさまざまな考え方があったでしょうし、數土社長はJFEスチールの社長になられてすぐに「連結ROS10%」という数字も出されました。こういう中で數土社長は、実際に『史記』なり『三国志』なり、歴史の場面を思い浮かべながら経営判断をした、ということはおありなんですか?

數土:
ありますよ。「ルビコン川を渡る」という、そういう場面を思ってね。やはり、楽しい将来のことを思い描かなければ、とてもやっていけません(笑)。

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財部:
「川の向こう側には、明るい未来が拓けているはずだ」と思い描くわけですね。

數土:
ええ。あるいは、どこかで誰かと協力しなければならないときには「赤壁の戦い」(208年に赤壁の地で、呉の孫権と蜀の劉備の連合軍が、魏の曹操を破った戦い)を思い浮かべるとか。また中国の戦国時代(紀元前403〜同221年)の食客(特別な技術や才能があるとして召し抱えられた客人)は、皇帝や王の特命全権大使として交渉に赴きますから、みな間違いなしに自分の生死を懸けています。たとえば相手方に使いに行くと、王の横に釜茹での刑に用いる大きな釜が用意されていて、その脇を通らされる。また剣戟(けんげき/剣や矛の意味)や槍で武装した兵士たちの中を、1人で通って相手方の王に会いに行く。その時に震えていてどうするか。自分もそれに近いような状況になったとき、たとえ自分にはそれが初体験ではあっても疑似体験があれば、槍衾の中を行く孟嘗君(もうしょうくん/戦国時代の斉の宰相)になったつもりで、英雄の気持ちになれるかもしれないわけですからね。しかも幸いなことに、歴史には成功したことしか書かれていませんし――。

財部:
であればなおさら、最終的にはハッピーエンドになりますよね(笑)

數土:
ハッピーエンドになります(笑)。ところが、結果ばかりを心配していて、そこに突き進むことをためらったら何もできません。もしそういうことが嫌だったら、部長にも役員にも、社長にもなるなと、いうことなんですよ。

財部:
なるほど、お断りしろと(笑)。

數土:
そう思いますね。僕は富山の田舎で育ったんですが、梅雨のときは雨ばかり、冬は雪ばかりが降っているところでした。親父が給料の3分の1ぐらい本を買っていて、僕も小学校5、6年頃から『トルストイ大全集』や『明治文学大全集』を読み始め、「鉄仮面」や「アイバンホー」、ビクトル・ユーゴーなどを読んでいました。そうした中に『史記』や『三国志』もあったのです。僕が小学6年から中学1年の夏にかけて、吉川英治がざらざら紙の『三国志』14巻を出した。そうしたら親父がそれをすぐに買ってきて、夜の12時頃まで読んでいました。そこで僕は12時半頃に、その『三国志』をこそっと取ってきて、家に1台しかない蛍光灯の下で、それを朝まで読んで、知らん顔をして元に戻した。そのあと、6キロの道のりを小学校とか中学まで通ってね――。その魅力には何もかなわない。