「重工業」から「柔工業」への変革を目指して

僕は3回アメリカの子会社に出向したんですが、1回目はとにかく会社を設立しサービス業務をスタートするというプロジェクトで、目的が単純で明快だったからそんなに大変でもなかった。ところが2回目がとても大変で、46歳で販売会社の社長として赴任したんですが、ちょうどオイルショック（第2次石油危機、1979年）の後で、オートバイのバブル需要に振り回された後遺症として在庫と売掛金の山ができていて大規模なリストラをやることになったんです。ただ、僕の気持ちとしては「ぜひ何とかしてくれと会社に頼まれてやっているんだ」という思いがあるし、しかも財務的に相当大変なことになっていたので、本社の資金調達やら財務を担当している人達を味方に引き込んで、全社の危機感をバックに経営再建をはたしたわけなんです。

そうなんですか。

どんな商売でもそうですが、商品の売れ行きが落ちてくると、必ず在庫と売掛金が増えてくる。つまり在庫がなかなか減らないから、「お金はあとでいいですよ」、「在庫一掃セールですよ」という売り方になる。そうなると利益は出ないし、売掛金を回収するまでの運転資金として、借入金が増えてきますよね。あの頃、1980年代でいちばんひどいときは、金利が20％でしたから大変でしたよ。

高金利時代の借り入れは、ともすれば命取りになりますね。

もう大変。こうなると「急ブレーキ」を踏んで生産を落としてもらわなければならないし、販売促進費と称する実質上の値引き費用が膨れ上がる。リストラして規模も縮小し経費の節減を図る。かといって、日常の販売を続けていくためには広告宣伝やレースなどの活動を、いきなりポンと止めるわけにもいかない。その舵取りがなかなか大変ですよね。

そういう部分が経営センスであり、経営のナレッジというものですよね。

僕が現地販売会社の責任者だったとき、いろいろな悩みがありましたが、自分が財務関係の専門家ではなかったから、その面の良いスタッフがついてくれていたわけですよね。彼らは製品そのものや製品が持つ競争力については知らないし、売り方もよくわからないけれど、とにかく「財務面で経営的な感覚でみたらこうだ」という見方のプロなわけで、彼らのいうことを本気で聞くかどうかが勝負だったんですよ。

はい。

（こういう財務分野は）自分とはまったく違うエリアであるわけですが、僕はそのときに、バランスシートを徹底的に管理することに決めたんです。経営というものはバランスシートであり、損益だけじゃない。僕はいまでも、「細かい話は何も聞かせてもらわんでいい、要するに売掛金と在庫だけ教えてくれたらいい」と話しているんです。だからウチの経営はですね、ほんとうにリテール（末端販売）、キャッシュフローの感覚ですよ。

なるほど。

要するに（他社との）製品の価格差がどうとか、マーケットシェアが何％、広告宣伝費がいくらとかいう話は、各部門でやってくれればいい。でもトータルのインベントリー（inventory、在庫品）と売掛金にはいつも気をつけろ、ということです。それにさえ歯止めをかけておけば大丈夫。お金とモノさえきちんと流れていれば、あとはできるだけ「パイプの径」を適正にすれば、流れがスムーズになる。

というのは、どういうことですか？

私の専門は「流体力学」で、ジェットエンジンのエンジニアとしてコンプレッサーやタービンなどを扱ってきましたから、「流れ」というものに対しては特別な関心があるんです。ですから経営についても、お金とモノ・情報等を、出来るだけ「流れ」として見るようにしています。たとえば水の流量が一定ならば、パイプの「径」が小さいほど流れが速く、逆に「径」が大きいほどゆっくり流れる。水の流れがゆっくりすぎると、パイプの中にヘドロが溜まり、ロスが発生するので、流速はできるだけ速い方が効率がいいわけですね。

ほお。

それからもう1つ、パイプの中である流体を流すとき、1）流体を出口側から負圧で引っ張る、2）パイプの入り口側から、圧力をかけて出口側に押し出す、という2つのやり方があります。その意味で、いまのお金とモノの「流れ」は、市場が引っ張っているものか、サプライサイドが無理に押しているものなのか。またパイプの「径」は適当か、といったことが、もの凄く気になるんですよ。

そういえば話は変わりますが、田�ｱさんが社長になられた際、「2輪車のトップがどうやって重工業のトップを務めるのか」という、厳しい質問が出ましたよね。

はい。僕は社長に就任する4ヶ月前に充分な準備もないままに突然東京で記者会見をすることになり、ある新聞記者から真っ先に「あなたはこれまでどこにいたんですか？」と聞かれました。それからその次には、「オートバイ事業の経営センスで、この100年の歴史ある重工業をどう経営されますか？」とね（笑）。

それは厳しい質問ですね。

だから僕はそのとき、こういったんです。「皆さんはオートバイをどう思っているか知りませんが、欧米ではオートバイに反社会的なイメージはなく、むしろ社会と共生する必需品。彼ら騎馬民族の感覚としては、馬が鉄になってオートバイになり、馬車が鉄になって自動車になったようなもので、オートバイはつねに環境の変化に柔軟に対応しながら、自己責任でリスクをマネージする、教育として重要なツールなのですよ」と。

ほお。

要するに、これは経営でも同じことなんです。環境の変化に対応し、ブレーキ、アクセル、ハンドル操作とボディバランスをマネージし、交通ルールを遵守しながら効率的に目的地に到達する。その意味で、経営とは、オートバイの安全運転となにも変わらないのですよ。

