「明日くるかもしれない大地震」を合言葉にインフラ強化に努めてきた
東京ガス株式会社代表取締役社長 岡本 毅 氏
財部:
まずは、日本郵船の宮原耕治会長とのご関係からお伺いしたいのですが。
岡本:
宮原さんと最初に顔を合わせたのは1987年。官民交流の勉強会を行っている団体に、同時期に参加したのです。同じ昭和45年入社組ということもあり、親しみを感じながら、その団体での活動をご一緒させていただきました。一方でちょうどその頃、日本郵船と東京ガスとの間にLNG船を作るという新しいビジネスが持ち上がり、仕事の方でもかかわりができたのです。
財部:
そうなんですか。
岡本:
そのあとに今度はプライベートで、私が家内と夏休みを過ごすのに日本郵船の『飛鳥』という客船に乗ったのですが、その時たまたま宮原さんご夫妻も乗っておられたのです。船の上に1週間もいると家族同士仲良くなります。それで、奥様も含めて家族ぐるみの付き合いになり、ほかに親しくしているもう1組のご夫婦と一緒に、3組6人でずっと遊んでいます。仕事を離れても親しい関係です。
財部:
奥様も交えてというのは、なかなかないことですよね。
「神は現場に宿る」が経営の信条
財部:
今回は、東京ガスさんの震災復旧の話についてお聞きしたいのですが、岡本社長ご自身は今回の震災をどう捉えていますか。
岡本:
地震が起こった時、執務室にいましたが、私自身、初めて経験するような猛烈な揺れでした。われわれは首都直下型地震をつねに想定し、東海沖地震もありえるということで、「明日くるかもしれない大地震」を合言葉に毎年訓練を行い、設備およびソフト面で準備を怠らないようにしてきました。しかし、自分が担当している間は「そんな大きな地震は来ない」と皆が思っているものです。いずれ大地震が起きると覚悟だけはしているつもりでしたが、「それがついに来てしまった」とその時、直感的に思いました。
財部:
具体的にはどんな対応をされたのですか。
岡本:
幸いにして執務時間中だったこともあり、訓練通りに対策本部を立ち上げ、私は本部長を務めました。それ以降の対応は、ほぼ順調にできたと思います。東京ガス管内の被害は、茨城県日立市にある日立支社の供給区域の約3万件が全部供給停止になり、その復旧に1週間ほどかかりました。日立以外の地域は、マイコンメーター作動による復帰出動は多数ありましたが、供給設備そのものの被害はほとんどありませんでした。問題は、仙台市を中心とする東北地方の太平洋沿岸や茨城県および千葉・浦安沿岸の液状化地域にあるガス会社に対する支援で、ほぼ同時にスタートしました。
財部:
今回のように大規模な災害が起きた場合、業界での対応はどうなっているのですか。
岡本:
大災害に遭遇した場合、全国のガス会社が一斉に日本ガス協会の指揮下に入り、できる限りの人員を動員して復旧にあたるという仕組みができています。東京ガスはその中核部隊として、他地域の支援も同時並行的に進め、全力で取りかかりました。苦労もしましたが、過去のさまざまな経験や蓄積もあり、比較的順調に復旧活動を進めることができました。仙台については4月中旬にすべて復旧し、海岸地帯で被害が最も甚大だった石巻市も5月17日に完全復旧しています。私はその間、千葉県の液状化地域と仙台市、石巻市を訪れ、現場の激励および他社から支援に来ていただいている方へのお礼に回りました。
財部:
全国から、多くの方が支援に来られていたのですね。
岡本:
はい。仙台市だけでも全国のガス事業者から1日最大4000人が支援のために集まりましたが、皆さん共通して「ライフライン復旧のために貢献したい」という使命感を持って臨んでくれました。そうした多くの方々の努力に支えられて、こちらもほぼ順調に作業が進みました。加えて、もう1つ幸いだったのは、あれだけの大地震にも拘らず、パイプラインやタンクといったガス設備そのものへの大きな損傷はなく、2次災害も皆無だったということです。
財部:
皆無だったのですか。
岡本:
たとえば火事は、私の知る限り1件も出ていませんし、ガスが洩れたことによる何らかの被害もありません。唯一、仙台市内で都市ガスを製造している工場が、津波で電気系統に被害を受けて操業不能になり、仙台市全体でガスが供給停止になりました。しかし、新潟から来ているパイプラインの損傷はなく、速やかに供給を再開できたので、ガスインフラそのものは非常に強靱であることを証明できたと思います。
財部:
阪神淡路大震災の時は、ガスインフラはどんな状況だったのですか。
岡本:
当時は、神戸・大阪を中心に約86万戸でガスの供給を止めざるを得ませんでした。今回の震災では、仙台を中心に約44万戸の供給が停止しています。阪神淡路大震災の時には、設備対策がまだ過渡期にあり、結果として復旧に3カ月以上を要しました。一方、今回のガス供給停止戸数はその約半分だったとはいえ、実質的には1カ月でほぼ復旧しています。ハード面およびソフト面におけるこれまで積み重ねてきた対策が着実に成果を上げてきているということだと思いますね。
