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三菱商事株式会社代表取締役社長 小島 順彦 氏
財部:
いすゞ自動車の井田社長とは、どのようなご関係なのでしょうか。
小島:
いすゞさんは、私どもにとって大変重要なお取引先です。
三菱商事というとすぐに三菱自動車ということになりますが、実はいすゞさんとは随分前から海外で一緒に事業をさせていただいています。特にタイのプロジェクトは非常にうまくいっています。井田さんとは時々、会食をしたり、ゴルフをしたりする仲です。
財部:
『サンデープロジェクト』でいすゞ自動車の復活劇を特集した際、タイへも取材にいきました。そこでいすゞ自動車の販売を三菱商事が一手に引き受けている様子を実際に拝見しました。泥臭いほどの地元密着で大成功していましたね。商社マンというのは、ここまでやるのか、と驚きました。
小島:
自動車工場に商社の人間がいるなんて、一時代前だと考えられないかもしれませんね。
財部:
印象的だったのは『いすゞ祭り』と呼ばれる大掛かりなイベントです。昼間は子供たちが大喜びするゲームやお絵かき大会、あるいはたくさんの模擬店で盛り上げ、夜になると今度は、タタヤンのようなタイの国民的スターを招いた野外コンサートで何百人もの地元の人たちを熱狂の渦に巻き込んでいましたからね。
あれを全国各地でやっていくのだからすごい。タイではいすゞのシェアがトヨタを上回っていることも納得できましたね。
小島:
タイでは現地のディーラーをしっかりつかんでいますね。いすゞ祭りをみると、うちの社員たち「やるとなったら徹底的にやるな」という印象を私自身ももちましたね。三菱商事には世界各地に、地場に根付いた人間のネットワークがある。タイだったら俺に任せておけとか、トルコだったら俺だとか、パキスタンなら私です、インドネシアなら私だというのが、うちにはいるわけですよ。
財部:
もうひとつ印象的だったのは、97年にタイの通貨危機から始まったアジアの金融危機の時の商社の対応です。日本の銀行は、これは危ないとアジアからいっせいに逃げ出しました。タイのいすゞも苦境に陥りましたね。しかし、三菱商事は資本を引き上げるどころか、新たに増資をしてタイのいすゞを支援しましたね。アジアの通貨危機に際して、銀行は逃げだし、商社はふみとどまった。この差は大きかったのではないでしょうか。
小島:
銀行さんとはちょっと違う発想なのかもしれません。いすゞさんとは長いお付き合いだし、全社をあげてできる限りのことをしようということになりました。アジア金融危機の時はタイだけではなく、インドネシアなど他の国々でもみんな頑張りました。