人生と経営判断の「修羅場」を、歴史で疑似体験する
JFEホールディングス株式会社代表取締役社長 數土 文夫 氏
財部:
取材を続ける中でよく感じるのですが、経営者の皆さんは、中堅企業に至るまで、「経営者の経営者たる資質」や心構えというものを、本当に強く持たれています。同様に、90年代末に上場した新興企業などにも素晴らしい経営者がいて、かつてのホリエモンのような考え方が、けっして絶対的ではないということがよくわかります。ただやはり、メディアではどうしても、視聴者に観てもらっていくら、というところが最初にきてしまうものですから、「いま日本にとって必要なものは何か、何が真実なのか」という点に、必ずしも価値観が置かれない部分があるのを感じていますね。
數土:
僕は、いま財部さんがおっしゃったような話で、昨年の夏休み頃から暮れまでの間に、経営者としての人生観や姿勢を変えられるような本にいくつか出会ったんです。その1つが、早稲田大学の加藤諦三教授の『格差病社会』。これが非常に面白い話で、結論から先に言いますと、日本人ほど競争を意識して競争に負けるのを嫌がる国民はいない。したがって、一番競争を意識しているのが日本人であり、負けるのが嫌だから終身雇用制度や年功序列制度を作った。ところがバブル崩壊後、大企業でもリストラをやらざるを得なくなり、年功序列と終身雇用制が崩壊し、それで皆が心の安寧、バランスを失った。多くの人に差別感が生まれ、これまで日本人が持っていた「皆で一緒にやっていこう」という、いわば「心の安全弁」とも呼べるものがなくなってしまった。その結果、何が出てきたかというと、鬱病です。
財部:
なるほど。
數土:
これは僕にとっては非常に説得力があって、そういうことを経営者は理解して、リストラや組織再編などをやっているのかどうか、と感じました。そしてもう1冊は、オランダ人で日本におられたこともある、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』(原題:"The End of American Hegemony")。これは、アメリカの支配は終わったんだ、アメリカナイズされたものをグローバリゼーションだといっても、もはや世の中には通じない。皆、そこに気付こうよといっているわけです。その本を読んだあとすぐに"Making Globalization Work"(邦題:『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』)を読んだのですが、"globalization"というものをもう1回再構築しなければならない、と思いましたね。
財部:
それはどういうことですか。
數土:
米国などが言っている"globalization"が格差を作っているということなのです。日本には「三角合併が解禁されて短期資金導入が円滑に進む」と言う人がいますが、これはあさって≠向いた議論だと思いますね。
財部:
まったくその通りだと思います。
數土:
つまり日本に資本が来ないのは、ひとえに法人税等が40%と非常に高いから。それと、製造業については設備の償却年数が非常に長いんです。(たとえば製鋼設備の耐用年数は)14年で、ようやく改正されましたが14年が経過しても償却可能限度額がが95%で、簿価の5%は残しておかねばならなかった。ところが、国によっては7年で増加償却(機械装置などが通常の平均使用時間を超えて稼働している場合、償却限度額を増加させること)ができ、4年で強制償却が可能なところもあります。また日本では、つい最近まで、不景気になった時に製造ラインを止めること自体が「悪」と考えられていました。ラインを止めなければ新しい製品も発想も出てこないのに、それを止められないということで、値段をもの凄く安くしてでも仕事を取っていた。実際、戦後、高炉メーカーはつい最近まで単独で3%連結ではもっと低いROS(売上高経常利益率)でしたから、とても14年では元が取れないわけです。
財部:
はい。
數土:
これではもはや、世界で通用しなくなっているというのに、それを放置したまま三角合併を解禁したところで、日本にいくら企業が立地しても、アメリカやEU、BRICsには勝てない。いま日本企業は、現金や資産、不動産、あるいは技術などのストックを持っていますが、(三角合併で)それを奪われたあと、ポイと捨てられかねない。日本企業がカモにされるような環境になっているわけです。これはなんという制度だろう、という思いが非常にありますね。
財部:
それはやはり數土社長が、グローバル競争とは何かをよくご存知だから、そうおっしゃるのだと思います。正直に申し上げると、私はとくにこの4、5年、海外を随分回ったのですが、「日本の会社はここまで出来が悪いのか」と愕然としました。確かに、コンシューマービジネス、たとえばエレクトロニクスや自動車産業は現在でも強いのですが、そうはいっても、BRICsのように歴史も伝統も皆違い、個性的な国々では、かつて商社が欧米で引いてくれた線路の上に、物を載せていって済むような話ではないんですね。いまこれだけBRICsだと言われているのに、市場に全然参入できない、あるいは参入しても、何か起こるとすぐに帰ってきてしまう。私がみる限り、世界の中で闘うグローバルプレーヤーであるべきマネジメントも現地の駐在員も、あまりにも「ムラ社会」の論理で動いています。これでは21世紀の日本は存在しなくなるのではないか、というぐらい、国際的なルールやビジネス習慣、あるいは価値判断基準と、大きくずれてしまっているのではないかと思いますね。
