財部:
なるほど。その時にですね、「起業したい」という思いに加え、業界・会社の現状といったさまざまな要素が藤野さんの頭の中にあったと思うんですが、実際に一歩を踏み出すか踏み出さないかというのは、天と地の差ですよね。
藤野:
そうですね。
財部:
おそらく藤野さんが外資で運用をしていた時にも、皆でミッションを語り、起業への思いに夢を馳せていた仲間が大勢いたと思うんです。でも、大方の人たちは、その夢に一歩を踏み出さなかったわ。藤野さんは、実際にやった人とやらなかった人との間には、一体どこに違いがあると思いますか?
藤野:
やはり、私は適度な「馬鹿」だったと思うんですよ(笑)
財部:
ははは。
藤野:
それも結局、実際にトライアスロンを始めた時の心境に似ているところがありますね。トライアスロンという競技に伴うリスクとか、自分に個々の種目が本当にできるのだろうかという恐怖感がある一方で、「やってみたい」という強い欲求もある。そこで実際に踏み出すか、踏み出さないかというメンタル的な部分がもの凄くあるわけですが、僕はたぶん「よし、やってみよう」という性格だったんだと思います。それからもう1つには、僕はこれまで延べ4000人の創業経営者に会っているので、何か「起業のDNA」のようなものを、知らず知らずのうちに打ち込まれていたような気がするんです。だから「何かあったらまずやってみよう、やらなければならないんだ」、と考える人間になっていたのかもしれませんね。
財部:
僕自身、いろいろと取材を重ね、数多くの経営者と会ってきた中で、非常に明確に認識しているのが、「やはりこれは才能だ」ということなんです。たとえば若い人から「どうしたら起業できるんですか?」とか「どうしたらジャーナリストになれるんですか?」と聞かれることがある。でもそこには、「なれる人にはなれるし、なれない人にはなれない」という、たった1つの結論しかありません。藤野さんはさっき、数多くの創業経営者に会い、「『起業のDNA』を打ち込まれた」とおっしゃっていましたが、中にはDNAを打ち込まれても、それが体内に入っていかないという人もいますからね(笑)。
藤野:
そうかもしれないですね(笑)。
財部:
藤野さんは謙遜されて、「自分は適度な『馬鹿』だ」と言うけれど、僕はやはり、これは才能としか言いようがないと思います。というのも、リスク、リターンを厳密に計算した結果、一歩を踏み出すことができなくなるということは、逆に言えば、それは頭が悪いという見方もできるわけで、正しいリスク評価ができていないということになります。
藤野:
そうかもしれませんね。
財部:
それからホリエモンが華々しく登場したITバブルの頃、大企業を辞めて起業した人がたくさんいましたが、いざ蓋を開けてみると、無残に敗れているケースが多かったですよね。まあ、誰彼と名前は言いませんが、彼らの中にはたとえば、かつて大証券会社に席を置き、マーケット分析に卓越し、会社を見る目を持っているという人もいたわけです。ところが、堂々とそれを語ってきたにもかかわらず、自分のビジネスはまったく駄目だった。その差は経営に対する考え方然り、会社で何か問題が起きたとき、自分自身がそれに対してどう反応し、然るべき判断を下せるか、あるいは下せないのか、という決断力とか問題解決の能力とか、そういう部分の欠如から生じてくるのだと思います。
藤野:
そうですね。やはり、考え方は非常に重要ですよね。
財部:
でもそうはいっても、藤野さんも当然、山あり谷ありだったと思うんですよね。いま振り返ってみて、独立後に一番苦しかったこと、あるいはご自身にとって「勝負どころ」だったのはどんな場面でしょうか?
