セーレン株式会社 代表取締役会長兼CEO 川田 達男 氏
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21世紀型の繊維産業を、日本に取り戻したい

セーレン株式会社
代表取締役会長兼CEO 川田 達男 氏

財部:
J.フロント リテイリングの山本良一社長からご紹介いただきましたが、どんなご関係なのですか?

川田:
山本さんは親友です。同じ学校の同窓で、仕事と遊び両方ですがゴルフだけは私が勝ちます。しかし、人との出会いは大きいですね。お陰様で、あちらでもこちらでも、いろいろな人との出会いがあります。

財部:
福井県から出てきて、ここまで成長されたのは素晴らしいですね。県内でも繊維産業は全体的になかなか厳しいですから。

川田:
そうですね。斜陽産業イコール繊維産業という感じです。

財部:
私は今、『京都企業の実力』という本を書いていますが、上七軒という1番古い花街も、西陣の地盤沈下で落ち込んでいます。繊維産業の素晴らしかった時と、その後の凋落ぶりは落差が大きいですよね。

川田:
北陸も京都と同じか、もう少し大きな影響を受けています。繊維産業そのものが壊滅的な状況でした。

財部:
そこで私はここ3年ほど、20世紀と21世紀はまったく違う時代であるということ、イノベーションがまったく違うのだということを、講演の主なテーマにしているのです。サプライチェーン全体に変革を起こすというセーレンさんの取り組みは、私の講演テーマそのものです。

川田:
そうですね。サプライチェーンを変革すること自体が、今までの常識を破ることなので、これまでいろいろなことがありましたが、なんとか生き残っております。

「成長の遺伝子」を掘り起こすことから改革は始まる

財部:
メディアがセーレンさんの取材をすると、必ずといっていいほど2005年のカネボウの繊維事業買収から入ります。下請会社が親会社を買収するという稀なケースですが、これをきっかけにセーレンさんが染色だけでなく、原糸製造から一貫して手がけることになるという画期的なお話ですよね。

川田:
そうですね。カネボウさんが産業再生機構の実施する事業再生計画の対象になり、天然繊維事業および合繊事業などが「支援決定後、早期に売却先を探し、売却先が見つからない場合は清算を行っていく」という第4分類に入りました。われわれには一貫生産ということが常に念頭にあったのです。旧・通産省の戦略で、原糸メーカーの機能を合繊8社以外には与えないという大方針があり、われわれが原糸を作ると言っただけで同省に呼ばれるという状況でした。「思いを持っていればチャンスがある」という信念を持ち続けてきた中で、斜陽産業である繊維産業で再建不能の原糸メーカーを買うのは常軌を逸しているのではないかと皆さんから言われたものです。われわれは原糸メーカーとしての機能で経営を再建しようと思ったのではなく、一貫生産の1つの機能として原糸製造部門がほしかったのです。

財部:
当時、私は金融サイドで、不良債権処理がきちんと行われるべきだという立場で取材をしていました。そこでカネボウの話が出てきたのですが、セーレンさんが雇用も維持すると聞いた時、私は率直に言って「そんな馬鹿な話があるのだろうか」と感じました。金融庁の分類が正しいとも思いませんでしたし、実態と乖離した話も数多くありました。でも、あそこでセーレンさんが出てこなければ(カネボウの繊維事業は)終わりでした。だとすれば、もう少し自社に有利な形で買収してもよいのではないかと、私は当時、本当に思っていたのです。

川田:
山口県の防府市、滋賀県の長浜市、福井県の鯖江市と3つの事業所があり、従業員が852名おられたものですから、全員引き受けました。人員整理をしようにも事情がよくわかりませんし、カネボウさんからも「全員の雇用を確保することを大前提に考えてほしい。今のキャッシュフローで企業価値をお売りするから」という話もありました。そこで、われわれも雇用を確保することを第1に置いて再建しよう、ということになったのです。

財部:
給料も下げなかったのですよね。

川田:
下げませんでした。初めは気が付かなかったのですが、じつは下請会社に買収されるということで、カネボウの社員はカネボウの組合のまま来たのです。セーレンの社員になっているのに組合はカネボウ。カネボウの組合と交渉しましたが、過去の組合に依存してもみなさんにプラスはないと訴えて「自分の城は自分の手で、皆さんの手で守ろう」と言いました。それから、今までの延長ではいけないので「変えよう変わろう」。そして「もう1回、カネボウの栄光を手に入れよう」と皆さんにずっと話し続けました。そして1年ほど経った頃、皆さんが納得してくれたのです。われわれの、かつてのお客様ではありますが、厳しいことも言わなければ駄目だと思いました。常に丁寧語で、上からの目線ではなしに。

財部:
長年のお付き合いがあるわけですからね。

川田:
そうです。大変気を遣いました。それに何より、われわれ自身、かつてそれより酷い状態の中で再建を果たしてきた経験がありますので。

財部:
川田会長は、とてつもない決断力でカネボウの繊維事業を買収されました。「われわれには原糸製造部門がなかったので、ほしかった」という言葉だけで、誰もが納得してしまいます。ところが、たとえばパナソニックが、電池技術が必要だと言って三洋電機を子会社化しても、それには時流というものがあり、本当に良い技術でも、タイミングによってうまくいかないこともあります。そういう不安は一切なかったのでしょうか。

川田:
不安がないこともないのですが、今の繊維業界の常識では絶対に21世紀を生き残ることはできません。ごく当たり前のことですが、今までの繊維産業はプロセスごとに業態が分かれていました。そのためトータルで品質のコントロールができず、コストもわからない。デリバリーも1年がかりでモノを作るのです。これではどうしても生き残れない、一貫でやりたいという思いが強かったものですから、何としてでも原糸の製造機能がほしかったのです。その思いを実現したいということが最優先でした。

