日本コカ・コーラ株式会社 魚谷 雅彦 氏

財部:
ははは――。でも、ご著書の冒頭に「1日5000万人がコカ・コーラ社の製品を買っている」とありますが、これは突出した数字ですよね。

魚谷:
少し前のことですが、僕はある時、一体何人のお客様がわれわれの製品を買ってくれているのかと疑問を抱きました。大手コンビニエンスストアには1日1000万人のお客様が来店しているというPOSデータがあったので、僕はコカ・コーラ社の自販機の利用者は1日2000万人ぐらいだと思っていたのです。実際に調べてみると、自販機やその他のチャネルを入れるとその倍以上である延べ5000万人が当社の製品を買って下さっているという。これはある意味で、お客様からいただいた信頼を物語るものであり、われわれにとっての大きな宝物です。

財部:
良いお話ですね。戦後に日本に入ってきた『コカ・コーラ』は、われわれが子どもの頃もずっと「憧れの飲み物」でした。それにとどまらず、今や『コカ・コーラ』は日本社会に大きく根を張って広がっているように見えます。こういう消費者との深いつながりを支えているものは何なのでしょうか。

魚谷:
そうですね。これもわれわれのブランド価値の一部だと考えますが、コカ・コーラのブランドに関わり、それを広めていくことに人生の喜びを感じている人たちが全世界に数多くいる、ということだと思います。そういう、ブランドを支える人たちの強い思いが、われわれのビジネスの底辺にはあるのです。ご承知の通り、『コカ・コーラ』の商標を持っているのは、ザ コカ・コーラ カンパニーで、日本コカ・コーラはその100%子会社。加えて、ボトラー社というパートナー会社が全世界にある。そのボトラー社が、自らの出資で設備投資を行い、従業員を雇って地域密着型のサービスを提供しています。さらに、日本の場合も同じですが、さまざまな業種業界の株主が、ボトラー社の経営に参画して下さっている。このように、われわれのビジネスを構成する「コカ・コーラシステム」には、じつに数多くの人たちが関わっていますが、皆の思いは1つ。ブランドなんですよ。

財部:
まさにステークホールダーの皆さんが、ブランドの下で1つになっているということですね。

魚谷:
資本関係がある子会社に対してなら、「ウチの看板を掲げて下さい」とか「わが社のために働いて下さい」とも言えるでしょうが、日本コカ・コーラとボトラー社との間には基本的には資本関係はありませんでした。欧米的に言うならば、ボトラー社には、当社と契約を結んでいただいたうえで仕事をしてもらっています。でも、人は契約だけでは動きません。人を動かすのは情緒であり、われわれにとって、その情緒とはブランドです。僕は「ブランドはまさに絆となって運命共同体を構成する」とよく言うのですが、この「運命共同体」に関わる皆さんが、「この事業を育て、伸ばしたい。社会に貢献したい」という思いで、日本コカ・コーラの設立以来、必至になってやってこられました。缶コーヒーもスポーツ飲料も、まさにその延長線上に生まれてきたのです。

財部:
ある意味で、昭和における「坂の上の雲」はアメリカでした。いわば、その「坂の上の雲」をずっとかき分けていくと、コカ・コーラのロゴが出てくるようなお話ですね。

魚谷:
その言い方を、僕もぜひ使わせていただきます。本当にそうですね。僕はこの会社に入ってマーケティングを任されてから、部屋に閉じこもっていてはいけないと思い、全国を歩き、現場で仕事をしている若者とよく話しました。彼らに「君はなぜこの会社に入ったのか」と聞くと、主に2つの答えが返ってきたものです。1つ目は「このコカ・コーラのロゴマークがついたユニフォームを着て仕事がしたかった」という答えで、彼らは真顔で本当にそう言います。そして2つ目ですが、彼らの多くが「この地域に生まれたからには、ここで働き、地域の経済や社会に貢献したい」と答えました。事実、日本各地で働いている2万人超の従業員のほとんどは、それぞれの地域の出身者なのです。

財部:
ほお。

魚谷:
九州地域の某営業所を朝に訪れたことがありますが、そこでは3、4名の従業員が交代で、毎朝定時の30分前に出勤していました。聞けば、彼らは出勤後すぐに制服に着替え、黄色いビニールの横断歩道旗を持ち、近所の小学生の登校時の交通安全を見守っているというのです。その営業所では、こうした地域の交通安全活動を20年も続けているというから驚きます。こういうことは、東京から地方に転勤してきた人にはできないかもしれません。本当の意味での地域密着およびグローバル企業としてのブランディング力が合体し、コカ・コーラのビジネスの強みが実現しているのだと思います。

