住友電気工業株式会社 社長 松本 正義 氏
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松本:
「浮利を追わず」という有名な言葉が、われわれのグループにはあるんですが、要するに「不正なやり方で利益を得てはならない」ということをいっているんです。コンプライアンスの問題も良く考え、浮利を追ったらいかん。地道にやりなさい、ということですね。

財部:
ええ。

松本:
家長は、「住友の社長である以上、そこをきちんと理解してくれ」といっているんです。でも僕なんか、もう商売のことを懸命にやった後で、家に帰ってビールやお酒を飲んでひっくり返っている。そういう生活をしちゃいかん、という戒めなんですよ、「萬事入精」という言葉は(笑)。

財部:
いかんわけですか(笑)。

松本:
ええ。要するに、今風にいえば「仕事が終わっても社会貢献をしなさい」ということなんですね。「コミュニティに奉仕しているか、社会に奉仕しているか。そういうことは『精を入られるべくそうろう候』」、つまり一所懸命にやれというんです。そこなんですよ。僕はいつもスピーチで、「『精を入られるべく候』というのは、たとえば宴会でいい加減に酒呑まんと、一所懸命に酒を呑め、ということだ」と話していますよ(笑)。

財部:
ははは(笑)。

松本:
それはそれとして、「人間は常に、死ぬまで緊張感を持って何事にも当たるべきだ。ぼやっとしていたら駄目だ」ということを、どうも政友さんがいっていたようなんですね。だから「不趨浮利」という戒めが出てくる。「信用」とか「確実」という言葉にしても、「精を入れずにだらだらしていたら、誰も何もしてくれない」ということなんですよ。

財部:
これもぜひ伺いたいのですが、松本社長も当然、若い頃から企業理念なり「住友精神」を耳にしていると思いますが、これは昔から、代々語り続けられてきたわけですよね。

松本:
はい。

財部:
その中で、ご自身のポストが上がり、職責が増してきて、社長になるというプロセスで、当然その受け止め方も変わってきたと思うのですが。

松本:
「住友精神」はですね、やはりITバブルの頃が大きかったですよ。ITバブルが破裂したあと、当社もガターッといきまして、膨大な損失を出しました。その時に大きな遠心力≠ェ生じてしまったんです。住友電工グループは相当に大きいので、結局、グループが構造改革に取り組み出した時、分社化を徹底して行いました。そこでグループ全体の出血≠止めるために、各社に大幅な利益確保を求められたわけですね。

財部:
そうなんですか。

松本:
そもそも企業というものは、遠心力とは逆の強い求心力とロイヤリティ(忠誠心、帰属意識)がなければ成長・成功しません。もともと住友電工は、非常に自由闊達な雰囲気でしたから、あまり「精を入られるべく候」ともいわれませんでした。いわば、住友電工にはかつてゲマインシャフト的で風通しの良い社風があったのに、それが少々ゆがみを生じてきてしまったんです。

財部:
ほお。

松本:
社員が皆、ロイヤリティよりも「いつ整理されるか、いつ転籍されるか、この会社はいつ潰れるか」ということを気にするようになってきた。そうなると、人間とは面白いもので、「どこか別のところに行こうか」と考えるようになるものです。僕はそれをみて、やはりもう一度「住友精神」を社内に浸透させるべきだと、常務の役職にあった後半頃から思っていました。

財部:
そうですか。

松本:
ですから、ITバブルの崩壊もある程度落ち着いてきて、私が社長になったとき「一夜漬けのカンパニーポリシーではなく、400年間語り続けられてきた『住友精神』の、その不易の部分をもう一度勉強していこう」と呼びかけました。というのも皆、住友に勤めてきて、「浮利を追わず」という言葉は知っている。でも日常的に、『住友精神』をほんとうに理解してビジネスを行ってきたという人は稀なんです。

財部:
はい。

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松本:
ですから私自身、ITバブルの崩壊でドーンと業績が落ち込み「どうしたらいいのか」と考えた時、会社の精神的な支柱を、住友の事業精神や「文殊院旨意書」に意識的に求めました。危機に陥った時、精神的な支柱を持たない会社は崩壊し、きちんとしたものを持っている会社だけが生き延びていくんです。