數土:
しかし、非常に立派にやっておられる会社もあるわけです。
財部:
それはそうですね。ただ、じつは私が「サンデープロジェクト」でBRICsの取材をしたとき、そういう良い会社を探すことが本当に大変だったのです。
數土:
そうですか。
財部:
でもやはり、日本人や日本企業は強く、"made in Japan"は依然として、きらびやかなブランドイメージがありました。でも中国では「"made in Japan"にはリスペクトはあるが、日本人にはリスペクトがない」。あるいはブラジルでは、「日系人にはリスペクトがあるが、日本人にはリスペクトはない」というように微妙な差があって、これだけ大きく世界が動いている中で、世界をあまりにも知らない会社がやはり多いなあ、という感じがしています。
數土:
それはやはりEUや中国、ブラジルやアメリカなどの場所、あるいは時代によって、経営の原則であるとか、成功する環境が違ってきているのに、日本人はすぐに誰かに合わせようとして我を忘れてしまう。ひいては、自分の良い所まで忘れてしまうんですね。だから、かつてエズラ・F. ヴォーゲル氏が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書いたあと、日本はバブル崩壊から立ち直り、『日はまた昇る』(ビル・エモット著、日本語版は06年1月に刊行)と3、4年前に言われたのですが、いまではもうBRICsが上がってきて、日本は1人当たりGDPも かつては世界最高レベルだったのに、06年には18位になってしまいました。この実態は、日本人、とくに政治家が知らないうちに、日本がいま二流国になりつつある、ということだと思いますね。
財部:
これは、社長という立場でぜひ伺いたいのですが、今回ご紹介いただいた伊藤忠商事の丹羽会長に以前、「日本の経営者には、本当に優秀な人が少ないのではないのですか? 昔はもっと優秀な経営者がいたのではないですか?」と申し上げたら、「財部さん、それは違うよ」とおっしゃっていたのです。
數土:
私もそう思いますよ。
財部:
そうですか。私が丹羽会長に「それはなぜですか?」と聞いたら、たとえば一昔前は、会社が含み益だらけで、「決算はどうしますか」と経理部長が言ってくれば、「次はこの位だ」という具合で、何も経営をしていないのと同じだったということです。しかし、バブルが崩壊して本当に厳しくなったときに一体何をするのか、という意味で、「やっとまともな経営者が日本にも現れてきた」と、丹羽会長はおっしゃっていました。
數土:
僕も、考え方は一緒ですね。思うに、いまの日本をここまで持ってきたのは、昭和10年から15年生まれの経営者。たとえば御手洗さんや張さん、丹羽さんとか、そういう人たちが頑張ってやってきたのに、その次の世代が生まれてきていません。これが日本にとって重要なことで、なぜそうなってしまったかというと、僕はやはり教育だと思いますね。
財部:
昭和15年頃までの教育と、いまの教育における、決定的な違いとは何なのでしょうか?
數土:
やはり、自分は大人になったらこうなりたいという、人生において志を持たせられるかどうかということでしょう。いまの人は、会社に終身雇用制と年功序列があれば、そこに救われると思って安心している。つまり志や夢がないわけです。志や夢があれば、本気になって勉強もするし、それを実現するために決断・実践もする。しかし、この前も学校の先生に聞いたのですが、いまの中学生、高校生は安定した職業を選んで、そこでゆったり人生を送りたいという。これでは、もう世界に勝てません。
財部:
そうですね。
數土:
僕の中国の友達の話では、上海、北京の中学生は、母親も勤めているので、家を朝6時に出てから夜9時過ぎにならないと帰ってこない。それだけ勉強しているのだといいます。(彼によれば)日本のゆとり教育は「ゆるみ教育」で、ロボットの競技会や子供の数学オリンピックで日本が勝てなくなったのも、それが原因だと。実際、歌舞伎でも、最初は文句なしに基礎を教えるじゃないですか。それをなくしてしまったら、どうなってしまうのか。これは、今の若い50代、40代の政治家や経営者にも言えるところがあるので、僕はちょっと危機感を持っていましてね……。
財部:
たしかに戦後の復興を機に、人間として最も力が入る20代や30代に大きく活躍した人たちは、その後、経営者になってからも一本筋が通っています。これは、やはり彼らの後から出てきた経営者たちとは、明らかに違うものがありますよね。この「経営者の輪」をやっていて本当に勉強になったのですが、私が「今の若い人は問題ですね」と話をしたとき、川崎重工の田ア会長が「いや、しかし、振り返ってみると、われわれはラッキーだった」と、非常に面白い言い方をされたんです。
數土:
ほお。
財部:
というのも、田アさんは若い頃、販売網もサプライチェーンも何もない中で、突然「お前、今からアメリカに行ってこい」といわれたそうなんです。「何をするんですか?」と聞くと、「オートバイを売ってこい」という。そこで「誰に売るんでしょうか?」というと、「そんなもん、自分で考えて売ってこい!」と、こういう経験をさせられて育ったのが自分たちだったというわけです。ところが「いまの30、40代に『アメリカに行ってこい』といっても、むこうには何もかも揃っているから、彼らはアメリカに行っても何も学べませんね」、と田アさんはおっしゃられていて、何となく腑に落ちた所があるわけです。
數土:
なるほど。やはり若い頃に厳しい体験をされた方々が、今の日本を作ってきたのですね。