財部:
逆に言えば、ローカリズムだけでも夢がなくなってしまいますから、それとグローバリズムの両方があって初めて、うまくバランスするのかしれません。

魚谷:
そうですね。コカ・コーラはFIFAワールド・カップやオリンピックなどにも、トップスポンサーとして長く協賛を行っていますが、それだけでは我々のマーケティングは成り立ちません。それで僕は、グローバル、ナショナル、ローカルという3層のバランスが大切だとよく話しています。まずグローバルの部分では、この『コカ・コーラ』を中心とする製品のブランドの価値を、いかに世界的に高めていくかが課題。その意味で、たとえばワールド・カップ1つをとっても、それに協賛することそのものに意義があるのではなく、われわれの視点は、ゲームを観戦している「人」にあります。

財部:
ええ。

魚谷:
いまや、テレビの国際放映で約60億人がワールド・カップを観る時代。オリンピックも同様ですが、たとえ試合を観る場所や、試合を観ている人たちの国が違っても、スポーツの素晴らしいシーンから受ける感動は世界共通です。フィールドを駆け巡る選手たちの、あの汗を見たときに、誰もが感動し、爽やかさを覚える。それこそが、われわれが製品を通じて消費者に届けたいと思っているブランド価値と同じものなのです。

財部:
実際に、テレビの画面がシンクロしていますよね。ワールド・カップの試合における感動のシーンと、コカ・コーラのロゴが。

魚谷:
そうなんです。次に「ナショナル」の部分についてですが、食文化は社会文化や言語文化などに大きく関わっているので、われわれの製品企画は一般的に、国を単位にして行うことになります。具体的には、先にもお話した通り、日本という国全体を考え、消費者の生活の実態や価値観、社会観、ライフスタイルなどを見て、どんな製品を提供していくかを検討し、企画を立てていく。われわれは1個10万円もする高額な商品を売っているのではなく、大量生産を基本にしていますから、ある程度の全体最適を考慮してナショナルレベルの製品企画、広告、マーケティング等を展開しています。

財部:
なるほど。

魚谷:
そしてもう1つの層が「ローカル」です。これは販売現場に近い話になりますが、たとえば売り場をどう作るのか、お客様に製品価値をどうわかってもらうのか。あるいは、「その現場でいいのか」といったことが俎上に登ります。僕も昔、非常に問題だと思ったのですが、たとえば子供が多い地域であっても、自販機に『コカ・コーラ』から並べていることが多い。具体的には、『コカ・コーラ』や『ファンタ』という、いわゆるグローバルブランド製品を上から並べるので、だいたい自販機の1番下に缶コーヒーが来る。ですから、『コカ・コーラ』や『ファンタ』に子供たちの手が届かないのです。

財部:
「大人の目線」で、商品を並べているのかもしれませんね。

魚谷:
そうですね。ここの本社オフィスで、ナショナルレベルの企画だけで作業を行っていくと、「自販機の中には、このように商品を並べよう」といったスタンダードを作りがち。ところが、そういう現場の事情は、個々のケースによってまったく違うのです。たとえば工場が多い地域なら、もっと缶コーヒーを増やした方がいいという場合も当然あります。現場に即した対応というものは、やはりその場にいる人たちが真剣に考え、行動しなければ成立しません。

財部:
そうですね。

魚谷:
いつも良いこと尽くめだとは限りませんが、グローバル、ナショナル、ローカルという3つの層が有機的につながり合って初めて、僕が本に書いたような「クリエイティブ・テンション」(創造的な緊張関係)が生まれます。そしてわれわれの組織が、ブランドを絆とした運命共同体であるからこそ、さまざまな議論も起こるのです。

財部:
運命共同体ということですから、コカ・コーラさんの内部では、さぞかし自由闊達な議論が交わされているのでしょうね。

魚谷:
「もっと良い製品を企画してほしい」とか「あんなによく売れる場所に、なぜわたしたちの製品を置いていないのか」、「お客様と、もっときちんと交渉してほしい」といったことを、日々各部署でやり取りしています。こうした運命共同体としての仕組みを、僕たちは「コカ・コーラシステム」と呼んでいますが、まさにコカ・コーラ120年の歴史の中で、このシステムが作り上げられてきたのです。

財部:
コカ・コーラさんのビジネスがよく見えてきました。ありがとうございました。

(2010年2月8日 東京都渋谷区 日本コカ・コーラ本社にて/撮影 内田裕子)