面白いいい方ですね。

それから僕はその記者会見で、「『重工業』という言葉からにじみ出る、環境の変化に対応できない『重たい』イメージが気に入らない。だから重工業の『重』を『柔』という字に読み替えて経営する」と話しました。そのときの思いつき発言が、そのまま「"重"工業から"柔"工業へ」というスローガンになっているわけなんです――。

そうだったんですか。

あと僕は「社員の帰属意識を変えましょう」と、そのときに言ったのです。たとえば日本人に「あなたは何に帰属していますか？」とか「あなたは何者ですか？」と聞くと、「私は○×社の社員で、勤務地は東京、それからコンピューターエンジニアです」と、ほぼ全員がこの順番でいうはずです。ところがアメリカ人に同じ質問をすると、彼らは真っ先に「私はコンピューターエンジニアです」と答える。つまり「自分はこの分野のプロです」という職業が一番最初にきて、その次に「東京で働いています」という地域が出てくる。そして、その次にたまたま縁あって「○×社で働いている」というように、企業名が出てくる。

そうですね。

だから、そこまで社員に帰属意識を柔軟にしてもらうことが、川崎重工が将来いろいろと選択と集中で、大きく構造改革をするときに絶対に必要になると思ったのです。そしてまたそこには、社員１人ひとりに「チームの組み替えに強い人間」になってもらうことが大事で、「どこに行っても何らかのプロとして生き抜ける人材になってほしい」というメッセージがあるわけです。そのために、現在たとえば上司に内緒で他部署の募集に応募でき、人事部門が仲介してこっそり面接するという「ジョブチャレンジ制度」も設けていますから。

こういっては失礼かもしれませんが、川重さんでもそういうことが行われているんですね。

ええ。上司に内緒の「お見合い」が済んだら、ある日突然、希望先に異動するということもありましてね、かなり柔軟に動いていますよ。

僕はこういう仕事をしていますので、さまざまな業種・業界・会社を客観的にみてきたわけですが、中国にずっと取材に行っていまして、この国が間違いなく市場として機能するだろうということが、90年代の終わり頃からみえていたんです。一方、日本では鉄鋼業を始め、さまざまな産業が「もう駄目だ」といってリストラをやってきて、最後には合併という選択もしていますよね。ところがその先に、中国が経済発展をして市場として機能した場合、この国にどれだけの需要が発生するかという中長期的な見通しが、日本企業にはあまりにもなさすぎた。これが僕の1つの言い分なんですが。

なるほど。いや、皆さんに非常にわかりにくいところがあると思いますが、鉄も造船業もそうなんですが、やはりアメリカ型の経営指標でいけば、需要は必ず変動するものだから、需要の変動に応じて供給側も変動できなければならないということになる。したがって、供給側を変動させない日本型の構造はアメリカからみていつも構造協議の対象になるわけです。アメリカ側から見れば日本の永年雇用制は��もっての他�≠ﾌブレーキ故障のシステムなんですね。そうでしょう。需要はあるときには右肩下がりになるのに、供給の方はずっと右肩上がりにならなければ食べていけない、という国があったら、その国とはとても付き合えないですよね。

そうですね。

結局、需要が落ち込んだときにも製品の供給が止まらないわけで、値段を下げてシェア拡大を計るからダンピング訴訟になるわけです。いずれにせよ、日本には「雇用の柔軟性」がないだけに、需要不足になったらひたすら耐えなければなりません。需要の大きいときに供給力を増やしたら、次に需要が減ったら誰が雇用を保証してくれるのか、ということになるわけですよ。

ええ。

ですから将来のリスクを考えて、設備投資にも慎重にならざるを得ないというのが、業界のスタンスです。でも「そんなものは全然心配ない。まだまだ私どもには自分の投資を上回る需要があるんだから、どんどん設備投資するのは当たり前だ」というのが中国のいい分。たしかに、いまのところは彼らがいうように旺盛な需要があるわけですが、いずれどこかでそれが停滞し、中国が自国の需要を超えて供給側にまわってきたときに、どこが需要を支えるかが問題です。要するに設備過剰、供給過剰の状態になったときの調整能力が、日本企業には欠落している。いや、縛られているというか、これはほんとうは「雇用の流動性」の問題なんですよね。

ああ、なるほど。

一方では日本は少子高齢化で、後継者がいなくなるという心配も抱えている。これはもう大問題で、皆さんは「日本の技術は世界一だ」と勇ましいことをいってくださるんですが、技術を生み出すには大変なお金かかるんです。そして、お金をかけて生んだ技術が、今度はまたお金を生み出すわけですよね。

ええ。

これは自動車が非常によい例で、メーカーが膨大な開発投資を行っても、その投資をお客様から回収できて、また新たに投資ができるというように、いい循環が生まれています。ですから自動車産業をみて、われわれは「日本は何でもできるはずだ」と思いがちですが、膨大なお金をかけて技術を育て、その技術をまたお金に換えていくというメカニズムは、国内にある程度のマーケットがあって初めて成立するんです。新幹線などがうまくいっているのも、基本的に日本にマーケットがあったからで、そこで育った技術をいま海外に移転しようとしているわけですが、たとえばロケットや航空機のように、日本にマーケットが無い分野で、日本の企業が独自に最初から開発投資をし事業を育てていくのは至難の業ですね。