東京ガス株式会社  代表取締役社長 岡本 毅 氏

財部:
日常業務のうえで大切にされていることは何ですか?

岡本:
基本は何よりも安全です。ガスという、空気と混ざった状態で火をつければ燃える、あるいは爆発する可能性のある商品を扱うわけですから、何よりも安全が大事。そして「切れ目なく」という意味で、安定供給を重視しています。安全かつ安定的にガスを供給することが最優先で、その次に、お客様にできるだけ便利にガスを使っていただくことを心がけています。これは、床暖房や給湯器、調理用コンロなど、いろいろなガス機器を使っていただくことと、それぞれのガス機器が持っている便利な機能を上手に使っていただくという意味です。そうした価値を感じていただくための提案やサービスを通じてお客様の満足を高めていくこと、これがお客様との業務接点で私たちが目指していることです。

財部:
なるほど。

岡本:
そこに携わっているのが、現場で働く数多くの人々です。一口に現場と言っても、道路の掘削工事をする人もいれば、管理監督や検針担当者、安全保安のために点検に回る人、お客様からの電話を受ける人もいる。電話だけでも、当社には年間500万件の問い合わせなどが寄せられます。クレームも含め、それらをきちんと受け止め、お客様からのご要望に適切に対応していくことも現場の仕事ですよね。

財部:
そうですね。

岡本:
現場の士気が低下すれば、たちまち業績そのものやサービスの質の低下という問題に直結していきます。逆に言えば、現場に携わる人々のモラルが高く、やる気と責任感、集中力をもっていれば、安全かつ安定的で、お客様に満足していただけるような仕事ができる。その意味で、私は一貫して現場第一主義であり、「神は現場に宿る」と言い続けているのです。

財部:
はい。

岡本:
わが管内の復旧にはもちろんのこと、液状化現象がひどかった浦安市での対応、あるいは仙台市や石巻市の復旧にも、現場の力が十分に発揮されました。石巻市では、地盤沈下がひどく、満潮になると道路や建物下部が冠水し現場作業ができない。そこで作業にあたった人たちは、夜中2〜3時に起き、夜明け頃には現場に到着、満潮の午前11時頃までに作業を終える、そういう過酷なスケジュールの下で、干潮の間に街を走り回ってパイプを引っ張るということもやっていました。

財部:
本当ですか!

岡本:
決して自慢したくて申し上げているのではなく、そういうことを意気に感じて仕事をしている現場担当者たちがたくさんいるということが、私自身よくわかりました。それから今回は「東京ガスライフバル」の皆さんも、被災地支援に向かいました。彼らは、パイプを使ってお客様にガスを供給していくというガス事業の本質、その供給が途絶したときの影響の大きさ、パイプをふたたびつないだ時のお客様の喜び、あるいはわれわれ自身の達成感というものを、非常に強く感じて帰ってきてくれました。私が今回、一番嬉しかったことの一つです。

財部:
まさに現場の人々が「神を見た」と言うか、現場から本質を得た結果、彼ら自身のモラルアップにつながったというのは、本当に素晴らしい話ですね。

岡本:
私自身、現場を最大限に重視しているつもりです。そこで巡回と言いましょうか、現場を回って一緒にお酒を飲むなど、さまざまなことを可能な限り行っています。しかし、私個人でできることは限りがありますから、グループ各社それぞれの組織で「司」になっている人たちが、現場第一主義を実践リードしてくれるかどうかが鍵です。

災害リスクと安全に対するコストをマネージする判断の「拠り所」

財部:
震災直後にパナソニックの大坪社長にお目にかかる機会がありました。同社の工場もいくつか被災していて、大坪社長は震災3日後くらいから東北を回ったそうですが、彼は「日本のものづくりの復元力は凄い、何の問題もない」と話していました。たとえば、本来地震で倒壊しているはずの10トンプレス機が、たった20センチ横ずれしているだけだったというのです。過去の地震の経験から、現場の人たちが15mmくらいのビス数10本で機械を留めていたので、重機で位置を戻せば、プレス機がそのまますぐに使えたそうです。金型をしまっておく棚も、ビス留めに加えて、天井にL字型の留め具で留めてありました。なおかつ、金型が外に飛び出さないように、鉄の棒で横串を差していたということです。

