武田薬品工業株式会社 武田 國男 氏
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財部:
医薬品とは全く違う事業の、食品分野を歩んでこられた――。

武田:
まあ、誰がどう決めたのか――。そういう部署に行ったから、そこに座っていたんですけどね。

財部:
その当時は、どういう意識をお持ちだったんですか?仕事を通じて「何か学ぼう」とか、「何かしよう」とか、そういう積極的な意識というものは――。

武田:
いままで、いろんなインタビューを受けて、だんだん昔のことを思い出しましたけど、そのとき「武田の中で食品を取ってやろう」と、こう思っていたんでしょうね。「分社化して、食品の長になってやろう」という気もあったんだと思いますね。もう細かいことは忘れましたけれども、一所懸命やっていましたよ、いろいろと。

財部:
そういうことだったんですか。いままでに書かれた記事を見ていると、その辺がちょっと曖昧で――。

武田:
きっと私自身も曖昧なんですよ(笑)。

財部:
でも絶対的なところで、お兄さんの存在があったというわけですね?

武田:
そうですね。まあ、武田の中で僕を、どこにどのように座らせるかというのは、兄の一存ということになってくるわけです。長ですから。

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財部:
そこで、重みというものが形成されていますよね――。本や新聞にも、お兄さんが亡くなったときの、会長とお父さんとの様子が書かれています。たしか「何でお前が生きているんだ」という記述がありましたが、お父さんは当時ほんとうにそう思っていたのでしょうか?

武田:
それはあったと思いますね。絶対にそう思っていたと確信しています。今ならよくわかりますな、人の父になってみると――。だから僕は逆にいま、父のことを「気の毒になあ」と思っていますよ。あのとき、兄ではなく僕が死んでいたら、もっと長生きしていたでしょう、父は。

財部:
ほお――。

武田:
そりゃあもう、兄は生まれたときから「次の社長」として育てられてきて、それが亡くなったんですからね。

財部:
まあ、普通の親子関係とは違いますよね。会社の跡継ぎということでやってきましたから。

武田:
そう。兄が「まだ社長になるには若い」といわれていた頃、小西さんという僕の叔父が、父の後を継いで社長になったんです。叔父はもともと東京で小西薬品という医薬品会社をやっていたんですが、昭和19年にそこを武田が吸収合併しましてね。本来なら武田の社長にはなれないと思っていたのを、父が叔父を社長にしたから、小西さんは非常に恩義を感じて、僕のことを最後までみてくれたんですよ。

財部:
そういうことなんですか。ほんとうに、運命が二転三転しているんですね――。

武田:
そうなんですよ。

財部:
でも、私は大変興味を持っているのですが、武田会長は結果として、社長となる前にアメリカに行かれましたよね。

武田:
小西さんが行かしたんです。

財部:
それは、小西さんが明確にそういう意図を持って、行かせたということなんですか?

武田:
明確、じゃあないんでしょうね。やっぱり、試しでしょうなあ。

財部:
試しですか?

武田:
と思いますな。それともう1つ、その頃武田が、アボットというアメリカの提携先とのジョイントベンチャーでもの凄くもめていたんです。それで結局、小西さんはその調停のために、「武田」という名前が欲しかったらしいですよ。

財部:
「武田」という名前――。

武田:
ええ。提携先の社長を、父がよく知っていたんですよ。僕もよく知っていたんです、「クニオ、クニオ」と呼ばれてね。そういうことで、日本とアメリカ、武田とアボットの1つのバッファーとして、まあ、いわゆる人質として、私はそこに送られたんです。

財部:
武田会長ご自身は、どういう腹づもりでアメリカに行かれたわけですか?

武田:
いや、僕は「嫌です」っていいましたよ。そこで働く気もなかったですし。まあ、のんびり趣味でもやっていこうと思っていましたからね。断り続けたんですよ。しかしまあ、最終的には追い出されましたけど。

財部:
その時点では、もうお兄さんもお父さんも亡くなられて――。

武田:
もう一族から(社長は)出ない、もう終わり、と思っていました。

財部:
でも、次はいつかどこかで自分がやるとか、自分がやらねば、という思いはなかったんですか?

武田:
ゼロ。ゼロですよ。

財部:
本当ですか?

武田:
本当ですよ。私自身、「もう結構です」と思っていましたから――。面倒くさがり屋なんですよ。

改革とは「孤独との戦い」である

財部:
ところが、武田会長はそこから猛然と改革に着手されるわけです。そこに至る過程なんですが、ご自身が主体的に会社を動かしていこうというか、主体者≠ニしての意識を明確に持ったのはいつなんですか?

