日本コカ・コーラ株式会社 魚谷 雅彦 氏

財部:
そうですか。(瓶入りの『コカ・コーラ』を手に)最近は瓶で飲む機会がなかなかないのですが、何か味が違うような気がします。製品自体に違いはないですよね。

魚谷:
はい。よく受ける質問ですが、缶に入っていようが、ペットボトルに入っていようが、中身は一緒。その意味で、実は今、財部さんが言われたことも、僕らのマーケティングにおける重要な要素です。たとえば、製品の中身自体が知的財産であり、それは120年間変わっていませんが、それでも今日までブランド力を維持してこれたのは、消費者の感性の部分を大事にしてきたからだと思います。たとえ製品の中身は同じでも、消費者が『コカ・コーラ』を飲む状況、たとえば湿度や気候、場所などによって、人それぞれの(味覚に対する)感じ方が大きく違うのです。その意味で、人間の五感はやはり凄いと思いますね。

財部:
僕も、子供の時から『コカ・コーラ』をずっと飲み続けていますが、そう思います。それとも関連する話ですが、魚谷さんが手がけられた「『男のやすらぎ』キャンペーン」をきっかけに、『ジョージア』のブランド力が大きく向上しました。僕は、そういう『ジョージア』の戦略的な転換に、非常に共鳴したのですが、やはり「消費者が缶コーヒーを飲む現場を頭に描くことができるかどうか」が、少なからず結果を左右した部分があるのではないでしょうか。

魚谷:
はい。そもそも当社のようなグローバル企業には、いくつかのパターンがあると思います。たとえば海外の自動車メーカーでは、本国で素晴らしい技術や発想を活かして商品を作り、日本法人の主な仕事は「日本市場で、その商品をいかに売っていくか」ということになるケースがほとんど。ですから、日本法人が独自の商品を企画して作ることは、まずありません。もちろん、商品を日本向けにローカライズするなどのマイナーな変更は行いますが、それはそれで確立された1つのモデルです。

財部:
そうですね。

魚谷:
ところが「食は文化」と言うように、食べ物や飲み物は、日本の文化に大きな関わりを持っています。そういう見方でいくと、『ジョージア』という缶コーヒーは、日本コカ・コーラにとっては非常に重要であっても、海外ではあり得ない製品。実際、『コカ・コーラ』には、アメリカや南米、ヨーロッパでこんな広告やプロモーションを行って成功した、あるいは失敗したという事例が数多くあり、われわれは常にそういう情報に接しています。ところが『ジョージア』の場合、そういうものがまったくないわけですよね。

財部:
ええ。

魚谷:
そこで僕は、「『男のやすらぎ』キャンペーン」立ち上げの際、『ジョージア』を主に飲んでいただいている日本のお客様を「サラリーマン」と呼ぼうと提案しました。アメリカ人はサラリーマンを、ブルーカラーとホワイトカラーにすぐに分けてしまいがちですが、日本では「あの人はブルーカラーだ」とはほとんど言いません。例えば、工場で小さな部品を作る仕事をしていても、1人ひとりが「この会社のために」という強い帰属意識の下で働いているのが日本人。ですから僕は、ブルーカラーやホワイトカラー云々ではなく、『ジョージア』の顧客層を大きく「サラリーマン」と考えようと思ったのです。

財部:
そこから、日本の消費者が、缶コーヒーを飲むシーンを頭に描かれたわけですね。

魚谷:
まずは「日本の一般的なサラリーマンの生活とはどんなものか」、という実態を理解しなければなりません。ところが「われわれ自身もサラリーマンの1人」だという認識に基づき、サラリーマンの生活の中に、缶コーヒーがどう位置付けられているのか、どんな価値を提供しているのかをよく考えてみる、という作業ができていませんでした。以前は「缶コーヒーはブルーカラー系の仕事をしている人のドリンク」という固定概念がありました。確かに糖分が喜ばれて肉体労働をしている人が最初に缶コーヒーの愛飲者になったということはあります。

