「失敗」の積み重ねこそ、企業のかけがえのない財産である
株式会社堀場製作所代表取締役会長兼社長 堀場 厚 氏
財部:
今回は、村田製作所の村田会長にご紹介をいただき、お邪魔した次第です。先ほど、お父様(堀場雅夫最高顧問)と少しお話をさせていただいたんですが、社長が堀場製作所に入ってこられる過程で、面白いいきさつがあったようですね。
堀場:
大学を出てすぐにサービスマンとしてのトレーニングを受けまして、最初にアメリカの合弁会社に出向しました。ところがその頃、「ニクソンショック」(1971年に 当時のニクソン米大統領が行なった第1次訪中発表、および金・ドル交換停止などで日本および世界が衝撃を受けたことを指す)が起きて米国のワーキングビザが下りず、赴任が11月まで延びてしまったんです。結果的には、その間、日本でさまざまなトレーニングを受けたうえで、2年間ほど向こうでサービスマンをしたり、設計を担当しました。
財部:
そうなんですか。
堀場:
私はもともと物理専攻だったんですが、HORIBAでは電気を良く理解していないと駄目なんです。それで私も電子工学も勉強しなければならないと思っていたんですが、その頃カリフォルニア大学のある教授と出会い、その方のすすめで同大学の三回生に編入しました。まあ、あんなに勉強をしたのは初めてで、それはまあ悲劇的ではあったのですが、結果的に無事に卒業し、同大学の大学院に入りました。そこで修士号を取り、Ph.Dまで行きたいと思っていたときに、JPL(Jet Promotion Laboratory/ジェット推進研究所)というNASAの研究機関に働き口ができましてね――。
財部:
ほお。
堀場:
当時の私の同級生たちは、そういう研究機関や海軍の研究所などに、皆就職していきました。正直言って当時、堀場製作所は今のように海外で勢いのある会社ではなかったので(笑)、父に「ジェット推進研究所に働き口が見つかった」と話したら、「帰ってこい」といわれました。じつは私はそのまま、そこに勤めてアメリカに住みたいと思っていたのですが、いわゆる「兵糧攻め」に遭い、やむなく日本に帰ってきたんです。まあ、それが結果的にはよかったのですが、23歳の頃にアメリカに渡り、29歳で日本に帰国したわけです。
財部:
そうですか。先ほど顧問にお話を伺ったら、社長は「若いときにアメリカの合弁会社に行って、会社の在り方に文句を言って日本に帰ってきた」と話していました。
堀場:
そうなんですよね(笑)。
財部:
当時、堀場社長は「HORIBAの本社のあり方はこれでいいのか。あんなマネジメントをしていたら、海外の社員は皆辞めてしまう」とおっしゃったそうですね。そこで顧問は「だったら、お前がなんとかしろ」と話したと伺いました(笑)。
堀場:
いざ日本に帰ってみると、私はまだ29歳だったのに海外技術部長を任されました。まあ、縁故ですからね(笑)。ところが肩書きは部長とはいえ、そこは課長1人、女性1人という最小の部署。当時は海外に対する技術的なドキュメンテーションが中途半端で、ほとんどが日本語でしかドキュメントを出さない、ということが往々にしてありました。そこで、その対応のために同部署ができたわけです。ところがその頃、海外のオペレーションが大赤字で、要するに私たちは厄介者だったんですね。とはいえ、同部署があったからこそ、今のHORIBAがあるわけなんですが、私自身もその修羅場からスタートしましてね。
財部:
それから社長は、どのようにキャリアを積んでいかれたのですか。
堀場:
同部署に続いて、海外営業や海外子会社のオペレーションもみるようになり、さらに国内営業、生産部隊を担当したあと社長に就任しました。一応、私はこのように違った分野の経験を積んできたんですが、それを通してある意味で「反逆児的対応」をしてきたのかもしれません。
財部:
それはどういうことなんですか。
堀場:
最後の頃には、海外本部の中にアドミ(管理)機能までを全部持って行ったんですよ。だから、ちょっとした独立国のような状態になりましてね――。そんなことを、今私がやられると困ってしまうのですが(笑)、やはり本社というのは多かれ少なかれ「諸悪の根源」というか、企業にとって本社の在り方が一番の問題なんですよ。
財部:
そのように明言される社長さんは、なかなかおられないですね。
堀場:
というのも、トップにとって本社とは非常に居心地のいいところだからです。たとえば、ここは美しい秘書もいますし、優秀な部下たちもいる。ところが、言い方は悪いですが、そういう良い部下たちとずっと一緒にいると、私自身は居心地がよくても、会社全体にたくましさが薄れ、おかしくなってくるんです。やはり、いろいろな人を使わないと、会社というものは強くならないんですよ。
「真似しい」は京都企業の最大の恥
財部:
それにしても堀場製作所さん然り、村田製作所さん然り、京都には個性や勢いがある企業が多いですよね。
堀場:
京都の会社はなぜ強いかというと、1つにはオーナー経営と言われていますが、やはり京都では仕事以外の場で、いろいろと経験を積み、知識が得られるんですよ。
財部:
たとえばどんなことですか?
