企業経営もオートバイの安全運転も同じですよ

川崎重工業株式会社
取締役会長　田�ｱ　雅元　氏

田�ｱ会長は、たしか宮崎のご出身でしたね。

そうですね。本籍が宮崎になっていますが、ご承知の通り、生まれが満州で111歳の時に引き揚げてきたんです。小学校に入ったのも満州が最初で、卒業は宮崎の高千穂小学校です。

そうですか。私の親父も、生まれが都城で、ずいぶん長いこと満州に行っていて、戦後に日本に戻ってきたんです。

ああ、似ていますね。僕の親父は高千穂の育ちで、延岡の中学校を出てから満州医科大学に行ったんです。親父はそこを卒業したあと、ハルビンの赤十字病院で仕事をしたり、ソウルに行って京城大学医学部の助教授をしていました。これは皆さんによく話していることですが、そのとき僕は、残留孤児になりかけた――。

ええ。

僕は小学校1年生のときは満州のハルビン、2年、3年生はソウルにいたんです。ところが4年生になった頃、ソウルでも米軍のB29の爆撃が始まるというので、大連に住んでいた母方の祖父母のところに、弟と一緒に縁故疎開しました。そしたらすぐに終戦になり、僕と弟が疎開していた大連はソ連側になったんです。一方、僕の親父とお袋、それから他の兄弟はソウルから無事に早く日本に帰れたのですが、１1年半ほど全く音信不通になりましてね。

いろいろと資料を拝見すると、田�ｱ会長にとって満州の小学校時代が、非常に大きな原点になっているようですね。

そうですね。（満州、朝鮮、日本と）小学校を5回ぐらい転校したので、いまでいう「異文化の共存」とか「環境の変化に対する順応性」、あるいは「チームの組み換え」というものに、子供の頃から割と柔軟で強かったですね。これはやはり当時のカルチャーであり、異文化共存というか、互いに違う価値観を持つ人と共生できるという点では、純粋培養の日本人とは少し違うのかもしれません。

具体的に思い起こすエピソードはありますか？

(満州でも朝鮮でも）小学校は日本人学校で、クラスには中国人もロシア人もいましたから、「人にもいろいろいるんだなあ」という感覚がまずありますね。同様に、当社でも110年の歴史の中で、造船グループやら車両グループやら、それぞれの部門が独自のカルチャーを持っている。私はそれらをいろいろとマトリックス化し、混合させて新しい文化を生み出すことに関心・興味を抱いているわけです。とても面白いですよ。

今回ご紹介いただいた、島津製作所の矢嶋会長とはどういうお付き合いなんですか？

矢嶋さんは、もともと航空機の開発をやっておられたでしょう。いま私は「日本防衛装備工業会」の会長で、その前には「日本航空宇宙工業会」の会長をしていたんですが、矢嶋さんはそういうところに、いつもメンバーとしておられました。それは西岡さん（三菱重工・西岡会長）もみな一緒で、私たちはそういう団体のメンバーとしてゴルフをしたり、さまざまなパーティでご一緒するという関係だったんです。

愚問で恐縮ですが、一般の人間からすると、はたして経営トップの方同士のお付き合いとはどんなものなのか、知っているようで知らないですよね。

1企業の「現場の総代表」である社長としてのお付き合いと、会長や相談役になってからのお付き合いとでは、だいぶ違うと思いますね。やはり社長時代は企業を背負っていますから、他社の社長と単純な「お付き合い」をしているわけにはいきません。ところが会長や相談役になると、企業の立場を少し離れ、互いに人間味のあるお付き合いになっていくと思うんです。

そうですか。いろいろな方にお伺いして感じるのですが、やはり経営者というか、社長には孤独な面がありますよね。

そうならざるを得ないですね。説明責任はあるし、経営の透明性を高める事も求められる。だから経営者はつねにプレッシャーにさらされている。経営者はある意味で、いつも舞台に上っているような存在ですから、社長になったとたん、舞台裏で気楽に付き合っていた友達をかなり失いますよね。

なるほど。それから経営者の方は、だいたい30代の頃にビジネスマンとしての「思考の原型」のようなものが固まるのではないかと思うのですが。

そうだと思いますよ。その話をしますとね、私は1958（昭和33）年の入社です。当時は「川崎航空機工業」という航空機の製造会社で、私は明石工場にジェットエンジン関係のエンジニアとして入りました。その後どんどん米軍の仕事が減り、自衛隊関係の仕事では埋めきれず仕事が谷間になり、私を含めた多くの技術者がオートバイ部門に転属になったんです。じつは『メグロ』（目黒製作所）という、有名な歴史のあるオートバイ会社がありましてね、それを川崎航空機が吸収合併して大型のオートバイ事業を始めたんですよ。

