株式会社スマイルズ 遠山 正道 氏

「アートのエネルギー」を経営に重ねる

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遠山:
でもその一方で、「個展が終わってよかったね」でまたサラリーマンに戻るのでは、これまで何のためにやってきたのかということになります。ましてや、「ここからスタートだろう」という友人の言葉に対しても、このまま終わってしまっては、まったく答えになりません。それに僕は、作品を作ることでもの凄くエネルギーが出て、そして1年間、そのエネルギーが持続したんです。最後に個展をやったことで、それもちゃんと報われていますし。

財部:
ええ。

遠山:
だから、そのエネルギーを仕事に重ねたほうが、自分自身も会社にとってもハッピーだろうと思ったんです。それで「個人性と企業性」といういい方をして、個人の目線やエネルギー、あるいは嗅覚のようなものと、企業の持つ仕組みとを、お互いのいいところを合わせて展開できないかと思ったんですね。

財部:
そこから、「食」とかリテールというところに行くまでの思考プロセスというのは、どんなものなんですか?

遠山:
それは、ほとんどプロセスと呼べるものではなくてですね、「手触り感」があるということでいうと、商事の関連会社だとか、まあ身近ではケンタッキーフライドチキンぐらいしか思いつかなかったんです。

財部:
ケンタッキーが何となくチラチラしていて、やはり「食」かと。

遠山:
そうですね。でもリテールだからといって、いきなり家具屋さんとか、世の中にあるものなら何でもいいというわけではないんです。さすがにそこまでの飛躍はなくて、あくまで商事周りの中でケンタッキーが好きだったんですね。

財部:
でもいま、ほんとうに表面的なところだけをみた限りで、第三者的にいうと、芸術的な戦略を含めてケンタッキーはどんくさい≠ニ思いますが(笑)。 

遠山:
そうですね、はい(笑)。正直いってそういう部分があって、僭越ながら「だったら直そう」という私個人の目線、まあ生活者としての視点を活かせる場に行きたかったんですよね。

財部:
ということは、最初からケンタッキーという「入れ物」の中で何かできれば、という考え方だったんですか? 

遠山:
そうです。でも、もちろん何の経験もないですし、ただ自分でそう妄想していただけですね。今だからいえることかもしれませんけど、まずは飛び込んでみよう、というつもりでした。

財部:
会社はそういうのをすんなり許してくれたんですか?

遠山:
先ほどお話ししましたように、たまたま情報産業のつながりでケンタッキーと接点ができたので、そこで手を挙げまして。それから岡本君に「遠山さんをこちらに出向させた方がいいんじゃないか」ということをいってもらって、それがうまくいって出向できたんです。「まあ、1年限りだよ」というような感じでしたが。

財部:
1年限りで行かせてもらったんですね。それでケンタッキーに行けたことはよかったとしても、逆に1年間で何かしなければならない、というプレッシャーはあったんですか?

遠山:
まあ、とりあえず行ってみて、そのあとどうにかしようという感じでした。当時はまだスープの「ス」の字もないときでしたが、一応新規事業部に配属になったんです。富山県で、高速道路のサービスエリアにある定食屋さんにケンタッキー店舗を合体させるという仕事だったんですが、それはあくまでチキンの延長で、「それは別に僕じゃなくても得意な人がいるだろう。もっと違う何かができないかなあ」と、いろいろ考えていました。

財部:
あるとき、ふと、1人の女性がホワイトベースのシチューを食べている姿が思い浮かんだ、というお話がありますね。まさに、何かが降りてきた≠ニいうような感じですが、ほんとうにそうだったんですか?

遠山:
そうですね。当時のケンタッキーはアメリカ流に、割とマネージャールームが大きかったり、フロアにもシャンデリアなどの特別なしつらえがあったりして、私は「もっとすっきり普通でいいじゃないか」と思っていました。そこで低投資ではあっても、その分をセンスや知恵でカバーできないかという意味で、「低投資高感度」というキーワードを、その頃考えていたんです。

財部:
なるほど。

遠山:
食材に関しても、「小麦粉系の料理は、安価で腹持ちがするなあ」とか色々考えていて。そんなとき、ある仲間と食事をしていて、何となく、女性がスープを飲んでいるシーンが思い浮かんだんです。それで「これは面白いかもしれない」とピンときて、「それはビジネスにとってどんな新しさや、メリットがあるのか」ということをいろいろ考えていったら、「ビジネスとしても面白く設計できるなあ」と思うようになったんです。

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財部:
ほう。僕は遠山さんの強みは構想力にあると思うんです。スープストックトーキョーにしても、ロゴからメニューまで全部決め、ストーリー性のある企画書を作り上げられたわけですよね。企画書を「物語風にする」というのはすごく素晴らしいですけども、頭の中にそのイメージを全部作り上げてしまうという、やはりここに1つ特性がありますよね。

遠山:
なぜだったんでしょうね。とくに明確な意思があったわけではないんですが、私はその企画書をすべて「過去形」で書いたんです。将来から過去を見返して「こうなった」、「すでに(スープが)これだけもう親しまれている」と断言しているような書き方をしたので、何か歯切れがいいというか、その点ではよかったかもしれないですね。

財部:
そのときに遠山さんが描いた企画書のストーリーと、実際にできあがって動いているスープストックトーキョーに差はあるんですか、ないんですか?