堀場:
それは当然、遊びもありますし、それから情報もありますよね。東京だったら、あえて異業種交流に顔を出すとかいうことになるでしょうが、京都では私の父の代、例えばオムロンの立石さんや京セラの稲盛さんの代、それからわれわれの代、さらに次のジェネレーションと、さまざまなバックグラウンドや経験を持った経営者がすべて1つのところに集まっているので、世界のあらゆる最新情報や経営ノウハウが入ってくるわけです。
財部:
それは素晴らしいですね。
堀場:
だから京都というのは、東京からみると地方なんですが、むしろ東京よりも専門的な情報が早いと思います。かつ外回りに、京大、同志社、立命館を始めとする、優れたアカデミックな部隊もいるわけですからね。そこからの情報は、単なる経済的なものに限らず、われわれにとっては非常に重要なサイエンス分野も多いですし。それから、海外の有名人や高官に限らず、あらゆる分野の優秀な人々が、「京都」の名前や文化に惹かれて、多数この地を訪れますから。
財部:
東京にも訪れるでしょうが、やはり京都にも来ますよね。
堀場:
ええ。やはり、なんだかんだいっても新鮮な情報です。デイリーの仕事の情報も然り、それから世界の動きも然り――。その点、われわれは京都の一流どころの会社と数多く付き合っていますから、「いま中国、東南アジアあるいはEUはどうなの?」と聞けば、必ずそこに彼らの工場がありますし、紹介もしていただけます。しかも京都の企業のユーザーやお客様は世界一流トップですから、そこがまた、貴重な情報を提供してくれるわけですよね。
財部:
なるほど。ということは、その密度をもう少し深めていくと、「京都の旦那衆の世界」ということにもなりそうですよね。
堀場:
そういうと格好いいのですが。よく「京都企業」ということでメディアにも取り上げられますけどね、いわゆる「京都企業」には最大公約数というものがまったくないんです。というのも、京都では「コピー」が御法度で、要するにオリジナリティが勝負。だからもし、他社と一緒のことをやったら、京都の経済界からは「なんや」と槍玉に挙げられる。
財部:
そうなんですか。
堀場:
「真似しい」というのは京都で一番恥ずかしいことなんです。だから京都には、同じような企業が2つとないでしょう。われわれと島津製作所さんにしても、一部共通はしてはいますが、現実としてはまったく違う分野で活動しています。その点、東京は、似たようなことをやっている会社がたくさんあるじゃないですか。逆に、京都の企業でいわゆる「ナンバーワン」を名乗っているところは、だいたい日本一か世界一ですが、ナンバー・ツーはないでしょう?
財部:
はいはい、そうですね。面白いお話ですね。
堀場:
それから京都の場合、そういう「経営者の輪」の中に、茶道や花道、お寺さんなどが仲間として、われわれと一緒の場に入ってくるわけですよ。
財部:
そうすると、京都ではいわゆる「境目」というのは案外となさそうですね。
堀場:
ないですね。むしろ、最大公約数がないから「壁」がないわけです。そこが、いわゆるグローバルな価値観と共通しているところなんです。ところが東京の場合、私もいろいろな会に出ますけど、ほとんど似たもの同士が集まるわけですね。なんとか工業会で似た業種の企業が集まるとか、あるいはまた、どこのクラブや企業群に属しているかということがステータスになる。その意味ではやはり、京都には企業ベースではなく、個人ベースの経済同友会的な雰囲気がありますね。
財部:
なるほど。そういう文化は、若い頃アメリカにいて、勉強やお仕事をされた社長ご自身に、自然にフィットしたという感じなんですか?
堀場:
フィットしましたね。逆にいうと、私がアメリカで経験したことを話したり、ある種の新しい価値観を出しても「それ面白いやないか」と受け入れてくれました。じつは私は、京都経済同友会の代表幹事をしたとき、従来の流れを大きく変えたんです。革命とまではいかないものの、同友会が若返りもしましたし、がらりと変わったと思います。京都は古い町でありながら、そういういことを許容する「町の流れ」」というものがあるんですよね。これは多分、京都が昔、都だったからでしょう。外からみると非常に保守的に映るのですが、じつは都には、外部から人を引きつけ、集めてくる大きなパワーを持っている。実際、われわれの社員も意外と、京都出身者は少ないんです。逆に、京都の学校出身という人は多くて、京都に憧れて学校に入り、そのままここに住み続けている人が多いですね。
財部:
それにしても、いま世の中でこれだけグローバル化が進んでくると、昔からいわれている「グローバリゼーション」ともはや桁が違いますね。すべての物事を本当に、全地球を対象として考えていくという時代になりましたよね。その点、日本の大企業にはネットワークや工場はたくさんありますが、本社のトップから社員に至るまでの気質そのものが、グローバル化しているとはいえません。それに対し、私がいろいろと資料を拝見して、本当に凄いなあと思ったのは、堀場製作所さんの従業員の半分以上が外国人であることです。それも単なるブルーワーカーではなく――。
堀場:
どちらかというと、本社よりも博士の数も多いです。
財部:
ええ。しかも、これも驚いたんですが、日本の社員でも約10%の人が駐在経験を持っているところが凄いですよね。