武田:
それは、何なんでしょうねえ――。やっぱりアメリカから帰国して、小西さんから「あと何年でお前を社長にするぞ」といわれてからでしょうね。

財部:
そうなんですか。

武田:
小西さんからそういわれたあとに、僕は医薬の本体に移りましたからね。アメリカから帰ってきて、2年後ぐらいだったと思います。その頃からでしょうね、小西さんと2人でよく話すようになりましてね、自分自身にそういう気持ちが出てきたんでしょうね。

財部:
お2人の間でどんな話があったんですか? 会社全体のことですか?

武田:
この経営案件を具体的にどうするとか、ああするとか、そんな話だったと思いますね。それと、全社的な経営会議にも出るようになりました。それをみていて「こりゃ駄目だ。こんなことを続けていたら、まず武田はなくなるだろう」と、いろいろ思ってたんですよ。

財部:
そこでなんですが、私は他の経営者の方にも多数お目にかかってきましたが、最も典型的なタイプは、カルロス・ゴーンのように幼少の頃から経営者として育てられてきた方です。またサラリーマンの場合なら、若手の頃から「出世したい」とかいいながら、ずっと経営を勉強し続けてきた人、と相場が決まっています。ところが武田会長は、ある意味でまったく違う状況から社長になられていますよね。私が大変興味深く感じるのは、「あと何年でお前を社長にするぞ」といわれて、すぐに経営ができるのか、ということなんです。

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武田:
ですからね、経営じゃないんですよ、僕がやったのは。「ヘドロの浚渫船」なんですよ。

財部:
ヘドロの浚渫船?

武田:
そうです。もちろん、いまの長谷川社長はきちんとした経営をされていますよ。ですから僕は長谷川社長の姿を、「ああ、素晴らしいなあ。僕もこういう人生を送ってみたいなあ」と惚れ惚れしてみてるんです。こんなことをいったら「褒め殺し」とか何とかいわれますけど、僕はほんとうに本心でそうみてますよ。それにひきかえ、僕はほんとうに浚渫船。会社によどんでいたヘドロを浚渫しただけであって――、あれは経営じゃないです。

財部:
いえ、立派な仕事をされたと私は思っています。

武田:
結局、武田の今後を支えるロケットの打ち上げ台を作ったような感じです。それまでの失敗した打ち上げ台があって、それを改良し、より高いところまで打ち上げられる発射台を作っただけみたいな男なんですよ。だから経営じゃないんですよ、僕のやったことは。

財部:
でも私はですね、経営者には皆さまざまな個性なりやり方があって、その方なりの凄さを持っていると思います。ところが、私がとくに素晴らしいと思う経営者には、一つだけ共通項があると思っているんですよ。それは何かというと、会社の実態、あるいはその会社を取り巻く環境というものに対する冷徹な現状認識であり、それらに対する徹底したリアリズムだと思うんです。さまざまな事象の中で、おそらく「事実はこうなっているのではないか」というものを把握する力が、名経営者に共通する唯一の事柄だと思っていまして――。さきほど武田会長は「ヘドロを浚渫するんだ」とおっしゃっていましたが、それ以前に会社の現状を見通し、「これはヘドロだ」と思えることが、最高の経営能力だといえるのではないでしょうか。

武田:
ヘドロというかですね、結局は利益率の差なんですよ。ほんらい医薬品の利益率は絶大で、それこそ高付加価値産業なんですね。それに比べれば、以前に手がけていた食品とか化学品や農薬、ビタミンバルクなどは利益率はほんとうに低いんです。だから結局、こうした事業が高付加価値の医薬品の利益率を引っ張ってたんですよ。だから、それをなくしたら、高付加価値事業が残るから絶対にいい会社になる、と。そして、これだけの利益率を持つ会社にしたら配当も増えるし、少しはましな生活ができる、と。そこにつながってくるわけですよ(笑)。

財部:
そうでしょうかね――。私は「やはり血じゃないか」という気もしています。ご自身の中に流れている、武田という「経営の血」を感じることはありませんか?

武田:
感じますよ。「経営の血」というか、「ケチ」というかねえ――。

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財部:
ケチ、ですか。

武田:
そりゃあ、無茶苦茶ケチですよ。もうほんとうに(笑)。そう、この「ドケチ」というのはほんとうに血だと思いますな。「そんなに凄いお金を持ってるのに、何でそんなケチなこといわれなあかんのか」とよくいわれるし、そしてまた事実、やりますからね。そのギャップがよくわからんらしいです。

財部:
でも、ご自身の中ではきわめて自然だと。

武田:
私は自然にやっとるんですけどね。いわれてみたら「ああ、そうかなあ」と。「そんなふうに一般の方々は受け取っているのか」と思ってぎょっとしますね。ですから私、車なんか駄目。乗らないんですよ。いつも歩いているんですよ。ほとんど乗りませんなあ――。そうですね。

財部:
本当ですか?

武田:
歩くのが好きなんですよ。会社ぐらい歩いていきませんと(笑)。