財部:
日本の製造業の生き残る道筋を見た感じがしますね。
家次:
弊社はもともと機器メーカーでしたが、今では利益の半分以上は試薬とサービス&サポートです。どうしてもハードウェアだけ売っていると、価格競争に陥ってしまいます。
財部:
使って見て、良いサービスだったら顧客は離れないということですね。
家次:
そういう形が非常に大事でして、我々は今、中国で非常に良いビジネスができているのですが、90年代に進出した時にはマーケットはほとんどありませんでした。病院をまわると医療機器はほとんどアメリカ製ですべて英語表記でした。そこに中国語での手書きの指示書があるだけで、まったくお客様を見ていないなと。そこで我々は「中国向けに開発しよう」と決めまして、技術者を20人程中国に派遣し、まずはローエンド向けの小さな機器のシェアを取りに行きました。すると次第に中国でのマーケットが拡大し処理量が増え、もっと処理能力の高い機器が必要になってきました。そしてアップグレードする際に、次もシスメックスが良いという話になります。そういう積み重ねで中国での事業を展開してきました。特に中国の場合は国産を優先する政策がありますので難しいのですが、シスメックスの製品は良いということで買ってくださるお客様がいらっしゃいます。そういう意味ではサービスが評価されたことで、お客様と一緒に成長できました。
財部:
中国ではブランド価値を確立したということですか。
家次:
そうですね。1998年から毎年、中国で学術セミナーをやっておりまして、今では1000人以上の医療関係者が参加されます。やはり教育が重要でして、我々の機器を使って検査をしてもその結果を患者さんの治療につなげられなければ意味がありません。ですからデータを見てこれはどういう意味なのかということを教育していかなければいけません。こういうサービスが非常に大事です。それも90年代の初めから地道にやってきたというのが信頼関係を構築できた理由でもあると思います。2000年以降多くの企業が中国市場を求めて事業展開されましたが苦戦されている企業が多いと聞きます。
財部:
僕も天安門事件の直後から中国の取材を継続してきましたが、今、中国で利益をあげている会社は、やはり90年代に塗炭の苦しみを味わって、それを乗り越えて頑張ってきた会社ですね。
家次:
その通りですね。我々も同じでずいぶん上海の法廷にも行きました(笑)。でもそこでやはり諦めたらダメだということで踏ん張ってきました。昔は合弁しか認めない、作った製品の半分以上は輸出しなければならないなど、いろいろ枷がありました。その中で、一番苦労したのは独資にすることです。いまでは簡単になりましたが、そういう中国の変化の中で乗り切ってきたと思います。
大企業とは戦わず外交力で生き伸びる
財部:
家次社長は京都大学を出られて三和銀行ですね。銀行出身の方というのは山ほど見てきたのですが、社長はどういう経緯でシスメックスにこられたのですか。
家次:
実は創業者の娘婿なのです。もともとシスメックスは東亞特殊電機(現在のTOA)の医用電子機器部門が独立してできた会社で、東亞医用電子という会社でしたが、その両方の社長を義父が務めていました。その義父が亡くなった二年後にこの会社に入りました。ですから義父にはいろいろなことを教わりましたが、一緒に仕事をしていないのです。当時の東亞医用電子はまだ小さい会社でした。
財部:
そこからシスメックスの躍進が始まるのですが、入社してどのようなことに取り組んだのですか。
家次:
私は銀行にいましたので、大企業のシステムの中で仕事してきましたが、大企業病という言葉がある反面、大企業の良さもあります。同じように中小企業の弱さというものがありますから、そこを補うことに力を入れました。良かったのは誰に逢っても物怖じしないという点です。中小企業だとやはり大企業相手に対等にはなれません。しかし、大企業・中小企業それぞれビジネスのやり方に特徴がありますので、取引したい時にどのようにアプローチし、何を大事にしなければならないのか。そういうところは銀行にいたことでずいぶん身に付いていたと思います。
財部:
大企業のことも、中小企業のことも理解していたということですね。
家次:
あとはベンチマークの考え方です。我々のヘマトロジー(血球計数検査)分野にアメリカのコールターという当時世界ナンバー1の会社がありまして、この会社のことしか見ていませんでした。私はベンチマークするところが違うのではないかと思いました。ヘマトロジーに限らず、アボットやロシュなど、もっと大きな時流を読むことを考えなければいけないと感じました。自分たちが直接競争している所にしか関心がなかったのですが、それではその先がないと思いました。
財部:
資料拝見していますと、ドラッカーを非常に信奉されていますね。
家次:
はい。ドラッカーの考え方は一貫していまして、事実をどうするかという話と、それから時代をどう読むかというもの。私が好きなのは、「既に起こった未来」。我々の仕事は、先をどう読んでやるかというのが非常に大事です。だから「既に起こった未来」をどう獲得するか考えてきて、今、あたらずとも遠からずという所に来ていると思います。今のようなスピードの速い時代では、何かが起こってから追随しても遅いのです。
