財部:
その中で、たしかに電子部品のデバイス部門だけが、依然として17兆円という世界のマーケットの半分を抑えています。それから自動車産業もなんとかやっている。その意味では、日本の製造業は強いと言えますが、これまでの流れの、電子部品産業とエレクトロニクスメーカーは同じような速度で成長していくという話は、いまやもう揺らぎ始めているのではないかと私は認識しているのですが、その辺はいかがでしょうか。
村田:
日本の電機メーカーさんは、原子力や自動車関連からパソコン、携帯電話、テレビまで非常に幅広くやられています。それですと「ウチのコア技術はこれだから、戦略的にこれを強化して、最終的にはこのような姿に持っていく」という長期計画が見えにくくなるきらいがある。もちろん日本の技術は優れています。しかし、携帯電話の世界シェアで判るように技術的なベストが必ずしも世界を制覇するのではなく、マーケティングを重要視するという考え方も見逃せません。「グローバルマーケットはこういう動向にあるから、こちらの方に肩入れをして、日本市場はメインとは考えない」、というようなアクションをとっていたら、状況は多少違っていたと思いますよ。
財部:
皆が同じようなビヘイビアを取っていたのは驚くべきことですよね。これは業態の違いなのかもしれませんが、まさに村田さんが社長を務められた16年間こそ、経営についての価値観やものさし、考え方が大きく変わった時代だと思います。その中で、私はいま村田さんがおっしゃったようなグローバルな市場観を「グローバルセンス」という言葉で説明しているのですが、取材を重ねれば重ねるほど、日本の基準に閉じこもらず、つねに世界全体を認識し、その中で自分の会社の経営方針なり技術をどう位置付けるのかを考えて、やっていかなければ駄目だと思うんです。村田さんはどんな意識で、マネジメントをされてきたのでしょうか。
村田:
戦略の違いでね、たとえば京セラさんのように、部品製造もセットもやるという会社もあるし、当社の従業員の中にも「セットをやりたい」という人もゼロではありません。実際、当社が手がけている部品を寄せ集めたら、セットの何分の1かはできあがってしまうだろうということもある。でも当社は、お客様と競合はしない。あるいは逆に、お客様が部品の分野に参入して来られるという可能性もある。しかし、われわれは自社が強みを持っているコアテクノロジーを伸ばしていくことによって、それに十分対抗できると考えています。
財部:
自社のコア技術がいかに大切か、ということですね。
村田:
じつは私が社長になったとき、「村田製作所の強みは何か」と、全社員に問いかけたんです。すると「村田製作所は技術が強い」、「技術力だ」とか、あるいは「科学的管理をしている」という。ところが現場をよく調べてみると、たとえば実際には「科学的管理」ではなく、どちらかといえば名人芸的経験を積んだ技術屋さんが、勘に頼ってやっている。それではいずれ行き詰まってしまうではないか、ということですよね。そこで、セラミックスを焼く焼成技術や電気炉を開発する技術など、「これぞ村田製作所の技術」といえるものを、約110項目リストアップしました。その技術を8個の「テクノロジーグループ」に分けました。それらをもう1段階、29個の「テクノロジーユニット」に整理し、さらにその「ユニット」の中にまた「テクノロジーセル」というのをつけると、ムラタの技術が117になるんですね。
財部:
ほお。
村田:
29個のテクノロジーユニットそれぞれについて、部課長が「チーフプロモーター」を務めます。彼らは、その技術が世の中でどんな位置付けなのか、またその技術がナンバー・ワンならば、その地位を維持するためには何をするのか。あるいはナンバー・ワンでないとしたら、どこをベンチマークするのか、といったことを検討します。そのうえで、各チーフプロモーターたちが「テクノロジーフォーラム」という技術成果発表会を開きます。
財部:
その発表会では、どんなことをされるんですか。
村田:
そこには他の技術部門からでも参加でき、情報を取りに行くことができます。極端な話、以前は、隣の技術部門が何をしているかということさえわからない、ということがありました。それじゃ具合が悪い。自分が何かを開発しようと思ったら、どことどこの技術を組み合わせなければならないのかを認識する必要がある。その意味で、他のテクノロジーのフォーラムに参加して意見を言い、あるいは質問することによって、より開発がしやすくなるわけです。さらに、それぞれのテクノロジーユニットがナンバー・ワンを目指すことによって、それらの技術の組み合わせによって作られる部品は必ず、レベルの高いものになるに違いない。このようにテクノロジーや開発に力を入れ、要素技術を分解していくことによって、村田の強みをさらに技術面から把握しようと考えました。
財部:
そうやって、各技術部門の交流がうまくいくようになったわけですね。
村田:
それから各技術について、今後10年間のテクノロジーロードマップを各技術開発部門に書描かせるようにしました。最初の頃は1、2年先程度のロードマップしか描けなかったのですが、言い続けるうちに5、6年程度見通せるようになってきた。しかし、いくら技術が煮詰まったからといって、お客様は必ずしも製品を買ってくれるわけではないので、モノを売るためには別の仕掛けが必要です。そうなると技術面だけのロードマップだけでは不十分になってくる。どのような商品が10年後にどのように必要とされていくかという、プロダクトロードマップも必要になるわけです。そうした「絵」を、こんどは商品事業部が描き入れるようになってきたわけです。
財部:
すごい発展のしかたですね。今は10年後のコア技術、そしてそこから生まれる商品の姿を、絶えず予測しながら技術と販売とバランスをとりながらの経営が実現されているんですね。
村田:
「自分たちのテクノロジーは素晴らしい、こんなに良い商品ができるんだから、どんどんお客様に売り込んだらいい」、という唯我独尊に陥らならないために、お客様の声を反映した10年先の市場がどうなっているかを、つねに頭に入れておく必要があります。そこで、営業・マーケティング部門がマーケットロードマップを書くわけですね。
財部:
なるほど。
村田:
とはいえ、お客様からの情報はなかなか得にくいのですね。Non Disclosure Agreement(秘密保持契約)を結んだりしながら、お客様の研究開発の早い段階から参加させていただいたりして、それをもとにしてマーケットロードマップを10年先まで描いてもらう。そうするとテクノロジー、プロダクト、マーケットのロードマップが出揃い、その中でオーバーラップするものに集中して商品開発やR&Dの予算を充てていけば、新商品のヒット率が高くなるはずです。実際、こういう考え方の下に仕組みを作り、私自身それを言い続けて実践してきたので、最初は売上高全体に占める新商品の比率が14〜15%だったものが、8年間で30%を達成するようになりました。
財部:
30%は凄いですね。「ロードマップを描く」という技術も村田のコア技術のひとつといっても過言ではないですね。これは一朝一夕でできるものではないですからね。
村田:
そうですね、やはり言い続けるしかないですね。それから私は、社長時代の最初の8年間は技術開発部長も兼任していたので、技術成果発表会には必ず出ていました。すると、だいたい技術部門の課長クラスが「こういうテーマをやりたい」というようなプレゼンテーションをするわけですが、「私は技術がわからない。私にわかるように説明してくれ」と言い続けました。
財部:
そういうことを繰り返すうちに、ロードマップがだんだん精緻になってくるということなんでしょうね。それからテクノロジー、プロダクト、マーケットの3つのロードマップが出揃い、その接点の中から方向性がみえてくるようになるというお話がありましたが、これはやはり村田さんご自身の頭の中で、「ここだ」ということが分かるんですか。それとも、組織として結論が出てくるものなんですか。
村田:
事業部長や、開発担当者がこういうところがウチの強みであり、この技術を利用したらこんなモジュールができてくるんじゃないか、と判断することもあります。一方、お客様からこんな要求があるのだが、それに合わせようとすると、この部分が足りないから、他社から技術を導入するかアライアンスを組む。あるいは自前でやったら何年かかり、これぐらいのコストがかかるけれどもやってみようという、議論・提案が出てくるんです。その都度、皆の提案が良ければそれを受け、場合によってはM&Aを実施するということも行ってきました。
財部:
みごとに強い組織が出来上がっていますが、村田さんが社長時代に一番苦労されたところは、どんなところなんですか。
村田:
まあ、社長時代もそうでが、その前も苦労が多かったですね。以前、生産子会社である福井村田製作所の専務を3年間務めたのですが、当時の社長は創業者で本社社長も兼任していましたから、しょっちゅう福井に来るわけではない。そういうわけで、私は専務とはいえ、実質上、現地の常駐責任者をしていたわけです。しかも3年間なら3年、何を勉強してこいというような指示もなく、いきなりぽんと専務で出されましたから、「一体私は何をすればいいでしょう」ということから始まったんですね。
財部:
何も説明がなかったんですか。
村田:
そんなものは何もなかったから(笑)、ひとつひとつ勉強していかなければならなかったのが、ちょっと困まったんですね。
財部:
それも、お父さん(同社創業者の故・村田昭氏)の教育ということなんでしょうね。
村田:
ええ。福井時代に、ときどき父からメモをもらうのですが、「***が問題」と、一行しか書いてないんですよね(笑)。
財部:
たった一行ですか(笑)。
村田:
まあ当時は赤字の商品もあったし、「***が問題」というのはよくわかっていました。でも「どのようにしろ」とかいうのは一言も書いてない。「問題だからお前が考えろ、どうして解決したらいいかを考えるのはお前の仕事だ」ということなんですね、要は。
財部:
ほお。それはなかなか厳しいですね。そういう話は初めて聞きました。村田さんはその都度、問題を解決していかれたんですか。
村田:
そうですね。とくに商品のコストダウン、マーケットのトレンドをつかむのは、結構厳しいものがありました。福井村田には、傘下の工場が多数ありまして、とてもひと月では回りきれないくらいだったんですが、工場へその都度出向き、いまどんな設備がどれだけの生産性で動いていて、何をやればコストが何%下がるということを聞き出し、現場に行って機械を動かしているのを見る。その繰り返しで、コストダウンの様子がわかるようになるんですね。
財部:
やはり、当時から「現場、現物、現実」を大切にされていたんですね。
村田:
ええ。それから、皆がどんな提案をしてくるかも大切です。予算取りのときに、どんな設備を購入するために、いくらコストをかけるのか。その設備投資はこのぐらいで回収できる、ということを具体的に話してくれるので、実際にコストダウンが行われていくことはよく把握できました。そのときに機械設備の生産能力なども大概は覚えてしまいました。それがあとあと、経営全体をみるときの役に立ったんです。
財部:
やはり経営という点では、規模の大小に関わらず、本質的なものは同じものだったんですね。
村田:
そうだと思いますね。