松竹株式会社  代表取締役社長 迫本 淳一 氏
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「3.11」後を生きる日本人を応援するエンターテイメントを創る

松竹株式会社
代表取締役社長 迫本 淳一 氏

財部:
最初に、タカラトミーの富山幹太郎社長とはどんなご関係なのですか。

迫本:
仕事上では『魔弾戦記リュウケンドー』と『トミカヒーローレスキューフォース』という戦隊ものの特撮テレビ番組を、開発等も含めて手がけました。富山社長と永谷園の永谷栄一郎会長、内野タオル(内野株式会社)の内野信行社長がご親戚同士で、私は内野さんとは学校の同級生ですし、永谷さんとも同窓です。そんな関係で、3人が集まると、ときどき食事にも呼んでいただいています。

財部:
そうですか。内野さんには通常の取材ベースでお目にかかる機会があり、永谷さんにもこの「経営者の輪」でお会いしています。富山さんにも出ていただいたのですが、次は「松竹の迫本さんでどうですか」と最初からおっしゃっていました。

迫本:
(私のことを)推してくださった、ありがたいことです。

歌舞伎400年の伝統と革新を支える

財部:
今日はまずここから伺っておきたいのですが、迫本さんはあるインタビューの中で「歌舞伎は400年も続いているが、国の援助なしでこれほど長く続いている伝統芸能はほかにない」という意味のことをおっしゃっています。私は勉強不足で非常に驚いたのですが、歌舞伎は全く国の援助なしで続いているのですね。

迫本:
興行について一切援助はありません。歌舞伎のように、興行収入だけで芝居がこれだけ長く続いている例は、世界でもほかにないのではないでしょうか。

財部:
私がテーマにしている経営という観点から多くの企業や業種を見ていると、芝居なら芝居というコンテンツそのもので成り立っているビジネスは、かなり希有だと思います。

迫本:
当社のように、芝居や映画の興業・制作だけで100年以上続いている会社も、世界ではほかに例がないかもしれません。実際、アメリカの映画会社は他業種の企業の傘下に入っているケースが多いですね。その点、当社はこれまで、ものづくりだけで勝負してきたことに誇りを持っています。

財部:
他の企業がバックについている場合でも、本業で大きな利益を上げて、赤字を補填しながらコンテンツ事業を続けていることが多いので、サスティナビリティという点ではかなり無理があるというのが大方の見方です。その意味で、歌舞伎の持つ特殊性あるいは松竹さん独自の努力について、どのように考えたらいいのでしょうか。

迫本:
そこには、われわれの先輩たちがもの凄い努力をしてきたという流れがあるのです。歌舞伎の歴史は400年ですが、松竹が歌舞伎に関わるようになったのは110数年前。当初は「江戸三座」(註:中村座・市村座・森田座)と呼ばれていた劇場ごとに役者さん、オーナー、プロデューサーが揃い、歌舞伎の興業を行っていました。1895(明治28)年に創業した松竹は、劇場の経営権を取得しながら徐々に事業を広げてきましたが、今歌舞伎に本当に力を入れて経営しているのは当社だけになっています。創業者の大谷竹次郎・白井松次郎を中心とする松竹の先輩たちの努力は、従来の芝居のやり方を、顧客本位の視点で改革した点に意義があったのではないかと思います。

財部:
具体的に、どんな改革が行われたのでしょうか。

迫本:
それまで中間に入っていた反社会勢力と断絶したり、きちんと稽古を行い、予定していた演目をその日のうちにやるようにする、など今では当たり前のことです。加えて1カ月単位で興行をおこない、俳優さんに事前に給料を支払って、先々の(公演)計画を立てられるように、相当大きな改革を行いました。当時は、予定していた興行も、その日のうちに終わらなければそれでおしまい、という大雑把な運営が普通で、反社会的勢力との関わりも深かったようです。