財部:
ええ。

魚谷:
しかし、それだけでは市場の広がりは望めないし、実際、オフィスに勤めるホワイトカラー系の方も『ジョージア』を飲んでくれています。その意味で、彼らは一体どういう人たちなのかということを、もっと考える必要がありました。具体的には、お子さんがいる20〜40代の方が中心。毎朝、奥さんに「あなた、しっかり頑張ってきてね」と言われて出勤し、会社でも上司に「しっかりやっとるか」とネジを巻かれつつも、喜びと悲哀の両方を心に抱いて暮らしている。そういうサラリーマンの心情を把握し、彼らの心に訴え、「おいしいコーヒー」プラス・アルファの情緒も含めたブランド価値を創り出したいと考えました。僕自身、営業車に乗って「ドブ板営業」をするところからサラリーマン生活を始めたので、そういう心情は感覚的に理解できたつもりです。

日本企業のアジア市場開拓には「ブランド作りのマーケティング」が不可欠

財部:
ところで、リーマン・ショック以降、中国を始めとする東アジア地域の新興国が注目されてきた中で、僕は最近「メイド・イン・ジャパン」の再評価が必要だと言っています。これまで携帯電話やデジタルカメラに限らず、日本製品はスペックは良いが値段が高すぎて駄目だと言われていました。実際、日本のメーカーは韓国や台湾の企業に競争力で負けて、そこにコンプレックスを感じていたようにも思えます。ところが、東アジア地域では所得の上昇が思いのほか早く、気がついたら、値段の高い日本製品をそのまま買いたいという人たちがかなり増えてきたことを、僕は台湾や香港で実感しました。

魚谷:
なるほど。

財部:
ただし、僕が非常に違和感を覚えているのは、中国あるいは香港、台湾の人たちが日本ブランドの価値を評価している一方で、それを提供する日本企業の方が、むしろ「低価格路線」云々と言っていることです。マーケットは日々変化していますから、同じ商品を出していても、それに対する評価が変わることはよくあります。その意味で、「メイド・イン・ジャパン」が持つ価値に、アジア市場におけるニーズがついてきたような気もするのですが、魚谷さんは、アジアとの関係の中でブランドというものをどうお感じになりますか。

魚谷:
そもそも、ブランド価値を作ることがマーケティングの本質的な目的であるべきだと僕は思います。なぜならブランド価値は、たとえ目に見えなくても、企業価値における大きな柱の1つであるからです。しかし、こう言ったら失礼になるかもしれませんが、典型的な日本企業の経営者100人に「皆さんにとってブランドの価値とは何ですか」と尋ねたら、ほとんどの方が、何とお答えになると思いますか?

財部:
イメージ、ではないですか。

魚谷:
ええ、おっしゃる通りです。あくまでも私の経験の範囲内ですが、大半の方が「会社のロゴマーク」や「企業イメージ」などとお答えになります。その一方で、欧米の経営者は、ブランドは「会社全体を象徴しているもの」であるとか「経営の基盤となる無形資産」だと言う人が多いと思います。とはいえ、「では日本企業は駄目なのか」と言えば決してそうではなく、日本企業のそういう経営スタイルを、これまで技術が支えてきたのです。つまり、お客様が技術を評価し「あれが良い」と思って商品を買ってくれるから、技術立国としての日本のビジネスが成り立ってきたわけです。

財部:
ええ。

魚谷:
しかし僕が言いたいのは、もはや技術の格差で大きなリードタイムを取れるような時代ではなくなった、ということです。実際、『プリウス』の技術は他を圧倒していましたが、今度はそれを下回る価格帯で新型『インサイト』が出てくる、という状況も生まれています。その意味で、日本企業には「ブランド作りのマーケティング」という発想がもっと必要です。生意気なことを言うようで恐縮ですが、「画期的な技術はできたが、それをどう使うかについては今から考えよう」ということも結構ある。でも本来は入り口の段階で、「どのような人たちに、どんな価値を提供したいのか。そのためには、自社のどういう技術を活用し、どんな商品を作ればいいのか」と考えるべきなのです。