財部:
カネボウは数多くの問題を抱えていたので破綻しました。となると、素晴らしい技術はあっても、買収当初、持ってきた組織は問題だらけですよね。そこをどのように変えていかれたのでしょう。こう言っては恐縮なのですが、ある意味で腐ってしまった組織でも、経営者が変わって方針が変わり、道筋がつけば変わるものですか。

川田:
社員は変わります。やはり社員も、きちんとした仕事をして利益の出る会社にしたいのです。でもそれまでは頑張って利益を上げても評価されてこなかったため、外注先をつかって不正を働く社員もいたのです。そういう社員はみんな辞めていきましたけど、そういうところから立て直しました。そして夢や志を皆で共有し、そのために変えよう変わろうというと、やはり力が出ます。だから私は、社員全員がどれだけ夢や目標を共有できるかという部分に賭けているのです。われわれは夢を全員で共有し、それに向かって1歩1歩進んでいこうと。「もう1回栄光を取り戻そう」と話すと、皆の目が輝いてきます。

財部:
川田会長は、かつてセーレンの社長として会社の立て直しも行いました。同じようなことを、カネボウの繊維事業についても手がけられたのですね。

川田:
同じことですね、いわば現場の社員にどうモチベーションを与えるか、ということだけです。少し良い方向にいけば、家族も応援してくれますし、やはり1つの成功が次の目標につながっていくという意味で、1つ1つ成功体験を積み重ねていくことが大事ではないでしょうか。再建のプロセスで、家族に直接語りかけたこともあります。社員が昇格すると、奥様に手紙を書いたり花を贈ったりするというささやかなものですが、やはり家族もご主人の働いている姿を評価できるような関係づくりが必要ですね。

財部:
なるほど。それからもう1つ、資料を拝見して印象的だったことがあります。リーマン・ショック後に全産業の業績が下落し、セーレンさんもその例外ではありませんでした。この間、世間的には「単純に売上ではなく利益が重要だ」という流れが強まりましたが、川田会長は「売上が企業の体力だ」とおっしゃっています。これはなかなか珍しい、独特の切り口だと思ったのですが。

川田:
企業力の中で、売上は非常に重要な部分ですからね。調べてみると、1971年のニクソン・ショックから現在まで、経済的なショックと呼ばれるものは12回ほどあるのです。そのたびごとに世の中の価値観が変わり、企業が淘汰されていますから、われわれの経験から言っても、そういう環境の変化にどう対応していくのかが1番大事だと思うのです。そこで3年先、5年先、10年先のセーレンをどうするのか、という視点で経営を行っていますから、それほど右往左往することはありませんでした。それにしても、リーマン・ショックの時には、われわれも完全に赤字になると思いました。お陰様で何とか持ちこたえましたが、取引先の自動車メーカーさんがすべて赤字でしたからね。

財部:
トヨタ自動車も単体では3、4年間、赤字でしたよね。

川田:
そうでしたね。これは日本の政治も悪いですね、民主党政権を始めとして。

財部:
でもセーレンさんはその中で、リーマン・ショックの時も、繊維の一貫生産体制の整備を含めて、幅広い業種業態にビジネスを多様化されていました。ああいう取り組みが、危機を乗り超える力になっているわけですね。

川田:
そうですね。われわれも繊維産業イコール衣料ということで来ましたが、それが斜陽化の大きな要因です。そこで、一貫生産体制やわれわれの持っているシーズ、コア・コンピタンス、あるいは成長の遺伝子には何があるのか。それらを非衣料・非繊維分野の中で展開できないかという観点で、いち早く多様化に取り組んできました。意外と、企業には差別化要素や成長の遺伝子はあるもので、そういうものを持っているから今まで成り立ってきたのです。これを非衣料・非繊維に持っていきますと「繊維でそんなことができるのか」ということが意外に数多くありますね。

財部:
成長の遺伝子が数多くある中で、非衣料・非繊維分野でまず何をやるかというのは川田会長のご判断だったのですか?

川田:
われわれは委託加工を行っていたので、そんな発想はありません。言われたことをやっていただけですから、自社が持っているシーズに気付かず、それをどう仕事に結びつけていくかという発想がないのです。そこで私が社長になった時、うちの持っている差別化技術をすべて整理することになりました。たまたま繊維をめっきして金属性能を持たせる研究をしていましたので、これはエレクトロニクス分野で可能性があるのではないか。また、繊維を筒状に編むことができるので、人工血管に応用できないかといったことを全部整理したのです。そして車輌資材、ハイファッション、エレクトロニクス、環境・生活資材、メディカルの5分野でいこうということになりました。

財部:
ですが、自動車産業に参入するのはなかなかハードルが高いですし、メディカル分野にも、いろいろ難しい問題がありますよね。

川田:
そうですね、時間がかかりました。中でも人工血管は開発を初めてから22、3年が経っています。お陰様で、動脈瘤・閉塞性動脈疾患用の大口径人工血管は、もう2、3年もすれば国内シェアは60%程度になるでしょう。

財部:
パンフレットを拝見し、人工血管を手がけられていることを知りました。そういう画期的な製品を医療界で受け入れてもらい、検証・認可を経て使っていただくのは大変なことです。

川田:
粘りや勤勉性は、皆が持っていますので。20年かけてモノにできたのは素晴らしいことですね。



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