財部:
そういうまっとうな危機感を持てたきっかけになったのは何だったのでしょうか。
家次:
リーマンショックのあと、日本企業は円高で苦しめられました。それから新興国のキャッチアップが思った以上に速かった。それで少し追い詰められてしまいました。それでも、コストカットだけでは競争には勝てません。次は何で商売するのかという発想を持たなければいけません。ではグローバル競争に何が必要かといったら、大国は軍事力ですが、我々のような会社は外交力だと思います。弊社はロシュともシーメンスとも提携しています。提携相手は敵にはならないからです。軍事力では負ける小さな国は、外交力を使って生き伸びるしかないと思っています。
財部:
外交力というのはなんか言い得て妙ですね。大国とまともに戦ってはいけませんね。
家次:
はい。自分たちのプレゼンスを確立すると、まわりの見方が変わるのです。我々は売上が300億円弱の時にグローバルメジャーのロシュと提携したのですが、彼らはヘマトロジー分野の製品を持っていなかったので、我々は対等だという姿勢を崩しませんでした。そうすると彼らの方からいろいろなこと教えてくれるようになりました。仲間に入れてくれたのだと思います。そこから一気にグローバル展開をすることができました。90年代からそれができたことは幸せでした。日本のマーケットはある程度の規模があるので商売ができてしまうのですが、今後は人口減少社会。そこを突き破っていかない限り今後は存在できなくなります。我々は非常にニッチな領域ですけど、今のところうまくいっています。
これから製造業はモノを売るのではなくバリューを売る
財部:
それにしても、医療の世界はまだまだ効率化していく余地があるのだということを感じましたね。
家次:
そうですね。医療はどんどん進んでいます。今は少し穴をあけるだけで胃を摘出することができます。いままで難しかったことが簡単にできるようになりました。オリンパスの内視鏡や、テルモのカテーテルなど素晴らしい技術で患者さんのダメージが少なくなりました。このような技術は日本が長けていますね。本当はこういうものがもっと出てくるべきなのです。
財部:
日本の製造業は技術開発は得意ですが、モノを売るのは苦手ですから。
家次:
日本の大手企業は、機器の開発力が強いがために、試薬にあまり重きを置かなかったということが言えると思います。機器と試薬の管轄事業部が分かれているなど、棲み分けがはっきりしているのですが、もしそれを一緒にやっていたらすごいことになっていたと思います。そういった会社は高い技術が評価されて実はグローバルメジャーにOEM供給をしていたりするのですが、自社ブランドで売っていないのは残念に思います。
財部:
そういう話は医療用機器に限ったことではないですね。エレクトロニクス業界全体がそういうところに陥っています。残念ですよね。ところで、機器だけでなく試薬というのは物理から化学みたいな感じでかなり違いますが、ここは簡単にジャンプアップできたのですか。
家次:
当初は機器を売るために、サービスや試薬を一部無償にするという、そんな売り方でした。でも我々は海外のメーカーと競争していますから、円高になるとかなり厳しい。ですからどう発想を変えればやっていけるか考えて、当時無償だったサービスを変えていくことに取り組みました。しかし、それまで無償だったものに、明日から有償ですといっても、受け入れられませんよね(笑)。そこでありがたかったのはITでして、今ではサーバなどは何も起こってないのに年間契約で保守費用を払いますよね。そういった保守サービスという考え方にお客様も慣れてきて、継続して加入いただけるようになりました。また、そのサービスにいかに付加価値をつけることができるか考え、遠隔サポートなどさまざまなコンテンツを展開しました。モノ売りから脱却し、バリューを売ることが大事だと考えています。
財部:
最後になりましたが、尊敬しているのは創業者だというお話がありましたが、やはり影響を受けておられるのでしょうね。
家次:
TOAという会社は、もともとスピーカーなどを作る会社でした。まだ売上高が2億円程度の時に、次のビジネスをどうするかという話になって、いわゆる多角化ですよね。それで60年の初めにアメリカの市場調査を行った結果、医療へのビジネス展開を決めて、何もない状態から始めたのです。これで時流に乗れました。当時、医療業界は本当に小さなマーケットで、まだまだプリミティブな世界でした。それが、国の経済成長とともに伸びて行き、もともと顕微鏡を使って検査していたものを自動化するなど医療機器の導入も進み、一気に発展していきました。我々は、その医療機器の開発のため、研究室を作って技術開発を進めたのです。そういう先を見て商売をするということは社風として持っているものだと思います。
財部:
ドラッカーがあとづけしてくれたようなお話ですね(笑)。今日は日本の製造業の先行きについて光が見えた気持ちです。ありがとうございました。