藤野:
起業した瞬間が一番辛かったですね。というのも2003年に会社を設立して間もなく、株式市場が反転していくんですが、当時は経済的に言うと「真っ暗な時代」でした。実際、当時は「起業するには不利な時期だ」と言われていたし、ほとんどの投資家が反対する中で、それを振り切って起業という一歩を踏み出したところが、最も辛かったかもしれませんね。
財部:
苦難のスタートだったわけですね。
藤野:
その中で一歩を踏み出してみて、もちろん細かい事柄での苦労は多かったですが、なかでも最初の資金調達が大変でした。そもそも(日本では)個人の実績と会社の実績は異なるので、いかに僕個人の実績を会社の実績とみなし、お金を預けていただくかに骨を折りました。とくに日本の金融機関は非常に保守的で、まったくトラックレコードのない会社に資金を預けることに躊躇するので、とても大変でしたね。
財部:
実際にはどんな展開になったんですか? 起業する際の資金調達は、やはり経営者の個性や実力が最も出る部分だと思うんですが。
藤野:
そうですね。当社の場合、まずは自己資本と我々が投資助言をするファンドの2つに対して資金調達が必要でした。もともと自己資本がそれほどかからないビジネスなので、それは僕を中心とした創業メンバーの出資でなんとかなります。でも重要なのはファンドを創ることであり、誰か出資者が必要です。となると結局、やはり僕のことをよくわかっていて、過去に応援してくれた人が、今度も応援してくれるということになる。このときは、ある企業年金の担当者が前例を曲げて応援してくれたことが、非常に大きかったですね。
財部:
この国は、本当に嫌になるぐらいの肩書社会で、前例のない物事を動かすのは大変ですよね。最初に企業年金が1つ動いたあとは、それなりにスムーズに事が進みましたか。
藤野:
ある意味、「あそこが出資したのなら」ということで、他のところが横並びでお金を出してくれた、ということですよね。僕は当初、起業して間もなくは準大手とか中小を相手にして仕事をすることになるだろうと思ったんです。ところが現実はまったく逆で、僕らは最初から大規模な企業年金や大手の金融機関と付き合っていくしかない、ということがわかりました。結局、準大手や中小は「大手はどうするのか」ばかりをみていて、自分たちで判断する能力がないんです。ところが逆に、大手の企業年金の方が、むしろ横並びではなく、「自分たちの判断こそ絶対である」という自信を持っていますよね。
財部:
話が若干ずれますが、僕は野村證券を3年ほどで辞めたあと、出版の世界で生きていこうと決めて、結局、社会人になって5年経ってから独立し、フリーランスで書くことになったんです。でもその頃はまだ、「起業」という言い方は一般的ではなかったですね。
藤野:
では「脱サラ」、ということですか?
財部:
そうです。会社を創る、という概念がまったくなくて、「脱サラ」しか頭に浮かばなかったですね。そういう意味で、僕が会社を辞めてつくづく思ったのは、「野村證券という名刺がなくなったとたん、自分は、社会から落伍したアウトサイダーになってしまったのではないか」ということなんです。それで、お恥ずかしながら、いざ会社を辞めてから「これは、本当にまずいことをしてしまったな」と危機感を抱いたんですよ(笑)。今でこそ、時代はずいぶん変わってきましたが、そんな中でも金融業界は相変わらずコンサバティブな社会ですよね。そこを本当によくやられたなあと、僕は端から見て思っています。
藤野:
そうですね。
財部:
それから各種報道やエコノミストたちの分析をみる限り、2003年の日本経済は、まさに「真っ暗闇」でした。でも僕はその年、『東京から日本経済は走り出した』(講談社)という本を書いた。こんなに正しく日本の現状を書いた本はない、と僕はいまでも自負しているんですが、意に反して本はまったく売れませんでした。というのも、僕がその時本に書いた日本経済の実態と、当時の「気分」がまるっきり違っていたからです。つまり、世の中の景気が「どん底」だった当時、じつは東京・銀座では外資系企業や欧米ブランドが土地をどんどん買い、ビルを丸ごと借り上げていたのに、日本人だけが「日本経済はもう駄目だ」といって前を見ようとしなかった。そういうことをいくら書いても、「気分」が違うから売れないわけですよね。それからしても、その当時、藤野さんが金融機関にファンドへの投資をもちかけていたというのは、相当にきつかっただろうと思いますね。
藤野:
そうです、本当にそうなんです――。やはり「気分」はなかなか変えられないと思いますね。たとえば個人投資家に「株式投資で絶対的に勝つ法則が1つだけあるんです」と話すと、皆さんの表情がグッと変わるんですが、「それは安く買って高く売ることです」というと「何を言ってるんだ」という顔をされるんです(笑)。でも「安く買って高く売る」とはどういうことか、と考えてみると、「皆が(その株式の価値を)否定している時に買い、皆が良いと言っているときに売る」ことなんですよね。「じつはこれが非常に難しい。しかも、人間のメンタリティというのは(株価が)安くなればなるほど弱気になり、高くなるほど強気になるようにできているんです」と、私はいつも話をしているのですが――。
財部:
現在サブプライムローン問題で大混乱が起きていますが、この現状を藤野さんはどう評価されますか?