財部:
そうですか。

迫本:
歌舞伎は当時、唯一と言っていいほどの全国的な娯楽でしたから、非常に収益も上がりましたが、その後興行が厳しくなりました。その間を、映画や藤山寛美さんの松竹新喜劇で支えてきたような感じです。歌舞伎自体が、興行として本当に力がついてきたのはこの25年ぐらいだと思いますね。団十郎さん(12代目市川団十郎)が襲名された頃から興行としての広がりが出てきて、若手の俳優さんたちが育ってきました。また面白い演目を取り揃え、それをたとえば「十七代目中村勘三郎23回忌追善」や「3代目中村又五郎襲名披露」などの形でイベント化し、公演の中身自体も面白く工夫するなどの努力を積み重ね、今日に繋がっています。

財部:
伝統的な手法を守るというよりも、むしろ松竹さんなりの新しいイノベーションを加えながら、歌舞伎は大きく形を変えてきているわけですね。

迫本:
そうですね。勘三郎(18代目中村勘三郎)さんがやっている「コクーン歌舞伎」などの新しい歌舞伎にしろ、吉右衛門(2代目中村吉右衛門)さんが手がけている古典歌舞伎にしろ、さまざまな努力を重ねながら中身も変わってきています。ですから、歌舞伎を世界無形文化遺産に登録していただいたのは非常にありがたいことですが、歌舞伎に関わっているわれわれとしては「遺産」というつもりはなく、近代・現代にわたって続いている芝居だというつもりでやっています。

財部:
資料を拝見すると、迫本社長は歌舞伎のことを「芝居」とよく表現されています。私は芸術的な素養がないせいか、歌舞伎と言うと何か特別なもので、芝居とは全然違うカテゴリーなのではないかという認識を持ってしまうのですが。

迫本:
そもそも、昔は芝居といえば歌舞伎しかなかったわけで、その意味では「芝居イコール歌舞伎」と言ってもいいぐらいだったと思います。今財部さんは「芸術的素養がなくて」と謙遜されましたが、歌舞伎はその発祥から非常に大衆的なものであり、先輩たちの努力によって芸術性が徐々に高められ、極めて洗練されるに到ったのです。そこが、もともと貴族の文化だったオペラとは違うところです。

財部:
なるほど。

迫本:
俳優さんたちも皆、歌舞伎の根本の部分には大衆性があると考えています。ですから「歌舞伎は芸術的なものだから、勉強しなければいけないのではないか」という先入観はぜひ捨てていただいて、気楽に観ていただけたらと思います。ごく簡単に「誰々のファン」だというところから入っていかれてもいいのではないでしょうか。

財部:
そうですか。ある時期から、若手の歌舞伎役者が映画やドラマにたくさん出るようになりましたが、私は戦略的に非常に素晴らしいと思っていました。映画やドラマで彼らが人気を得ることで、歌舞伎に若いファンもついてくるというリエゾンのさせ方は、意識的に行ってこられたのでしょうか。

迫本:
会社としてやっているというよりも、むしろ俳優さんたちが、「いろいろなところに出て行きたい」と考えて活動している部分があります。「歌舞伎の芸を考えれば、歌舞伎だけをやっていた方がいいのではないか」という意見も社内にはあるほどで、特に戦略的に行っているわけではありません。

財部:
そうなんですか。ドラマや映画の中で、歌舞伎役者は普通の役者と同じ地平で役を演じつつも、歌舞伎の舞台に立つ時には、ドラマや映画とは一線を画した圧倒的な存在感を見せています。そうした、「あの人がこれを演じているのか」という部分が、松竹さんでなければできない醍醐味になっていると私は見ていたのですが。

迫本:
そのような面もあると思います。逆に言えば、歌舞伎役者は子供の頃から芸事を鍛えられているので、他のドラマやテレビに出ても、俳優としての力量という点では非常に腕がある。ですから、彼らの活躍の場がそういう形で歌舞伎以外にも広がれば、コンテンツを制作する側だけでなく、それをご覧になるお客様にも本当に喜んでいただけるのではないでしょうか。