財部:
そうですね。

魚谷:
アジア諸国は、かつて日本がたどってきたような経済成長を遂げており、たとえば中国に行って炭酸飲料やお茶、コーヒーなどの市場構成を見てみると、ちょうど30年前の日本に似ています。だから「これからお茶の需要が増えるだろう」とか「スポーツドリンクも伸びるに違いない」と予想はつきます。しかし「そこに住む人たちにとって、その商品が日々の生活の中でどんな意味を持つのか」という本質的な部分について、日本と海外では、大きな違いがあるかもしれません。本来、そういう視点でマーケティングを考えていくべきであるにもかかわらず、できあがったものを単に提供するだけの、プロダクトアウト型のビジネスが、かつての日本企業の成功パターンとして多いような気がします。

財部:
はい、はい。

魚谷:
それから、なぜか日本では、マーケティングの概念が非常に狭く解釈されていて、マーケティング部門は広告やプロモーションをやるところだと思われている。したがって、営業本部という、商品を売る組織の中にマーケティング部門を置いている企業がほとんど。しかし、マーケティングは本来もっと大きな概念であり、ブランド価値を考えて商品企画を行う部分も含まれている。そして、そういうマーケティング作業を経て作られた商品を、「ブランド価値を訴えるべき顧客層に、どのように届けていくか」という仕事を行うのが、営業部門であるはずなのです。その意味で、日本企業がもう一度、アジア地域を含めた海外市場にチャレンジする際、「ブランド作りのマーケティング」という考え方を持つことが、大いに有効ではないかと僕は思います。

財部:
そうですね。マーケティングに対する明確な価値観がないために、自分たちがマーケットにどう見られているかということすらも自己評価できない。したがって、マーケットの変化にもついていけないという、お粗末な状況になっているケースが多いのではないでしょうか。

魚谷:
日本企業は、技術や知財も含めて、ブランド作りを行うための素材を数多く持っています。ですが、消費者の生活の実態を見て、彼らの価値観や市場の変化を常に把握し、「こういう商品を提供できるのではないか」と発想を変え、そこにもっと自社の技術を活かすべき。当社では、それを大きな意味で「ケイパビリティ」(能力)と言うのですが、そういう人や組織の能力に加えて、具体的なプロセスを構築していくことが、より必要とされているのではないでしょうか。

財部:
そのためには、まず市場を知る努力が欠かせませんね。

魚谷:
はい。僕たちにとって市場調査はまさに「入口」で、お客様を知るためにまず必要なもの。調査を通じて、飲み物だけでなく、お客様の生活上に何らかの変化が起きていることを見出したなら、そこに何かを提供できないかと考えます。

財部:
その調査の実態についてですが、僕は仕事柄、真実は世の中の表面にはほとんど出てこないことを実感しています。その意味で、市場調査に対しても、ある種の疑念を持っているのですが。

魚谷:
全く同感です。他に言葉がないので市場調査という言葉を使っていますが、本質的にそこで必要とされるのは、真実に近づくことです。そこで僕は、マーケティング部門の若手などが企画を持って来た時に、「why?」を5回繰り返すことにしています。たとえば「最近20代の女性がエステなどによく通っているから、美容効果の高いドリンクを出しましょう」という企画なら、「なぜ20代の女性はエステによく行くのか」とまずは聞く。そして若手が「オフィスでは肌が荒れるから」と答えたら、「なぜオフィスで肌が荒れるのか」とさらに質問。「最近ではオフィスの気密性が高いから」と言うのなら、今度は「なぜオフィスの気密性が高くなったのか」と聞いていく。そういうやり取りを通じて初めて本質に近づくことができるのであり、本来こういうことを行うのが調査の役割だと、僕は思います。

財部:
ええ。

魚谷:
単に表面に現れる調査データだけではなく、その裏にある実態をしっかりと掴もうという「insight」(洞察)の習慣を大切にしています。もちろん、すべてがうまくいくわけではありませんが、あくまでその「insight」を補助するための役割の1つが、調査だと思います。調査データだけで商品がヒットするのなら、この会社はヒット商品の山だらけになっていますよ(笑)。