ほお。

戦後の日本の500cc以上の大型オートバイは、『メグロ』から始まりました。本田さんを始め、多くのメーカーが50ccを中心とする小型のバイクからスタートし、大型で残っていたのは『メグロ』だけだったんです。それをアメリカに持ち込んで売ろうというのが、私のオートバイ部門での最初の大きなプロジェクトでね、それが30代ですよ。

そうなんですか。

私は29歳のときに初めてアメリカに渡り、「カワサキのオートバイのサービスネットワーク、サプライチェーンを作れ」ということで、工場から1人でシカゴに行きました。それで右も左もわからないままに駐在所を作り、サプライチェーンを作るには会社を設立する必要があるということで、現地の責任者として、そこにいたんです。それが30歳でしたから、それはもう大変ですよ（笑）。技術屋で、会社経営の知識もないままに会社を設立し5万ドルの資本金が送られてきて、技術サービス、部品センター機能を持たせ、そこから仕事を始めていますからね。

はい。

そのとき、何というか、自分の想定を超える責任というものがバーッと降りかかってきたという感じがしました。しかし、そこから逃げるわけにはいかん、という思いと好奇心、挑戦心が重なって、環境の変化に対してがむしゃらに突破口を探して――。人生の大きな転機はそれですよね。最初の5万ドルの株券にはね、僕の現地でのサインが今でも残っているんですよ。それでサービスセンターをこしらえて、車で全米を駈けずり回りましたからね。

いま考えたら、とても信じられないですよね。アメリカ時代を振り返られて、一番辛かったのはどんな時ですか。

日本側のメーカーから人が派遣されているので、どうしてもサプライサイド（供給側）の発想になる。ところが販売店を含めて現地の販売関係者は、完全にマーケティングサイドの発想。つまりは需要開拓が先だし、お客さんの二―ズが先。需要側が（業績を）引っ張るという点では非常にいいのですが、一方日本のサプライサイドは自分の思いを押しつけるというスタイルになりがちだから、日本から派遣されている現地の販売責任者は板ばさみになってしまうんですよね。

要するに本社が――。

いやいや。結局、会社としては「これだけの事業計画の中でこれだけ生産し、これだけ売らないと飯が食えないから、もっと売れ」ということになりますね。でも「もっと売れ」といったって、（ディーラーの）ネットワーク然り、いわゆる他社との本当の意味での競争力――非価格競争力などが、なかなか（供給側に）理解してもらえない。ところが、たとえば開発部門はプライドが高いから、「自分たちの商品が一番優れているはずだ」。たとえ製品に不具合があっても、それは「サービスが悪い」からだとか「使い方が悪い」からだということを平気でいってくる。

はい。

一方、現地側には頼りになる味方があまりいませんから、「とにかくそんなことはない。これについてはそちらの方が悪いんだ」といって、僕は１人で親元であるメーカーと戦わざるを得ない。それも往々にして「上司との戦い」になるわけですから、非常に大変です。でもそこで、僕もなんとか「なくてはならない人間」あるいは「オピニオンリーダーとして無視できない存在」になろうと、少しずつ信用を高めながら、上司とも戦っていくことになるのが悩みでしたね。

なるほど、大変ですよね。たとえば1つ面白い話があるのですが、みずほフィナンシャルグループの前田晃伸取締役社長が支店長をされていたとき、「１年間はきちんとお客様との土壌を作らなければならない。だから表彰対象の商品を3月9月に押し込むような商売などまかりならん」といって、本社サイドの数字要求をすべて蹴っ飛ばしたというんです。ところが普通なら、上司とのつながりはサラリーマンにとっての命であって、たいていは部下が敗れるわけですよね。

そりゃそうですよ、普通はやりません。いや、できない――。それがわかっていても戦うというのは、動乱期を生き抜いてきた少年時代の知恵だと思うんです。やはりね、人間はいつも戦ってるんですよ。

なるほど。

でもその一方で、勝算があるから戦っているという面もある。その兼ね合いが非常に難しくて、たんに反体制派として頑張っていても、生き残れる人は非常に少なく、大抵がイエスマンになってしまう。だからやはり、そこは「自分はなくてはならない人間だ」という面をみせて、ある程度きちんとした理論武装をして、味方を増やしていくことが肝心ですよね。

味方を増やすためには、具体的にどうしたらいいのでしょうか？

それはやはりコミュニケーションを大切にして、関係する人たちにきちんと正しい情報を渡すこと。それから短期に成績を上げ、どこか他のところに行ってしまうような上司に振り回されないこと、残る若い人たちが惨憺たる目に遭うこともありますよね（笑）。とにかく力のある若い連中をきちんと味方にしていくということですよ。