財部:
そうですね。

「住友の銅山」が日本の工業の基盤を築いた

松本:
ところで、江戸時代の日本は世界有数の銅の輸出国でしたが、もともと住友家が、日本のほとんどの銅山を経営していました。当時、銅(粗銅)には金や銀、あるいは不純物がたくさん含まれていたんです。それを「南蛮吹き」という方法で、金は金、銀は銀で吹き分け、銅(精銅)を製錬して輸出すると、非常に儲かったわけです。室町時代など、「南蛮吹き」の手法の確立以前は、中国の商人が日本の銅(粗銅)のインゴット(合金)をおさえ、そこから金と銀を取り、巨額の富を蓄えたとも聞いています。

財部:
そうなんですか。

松本:
住友の創始者・政友の義兄である蘇我理右衛門が、「南蛮吹き」という当時のハイテクのパイオニアで、彼が苦難の末に、銀と金の吹き分けに成功したわけです。そして彼はそのノウハウを、同業者に無償で公開しました。彼は「南蛮吹き」の技術は住友家のためだけのものではない、と考えたのでしょう。誰にも「ロイヤリティをくれ」とは一切いわず、皆にノウハウを提供したんです。その結果、あの当時の日本は、非常に富める国になっていきました。「ジパング」とかいう言葉がありますが、その話の一端は、じつは住友家から始まっているんです。

財部:
はあ、そうなんですか。

松本:
ええ。もちろん昔は金山もありましたが、何十トンという銅(粗銅)の中から、大量の金や銀が採れたわけです。今ではもうやっていませんが、かつては住友金属鉱山の別子銅山で、「吹き分け」を行っていましたよ。

財部:
それは面白いですね。

松本:
このように銅山を始めとして、もともと工業分野からスタートしたのが住友グループです。三井さんは呉服屋から出発しましたし、三菱さんは海運でしょう。

財部:
そうですね。

松本:
ということは、少々自画自賛になりますが、この3グループの中で、最も古くから日本の産業基盤を作ってきたのは住友です。住友は工業的なところに端を発し、ずっと工業に携わってきたんですよ。

財部:
はい。

松本:
しかも、住友グループの基幹をなす企業の多くは、山から出てきています。たとえば銅の製錬で生じる排ガスがもたらす環境問題を緩和するため、その排ガスを利用して肥料を製造した「住友肥料製造所」が、住友化学の前身です。住友林業にしても、別子銅山周辺山林の立木を伐り、トロッコを作ったりしていたのが事業の創業です。

財部:
住友林業さんにしても、1894年に「大造林計画」を提言し、世界でも稀な大規模造林事業をやられていますから、ある意味で「環境対応」ですよね。

松本:
そうですね。でも、やはりトータルの売上高から換算すると、三菱さんが最大のグループということになるでしょう。それでも住友グループ全体の売上は5、60兆円ありますから、日本のGDPの約10%ということになりますね。

財部:
そんなにあるんですか、10%も!

松本:
10%は出ているそうです。

財部:
それは凄いですね。最後にお伺いしたいんですが、今回ご紹介いただいた住友ベークライトの小川社長とはどんなご関係なんですか?

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松本:
小川君は、僕と一緒に社長になったんですよ。

財部:
社長就任のタイミングが同じ、ということですね。

松本:
ええ。僕と小川君のほか、日本板硝子の藤本社長、それから住友軽金属の桝田社長、4人全員が2004年に、一緒に社長になったんです。

財部:
はい、そうなんですか。藤本社長には講演でもお目にかかったことがあります。

松本:
4人とも同期なんですよ。

財部:
ほお。皆さんにはやはり、同期としての交流があるんですか?

松本:
ええ。年に2回、夫婦一緒になって遊んでいます。この前も川奈に行ってゴルフをやりました。ある時は淡路島に呼ばれたり、今度は北海道に行こうか、といって、皆で順番に何かをやるんです。僕は「年に1回にしてくれ」と話しているんですが(笑)。ちなみに小川君はゴルフが上手ですよ。

財部:
そうなんですか。

松本:
ええ。でも4人の中で一番ゴルフがうまいのは、藤本君かなあ。藤本君のお嬢さんはタレントの千秋さんです。あの可愛らしいお嬢さん、お母さんによくお顔も雰囲気も似てますよ。そう言うことが言えるくらい、皆親しいんです(笑)。

財部:
正直な話、僕はこの仕事で何百人の方にお目にかかったかわかりませんが、こんなに気さくにお話していただいた経営者の方は初めてです。今日はどうもありがとうございました。

(2007年1月24日 港区元赤坂住友電気工業 東京本社にて/撮影 内田裕子)