遠山:
そうですね、かなり近いというか、企画書に描いた「絵」をみて、スープストックトーキョーはできあがってきています。ただ、これほどまでに苦労するとは思わなかったというか、けっして楽な道のりではなかったですね。

財部:
いろいろ苦労なさったのは、どういうところなんですか? 

遠山:
平たくいえば、数字です。セールスや利益はもちろんですが、食材と人件費をあるところで収めなければならないのに、あと3ポイントぐらいのところでずっと戦ったり。あるいは閉店しなければならない不採算店が出てくると、今度はどうしても新規出店をしなければならないとか、それはいろいろありました。最初の一号店はまずまずうまく行ったんですが、二号店ぐらいから、どちらかといえば苦労のほうが大きくなったという感じです。

財部:
ほう、そうですか。 

遠山:
まあ、いまでもまだ苦労している最中です。 

財部:
そうなんですか? その苦労の部分ということについて、全体から俯瞰して無責任にいわせていただくと、遠山さんは一流商社マンとして三菱商事に籍もあり、そこで禄を食むのに必要な仕事をつねにされてきたわけですね。そういう部分と、自分で個展を開くというアートの部分のエネルギーとが、このスープストックトーキョーで1つになった。そのイメージは企画書の段階では、ある種連続していて、その数字が三菱商事に通じる規模になったいまもなお、こうしたギャップというか心持ちは変わらない。そういう理解でよろしいですか?

遠山:
そうです。それに関してはですね、やはりうすうす感じてはいましたが、自分には得意ではない分野というのがいまだにあるわけですよ。たとえば数字がそうです。経営とか何とかいいますけどね、(私は当社には)いままでほんとうに経営がなかった、と思っています。

財部:
それはどういうことなんでしょう?

遠山:
一応予算的なものはあったんですが、でもどちらかというと、やってみなければわからないところがありますからね。それで「やってみたけど駄目だった」とか、「10店舗を出店したいね」といってはみても「良い場所がなかったから7店舗でした」「良い場所がなかったんだったら仕方ないね」というぐらいの感じでやっていたんです。結局は、失敗の原因を分析し、次は同じ過ちをしないように何か手を打って、また試すということがなかったんですね。でも2、3年前からウチの若手のですね――われわれは「第二世代」と呼んでいるんですが――常務と2人のジェネラルマネージャーが経営陣として参加してくれまして、やっと経営では当たり前の「Plan Do See」を始めたんです。しかし、その「当たり前」というのがそんなに単純ではなくて。まあ苦労も多いんですが、いまそれを第二世代の若者たちがすべてやってくれているという感じなんです。

財部:
そうなんですか。

遠山:
私自身、最初の構想であるとか、「こういう感じなんだよ」というテイスト、それに軸を合わせるためのアジャスト、あるいは「それはそうではなくて、もっとこうじゃなきゃいけないんだ」というこだわりは、ずっと持ち続けてきました。それがもう、ある程度は形になってきて、傍目にはスープストックトーキョーの「顔立ち」というか、個性は出てきたんじゃないかと思いますね。

財部:
そうですね。

遠山:
ところがじつは、私は経営というか、数字を読み取ったり、銀行からお金を借りるにしても、勉強不足という感じなんです。それを、いまの若い経営陣が頑張ってカバーしてくれているんですが、非常にありがたいと思っています。

財部:
でも、逆にいうと、やはりそういう遠山さんがあったからこそ、どこにもないこんな「異業態」ができたんだと思いますね。 

遠山:
それはありえるかもしれないですね。でも私自身、最近少し「振り」が小さくなったというか、以前はブンブン振り回していたのに、少し常識的になってしまうところがあるんです。もちろん、生活者の立場や街の環境とか、そういうものを含めて「もっとこういう方がいいじゃないか」というシーンから描くと、それはしっかりあるんですが。でもそれを実際に作り上げてみて、いざ経営、という段階になるとですね、「そうはいってもね、現場も大変だし」というように、いろいろ現実がみえてきて、なかなか無理がいえなくなってしまう。もう無邪気に、「それは絶対に嫌だ、こうじゃなきゃ嫌だ」というような我の強さが、ちょっと鈍ってきたかな、とも思いますね。

財部:
もの凄く難しいところですよね。それに長い時間軸でみていると、さまざまな会社や業種が、あることを考え、たとえそれがうまくいったとしても、いつの間にか世の中全体が変わってしまうところにビジネスの難しさがあると思うんです。だから、1つ素晴らしいビジネスモデルがあって、そこからもの凄く印象的でインパクトのあるものが生まれても、それが1年経ち2年経ち、3年経つと、直接競合のあるなしに関わらず、世の中全体の変化につれてニーズそのものが変わってしまう。そうすると、1年前の輝きとか2年前の輝き、というものは自ずと衰えてきますよね。