財部:
たしかに身近なところでは、自分のマンションでもガスがきちんと止まり、きわめて簡単な操作で復旧できたので、驚きました。
岡本:
阪神淡路大震災の時には、マイコンメーターによる自動停止機能がまだ完全には普及していませんでしたが、今では全国でほぼ100%近く普及しています。また、パイプそのものが強靱なポリエチレン管に順次変わっている上に、東京ガス管内で言えば約4000箇所に感震装置が設置されています。震度ではなく、加速度をもとにした計数で、一定の規模以上の地震を感知すると自動的に止まるのです。そのように、被害が起こりそうな時にはガスを止めるという機能がほぼ完全に普及していることもあり、ガスが流れ続けて火事になるということが皆無だったのは、非常に大きいと思いますね。
財部:
阪神淡路大震災の経験値なり、改善の取り組みが役立ったのですね。
岡本:
(阪神淡路大震災当時も)すでに設備やハード面に関しては、そういう方向で動いていましたが、まだ途上にありました。しかし復旧のノウハウ、ソフト面については、過去の経験に学んだ部分が大きいですね。多数のお客様に対するガスの供給がストップした時に、どういう手順で復旧させていくのかというノウハウについては、阪神淡路大震災や中越沖地震の復旧作業を通じて学んだことが活きたと思います。
財部:
私なりに災害復興の歴史を勉強してみたのですが、役所はやたら批判されますが、阪神淡路大震災や中越沖地震、雲仙普賢岳の噴火などの災害からつねに、さまざまなことを学んできました。ところが国交省の人と話をして思ったのは、役所や国の対応、あるいは歴史を振り返ると、基本的にすべて個別対応だったということです。たとえば雲仙普賢岳の噴火にしても、阪神淡路大震災にしても、毎回「史上稀に見る災害」と言って個別的に対応してきたため、普遍的なルール付けや救済のスキーム、権利確定の問題などについて、その場その場で対応するような話になっている。しかしその点、今回の東京ガスさんの対応は、これまで蓄積されてきたものの強みが現れているような気がします。
岡本:
1つには、ガス事業はシンプルなので、やるべきことがわかりやすく、経験を蓄積していくことが比較的容易だということがありますね。
財部:
日本のインフラあるいは復旧の取り組みは、国際的にレベルは相当高いと考えていいのでしょうか?
岡本:
そう思います。今回の震災でも、福島第一原発の事故を別にしますと、電力インフラについては、たしかに停電もありましたが、ハード面では全体的にかなり強靭でした。ガス事業も同様ですし、通信も一時的には混乱しましたが、復旧にそれほど時間がかかりませんでした。日本のネットワーク産業の強靭さは、かなりのものではないかと思います。
財部:
海外ではどうなのでしょうか。
岡本:
たとえば海外では、大規模停電がよく起こっていますが、そのきっかけは、今回の福島のような大災害ではありません。ロサンゼルスで10年前に起きたカリフォルニア大停電、あるいはその前のニューヨーク大停電は、変電所に大きな雷が落ちたとか、設備余力が小さい中で電力需要が過大になり、送電が一斉にストップしてしまったことが原因です。われわれから見ればインフラが脆弱で、今の日本ほど強靭な送電ネットワークを持っていないような気がします。ガス産業もそうだと思います。われわれは当然ながら、日本はもともと地震国だということを強く認識しています。これだけ強靭なインフラをつくり、かつ復旧のことまで考えて、つねに準備をしている国はそう多くないのではないでしょうか。
財部:
今回いただいた資料の中にも、御社が現場を非常に大切にされていることを説明されているものがありましたが、今回まさに、そういう部分が見事に活かされたわけですね。
岡本:
そうですね。ガス事業はお客様に対して直接、もしくはお客様の近くで人手をかけて行う仕事が多いのです。当社の顧客数は約1050万件ですが、それに対し、東京ガス本体だけで8000人、関係会社も入れれば合計1万5000人の従業員が働いています。それから、われわれが「東京ガスライフバル」と呼んでいる町のガスショップ、すなわち1050万のお客様に向けて、ガス機器の販売や修理、さらに検針、定期保安点検などを手がけている会社がありまして、そこに大体1万人の従業員がいる。ほかにも工事会社があり、大雑把に言って合計約3万人が、ガスの設備やソフトに関わるさまざまな仕事をしているのです。ガス事業は、労働集約的な側面がかなり強い設備産業ですから、日常の仕事を行ううえで、現場がうまく機能することが重要です。