武田薬品工業株式会社 武田 國男 氏
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経営者の素顔へ
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私がやったのは経営じゃなく、「ヘドロ」の浚渫なんですよ

武田薬品工業株式会
代表取締役会長 武田 國男 氏

財部:
そもそも武田会長と中村社長とのご関係は?

武田:
直接お会いしたのは3、4回ですかね――。以前から週刊誌や新聞とか、そういう書物の中で記事を読ませていただいていて、僕は中村さんっていうのは、「ああ、サラリーマンとしてもまれにみる、軸のブレない社長だなあ」と注目していたんです。もう素晴らしい社長だなあと思って、彼について書かれた記事はすべて読んでいました。

財部:
そうなんですか。

武田:
世間の評判はちょっときつすぎたのかもしれませんけども、あれだけ軸がぶれない方は珍しいです、サラリーマンで――。サラリーマンは大体ぶれますけどね。書き物の中で、お互いに崇拝(笑)し合っている面もありますけど、考え方は非常に似ているんじゃないかなあ、という思いがあるんですよね。

財部:
私も6年間ずっとお付き合いさせていただいてきたのですが、中村社長はサラリーマンとはとても思えません。正直な話、彼のモチベーションの出所というのがよくわからなくなりました。サラリーマンとして、松下が「自分の会社」であるとか「これが創業者の理念だ」と語る中村社長の言葉の向こう側に、創業者に対する遠い思いが何かある。それに自分自身共感し、それだけでここまでできるものか、という本当のことが、考えれば考えるほどわからなくなるんです。

武田:
そんな感じ、ありますなあ。お坊さんの生まれ変わりと違いますか? なんかこう、宗教的なものがなければねえ――。あれだけやれる、というのはやはり、あれは「松下教」ですよ。

財部:
ほんとうに、「常軌を逸した」というぐらいの集中力というか――。執着ですね。

武田:
しかし、あのぐらいでなかったら、あのデカイ松下を、あれだけ変えることは絶対できなかったと思いますよ。よくあれで、中村さん、病気もされずにこられたなあと思いますね。いやあ、立派な方ですなあ。あんな方、あまりお目にかかれませんなあ。

財部:
ところが、よくよく勉強して見ると、武田会長はじつはその上を行くんじゃないかと私は思うんです。

武田:
いやあ、僕なんか全然ですよ。僕はもう下にポーンと丸投げするだけの男だから。あとはもう、何もないですよ。ちょっと、世間があまりにも虚像を作りすぎたんですよ。私の虚像を。それだけのことですよ。

財部:
いや――。でも、私が一番凄いなあと思うのは、武田会長が「この会社はこれでいいのか?」という思いを抱きながら、93年から社内の大改革を進めていかれたことです。私もバブルの始めからこういう仕事をしていますので、この国が80年代にどんな危機に陥り、その後どんなふうに崩れてきたかを、本業としてずっとみてきました。その流れでいうと、93年といえば日本にまだバブルの残滓がだいぶ残っていた頃で、みな株なんか売らずに、「日本はまだ買い場だ」といっていた時代です。大企業へ行けば、中間管理職から上層部までみなお金は使いたい放題で、めちゃくちゃな状況でしたよね。

武田:
そうでした、そうでした。

財部:
そんな時代背景と、当時会長が持たれていた改革に対する問題意識には、凄まじいギャップがあると思うのですが。

武田:
いや、ギャップじゃないですよ。それはですね。結局。僕はお金が欲しかったんです。そこに尽きるんですよ。そのときはね――。

財部:
お金、というのは?

武田:
利益と、そこから出てくる配当ですよ。なんせ、周囲の人をみていても、そういうのでもの凄くバブリーでしたから。ところがその頃、やはり「私ほどの貧乏はない」という感じでしたからね。小さいときから、なんせ「質素」をモットーに叩き込まれたからね。お金を使うのが下手っちゅうか――。どうお金を使っていいかわからないし、どう遊んでいいのかもよくわからないし。何かこう、「遊び」イコール「金儲け」というか、そういうことになってしまうような感じがして、しょうがないんです。

財部:
ええ――。

武田:
ですから、あの頃でもですね、僕は「お金を儲けたい」、イコール「もっと配当を増やしたい」と思っていたんです。社長になる前からずっと会社をみてましたけど、結局(武田は食品、化学品、農薬、ビタミンなどと手を広げ)多角化をやっていたんですよ。それで僕はアメリカに行って、向こうの製薬業界と日本の製薬業界の利益率の差、これにもう驚いたわけです。これじゃあいかん、なぜこれだけの差が出るんだろうか、と。これは日本の業界を挙げて、絶対に直さないかんと思いましたね。

財部:
そうなんですか。

武田:
いざ日本に帰ってきてみると、旧厚生省や政治家、それから医師までもが「薬屋は儲けすぎ」とか「薬九層倍」(薬の値段は、原価に比べて異常に高い。)の大合唱ですよね。でも私は「何で儲けたらいかんのか。商売ってのは儲けるためにあるのと違うか」と、こう思ってたわけですよ。アメリカでは、製薬メーカーだってお金のことは普通にいうし、利益の話も平気です。だからやはり、日本もこうならなくちゃ駄目だ、と。それから、仕事をするからには最大の効率を求め、最大限の利益を追求するのが商売じゃないのか、と。そう思って武田をみた場合、「まだいくらでも利益は上げられる、なぜそのように持って行かないのか」と私は不満に思っていました。それが原点ですよね。

財部:
ちょっと気になったんですが――。「質素に育った」、「お金の使い方も知らん」とおっしゃいましたけど、僕からみるとやはり「武田の御曹司」という印象なのですが。

武田:
いや、しかし、そうではなかったんですよ。なかったというか、非常に躾が厳しくて、小遣いもほとんどないような生活を送ってきましたし。まあ、給料も一般サラリーマンと一緒、もしくはそれ以下という状況でしたねえ。もともと6代目の長兵衞――私の父ですけれども――には6人兄弟がいたんです。長兵衞の上には姉が1人いまして、長兵衞が長男だった。だから、長兵衞だけが武田のお膝元である大阪の道修町で育っているわけですよ。それで残りの5人は、神戸市東灘区の御影というところで育っているわけです。それだけの違いがあるわけですよ。

財部:
育つ場所も違うのですか?

武田:
そう。ウチの場合はですね、(育てられる)場所からすべて違う。跡継ぎは、小さいときから帝王学で全部仕込まれますから、幼稚園から何からすべて違います。僕も御影で育てられました。僕なんか、物心つくときから、兄が会社を継ぐということを自然に肌で知っていて。もうすべて、周囲の皆がそう思っていますから。武田に入社しても、僕なんか行くところがないから「ここで食い扶持だけはもろとけ」というような感じですね。そんなもんです。