岡本:
そうですか。

財部:
大坪社長が工場に視察に行かれた時、天井から落ちてきた瓦礫を片付けていたそうですが、自分の目の高さよりも下を見ている限り、「一体何かあったのか」と言いたくなるぐらい、普段と変わらない風景だったということです。ところが天井は全部落ちていた。それほど地震は大変だったわけですが、現場の人々が地震を経験するたびに知恵を発揮し、それが現場に蓄積されてきた結果、あっという間に復旧を遂げたのです。そういう日本の現場が持っている改革改善の力というか、毎回少しずつ手がけてきたことの蓄積を、5年、10年という単位で見てみると、現場がとてつもない進化を遂げていることを、岡本社長の話を伺っていても感じます。

岡本:
それはあると思いますね。それゆえ現場に適切な指針を与えることが大切で、なおかつ現場の創意工夫を妨げないためにも、コストや人員の節約などで、必要以上に現場を押さえてしまってはいけないと思います。もちろん無限にコストをかけるわけにはいかないし、無限に人を配置するわけにいかないので、制約があるのは当然ですが、そのバランスを見極めるのが難しいですね。

財部:
たとえば、どんなことが難しいのですか。

岡本:
今回の震災で言えば、1つは適切な基準として、津波の高さをどう想定するかという問題があります。現場にいる人たちが、自分で津波の高さを想定するわけにはいきませんから、それを3メートルとみるのか、5メートルとみるのか、10メートルとみるのかで、まったく話が違ってきます。当社の場合、これまでの経験値に沿って東京湾は2メートルは超えないという想定のもとで対策を進めていますが、国の防災会議での議論などを踏まえて想定を再評価し、設備的な対応の必要性について改めて判断していきたいと思います。一方で、それとは別にコスト削減や人員の配置については、なかなか難しいところがあります。他エネルギーとの競争はもとより、お客様にできるだけ低廉な価格でガスを提供する義務がありますから、当社でも、経営の効率化はかなり厳しく進めてきました。

財部:
経営の効率化と、災害のリスクを想定した対策をどう両立させるかが、大きな課題ですね。

岡本:
とくに、ここ10年は相当厳しい効率化政策を続けてきましたが、それが行き過ぎると、安全を担保するのに必要なコストまで切ってしまう可能性があります。人員の数についても「できるだけ減らせ」と言ってきましたから、「本当は3人ほしいところだが、2人でやってくれ」ということが現場で起こりうるわけです。平常時では問題なくても、何か起こった時に対処する能力、あるいは平常時において緊急時を想定する能力、もしくは気概が削がれる懸念があります。当社でも、その辺を去年あたりから見直し始めていたところでした。申し上げたいのは、安全率を99%から99.99%へと上げようとすれば、ほとんど無限にコストがかかるということで、それをどの辺りで仕切るかが非常に難しいのです。

財部:
そうですね。

岡本:
かといって、私自身がいくら「現場第一主義」だと言っても、現場のことがすべてわかるわけではないので、現場をよく知っているリーダーに判断を任せなければなりません。彼らが「10億円が絶対に必要です」と言ってくれれば「では仕方がない」ということになるかもしれませんが、「いくら使わせてくれるのか」と聞かれれば、こちらとしては「9億円でどうか」と言うかもしれません。その辺ですね、難しいのは。

財部:
社長ご自身の判断基準は、どこに置かれていますか。

岡本:
私の場合は、勘ですね(笑)。現場をよく知っているプロの言っていることを聞いて、判断しています。もちろん、その前に予算や計画を作る担当者が十分に精査してきますから、彼らの話と現場のリーダーの話を併せて聞いたうえで、「よし、これでいこう」と判断します。理論値はありませんから。

財部:
社長という立場になって、そういうことに対する意識は変わってきたのでしょうか。

岡本:
問題意識としては、ずっと同じように持っていたつもりです。ただ、社長になる以前は「私はこう思います」と言えば、社長が決めてくれました。しかし今度は、「私はこう思います」と言うと、そのまま決まってしまいます。そういう意味では、意識はたしかに違います。

財部:
先日、西武ホールディングスの後藤高志社長にお目にかかりました。後藤社長は銀行から来られて西武グループの再建にあたったのですが、当初、西武グループ再建の諮問委員会からはコクド、西武鉄道、プリンスホテルを一緒にするという答申が出ていました。後藤さん自身も諮問委員会で、現場を知らない人たちの議論を聞きながら、すべてを1つにすれば合理的に処理できると思ったそうです。ところが実際に社長として来てみると、3社は氏も育ちもまったく違い、人事の交流もない。したがって、これらを1つにしたら現場が回らないので、現場の士気を落とさないことが経営の安定につながると考え、答申を全部蹴飛ばして、3社別々にホールディングスという形を取ったという話をしておられました。