藤野:
そうですね、やはり「時間軸」の問題ということになりますね。投資でも経営でもそうなのですが、時間軸をきちんと揃えて考えないと、問題の本質を言葉で語ることはできないと僕は思っているんです。たとえば(サブプライムローン問題を)「3カ月後はどうなのか」という時間軸で見れば「とても不安です」という結論になる。でも「3年後はどうですか」という時間軸で見れば「かなりの確率で買い場です」、ということになると思うんですよね。
財部:
ほお。
藤野:
つまり、それは「何か大きなサイクルの終焉が始まっているのか」、それとも「大きなサイクルの中にある1つの小さいサイクルが動いているだけなのか」という点が、サブプライム問題を捉えるうえでの大きなポイントです。まずその方面に目を向けてみると、(サブプライムローンの破綻は、金融の)メガトレンドの中におけるシステム上の重要な不備が露わになったがゆえに、これだけ大きな問題になっているわけですよね。しかし私は根本的に、これまでソ連崩壊後のロシア経済の問題やヘッジファンドLTCMの問題、あるいは9・11といった世界経済を揺るがす出来事が起きつつも、世界は必ず前進していくものだと考えているんです。
財部:
なるほど。
藤野:
だから結局は、そこに対する確信があるかどうか、ということに尽きるのではないでしょうか。つまり「世界では常に皆が必死になって未来を開拓しているのだから、結果的に必ず、この問題も解決されていくに違いない」という前提に立てば、「サブプライム問題で世界経済が崩壊するのではないか」と思われている時こそ、長期的にみて買い場だと思います。
財部:
それはまったく同感ですね。サブプライム問題を、原理原則に戻って「住宅ローン」としてみれば、たかだか11兆円くらいの不良債権があっても、アメリカ経済に何の影響も及ぼさない小さなレベルですよね。もちろん、そういう中でヘッジファンドなども絡み、おかしなギアリングや対応が生じてきて、金融システム全体が揺らいでいるという面はあります。その結果、そろそろ皆が若干、「高所恐怖症」になってきたという話ですよね。
藤野:
はい、そうですね。
財部:
ある意味、それとも共通するところがあるのですが、僕はずっと不良債権問題を追いかけてきて、(不良債権の解消が)予想外に長くかかった、という実感を抱いています。その間、僕は1993年に『資産再評価』(講談社)という本を書き、「従来の日本の悪い習慣だったけれど、含み益があるのだから、それを再度活かして不良債権を帳消しにしよう」というアイディアを出しました。そして、それを当時の財務省や大蔵省にも言ったんですが、誰も本気にしなかったんです。そして、彼らが手をこまねいているうちに金融危機を迎え、本当に経済が立ちゆかなくなってくると、今度は皆がとことん弱気になって、どこもかしこも「何もかもが終わりになる」という悲観論一色になった。
藤野:
そうでしたね。
財部:
それに加え、メディアによれば、中国が台頭し「世界の工場」になったら日本はおしまいだ、ということになってしまうんです。でも、しっかり中国を取材してみると、そこに「市場としての中国」が見えてきて、「日本にとってこんな追い風はない」ということがわかります。そもそも世界とは、その時々に生じるさまざまな問題をきっかけにして、大きく前進していくもの。しかも、ここにきてBRICsという「世界の成長センター」が登場し、人類始まって以来、最大の成長トレンドが生まれると思われているわけですよね。
藤野:
本当にその通りですね。
財部:
ところで端的にいって、他の運用会社とレオスキャピタルの決定的な違いはどこにありますか?
藤野:
まず僕らの中で言うと、理念と投資行動がかなり一致していることだと思います。当社の理念は、「資本市場を通じて社会に貢献する」ということに関して揺らぎはありません。たとえば銘柄を考える時にも「この投資は本当に社会に貢献するものなのか」ということを議論していきます。それはけっして建前論ではなく、「中長期的にみると、そういう考え方に基づく投資の方が高いリターンを生むだろう」と思っているからです。