岡本:
なるほど。

財部:
また、同ホールディングスがリゾート事業として運営しているスキー場のリフトでも、年間を通してみると事故などがある。そこで自分で行ってみなければならないと思い、冬場に、現場に話を聞きに行ったそうです。ところが、皆がスキーウェアを着ているのに、自分だけがスーツを着ていくと、社員の方も何を話してよいのかわからなくなる。そこで後藤社長自身がスキーをやるようになったというのです。スキーウェアを着てスキーを担ぎ、ゴンドラに乗っていって「君、これはどこが問題なのか、修理したほうがいいのか」と聞くと、相手の話ぶりがまったく違うそうです。危機管理として、いかに現場の本音を聞き出すかという意味では、共通したものがあるという感じがします。

岡本:
現場の本音を聞くのは非常に難しいことで、こちらがどれだけ努力しても限界があるというのは承知しているつもりです。そうは言っても努力はしなければなりませんので、今は震災で中断していますが、月に2、3回さまざまな現場に出かけて、職長クラスの方に集まってもらい、話を聞かせてもらっています。「『神は現場に宿る』とか偉そうなことを言って心苦しいのだけれど、実際の現場で何が起きているのか聞かせて欲しい」と1時間ぐらいやるのですが、現場の皆さんはとても緊張しながら話してくれるわけです(笑)。

財部:
そうですよね。

岡本:
そこで5時半に営業時間が終了すると、隣の部屋に行き、一升瓶を置いて飲み始めるのです。「今日はよろしく」と言ってネクタイを外すと、15分ぐらいで雰囲気が変わり始め、「じつは、この際言っておきたいことがあるんです」という話が出てくるようになる。そこで、先の安全の話にも関わってくるのですが、「絶対にあなたの上司には言わないから、感覚でいいから教えてほしい。職場の保安関係費用も人員も減らされているようだけれど、もう少しお金を使えば良くなるとか、もう少し人がいれば安全に対応できることはあると思いますか?」というようなことを聞くのです。

財部:
どんな答えが返ってくるのですか?

岡本:
たとえば、「正直言いますと、今は新人で入ってきた連中も要員に数えられています。でも本当は、彼らは要員外なので教育をしなければなりません。彼らの教育のために自分の時間も取られます。その意味で、人数は合っていても実態は合っていません」ということです。私は、そういう話を聞いて、ただちに「あの部門の人を増やせ」とか「あそこの機械をダブルにしろ」というようなことは絶対に言わないし、担当部門にも私が聞いたことを伝えないようにしています。あちこちで聞いたそういう話を自分の頭の中で集約していった時に、先ほどの「勘」の1つの拠り所として、「(現場を)少し締めすぎているのではないか」と感じたわけです。

財部:
そういうことが、判断の拠り所の1つになっているのですね。

岡本:
はい。でも、これもまた難しいところがありまして、第三者から見たら「お前はどれだけ現場を見たのか、まだ一部ではないか」とか、「ごく一部の人の話しか聞いていないのではないか」と言われるのも事実です。だから、聞いたことに重きを置きすぎるとかえって間違うこともあるわけで、自分の中で、そのバランスを取るのがまた難しいですね。

財部:
そうですね。私もある意味で、取材のジレンマにいつも向き合っています。私は、ジャーナリストとは、現場に行かなければ職業として成立しないということを、自分の考え方として持っているのですが、当然制約があります。自分になりかわって作業をしてくれる人があれば参考にしたいとも思いますが、基本的に日本のメディアの中では、同じ目線で継続的に取材をしている人はおそらくいません。こうしたメディアの実情を見ていると、最終的には自分自身で決めるしかないと思っています。

岡本:
そうでしょうね。

財部:
もちろん、できる限り一方通行にならないように、肯定側だけでなく否定側の人にも意見を聞いてみることを心がけていますが、取材を通じてものを書いたり伝えたりするというメディアの本質を深掘りすれば、じつは世界中を見ても、信頼できる情報は1つもなく、(情報とは)つねに誰かの意見でしかありません。ならば、自分の意見で書くしかない、あとは情報に誠実さを持たせるために、どこまで努力をするかという部分に尽きる、と私は職業上割り切っています。