株式会社資生堂 代表取締役執行役員社長 魚谷 雅彦 氏

財部:
それはどんな記事なのですか?

魚谷:
「日本企業のクラフトマンシップはよく知られているように素晴らしい。しかしショーマンシップが弱い」と書いてあったのです。まさに私の問題意識と一緒でした。商品の中身については技術的に非常に手をかけるのですが、その見せ方や伝え方、ブランド育成を軽視していることが少なくありません。「日本の企業はそういうマーケティングを重要視してこなかった。ブランド戦略は広告代理店に丸投げしている」と、そこに書いてあったのです。私はその記事を切り抜き、ずっと講演で使っています。

財部:
非常に言い得てますね。

魚谷:
確かに、日本企業の中でマーケティングやブランドと言うと、営業や売るための手段の一部と考えてしまうことが少なくありません。ところが欧米企業は少し違っていて、商品の作り手の価値観を、いかにお客様の価値に転換するかがすべての活動だと捉えています。あのコカ・コーラの商品も、128年前に作られた時から黒い色そのまま。つまり商品設計上、研究開発上の価値は100年以上変わっていないのです。にもかかわらず、コカ・コーラが世界で1、2番のブランドだといわれるのは、その時代ごとに人の心に通じる価値観を付加しているからです。特にグローバル化で世界に出ると、最高の技術を使っていいものを作っているだけでは、お客様には伝わりません。

財部:
いま、テレビショッピングでもどんどん化粧品が出てきて、一般的に化粧品は誰でも作れるものだというイメージで見られています。いわば悪い意味で裾野が下に広がってしまっている感がありますが、やはり資生堂が価値を伝えなければ、状況はもっと悪くなるような気がします。

魚谷:
いわゆるOEMで化粧品を作る工場が数多くありますから、参入障壁は、その意味では低いと言えば低いですね。われわれは自社で開発を行い、自社の目で確かなものを作っているのですが、それをどれだけ伝えられるかということが益々重要になってくると思います。

財部:
私たちのように物事を伝える側からすると、受け手が男性であろうと女性であろうと、伝え手の側が、大切なことを理解していながら言わずに伝えるのと、そもそも知らずに伝えようとするのとでは、まったく違うと思いますね。

魚谷:
まさにおっしゃる通りで、いくら素晴らしい技術で良いものづくりをしても、それがお客様に認識いただかなければ、ブランドにはなりません。少し率直に言うと、日本企業は昔から「良いものを作ればお客様は買うはずだ」と考える傾向にあります。家電を始めさまざまな分野でそういう話が出ますが、それで数多くの技術パテントを持っていながら、なぜ日本のメーカーが世界で苦戦しているかを考えると、お客様の価値への転換に課題があると思うのです。

財部:
ソニーのインド現地法人であるソニーインディアに、日比さんという社長がおられます。彼のところに取材に行ったのですが、日本では不調なソニーが、インドではとても売れているのですよ。

魚谷:
非常に興味深いです。素晴らしいですね。

財部:
素晴らしかったですよ。たとえば『Xperia』というスマートフォンを紹介するために販売員をトレーニングしていたのです、私が「売れている理由は何か」と尋ねたら「ではお見せします」と店頭で私を顧客に見立てて、このカメラ機能がどれだけ凄いかを説明してくれました。福引き箱のような小さな箱の上に小さな穴が空いていて、「これをよく見てください」というのです。目で見ると、うっすらと写真のようなものがあるのがわかる程度。それを、『Xperia』で写真を撮ると、目で見えなかったものがちゃんと写っているのです。自分の『iPhone』を出して写真を撮ったのですが、『Xperia』が勝っていました。凄いものだなと。

魚谷:
そうですか。

財部:
ところが日本では量販店がそんなことをやる暇がないのです。商品の持っている価値を説明するという行為が脱落しています。

魚谷:
もったいないですね。消費者サイドで見ると、多少の違いはありますが、1億2000万人がほぼ同じ言語、近い文化で暮らしている均一的な社会と言われている国は、おそらく日本の他には無いでしょう。だから日本の中での価値の伝え方や、良いものを作ればお客様はわかるはずだという考え方は、日本以外では通用しにくいのです。海外に行くと、1つの国でも数多くの民族がいて、言語も文化のバックグラウンドが違うので、丁寧に説明しないとわからないのですよね。

財部:
そうですね。

魚谷:
だからこそ欧米でマーケティングが必然的に発展したと思うのです。もう1つ、私自身が感じているのは、日本は一般的にあまりプレゼンテーションが得意な国ではありません。日本コカ・コーラはああいうグローバル企業なので、私は本当に鍛えられました。BBCのニュースキャスターに圧迫インタビューの訓練を受けたこともあります。言葉で伝えるという意味でのリーダーのあり方も、日本の企業がこれからもっと変えていかなければならないものの1つではないでしょうか。スティーブ・ジョブズのような人が、世の中にたくさんいるとは思いませんが。

財部:
BS11で「財部誠一の経済深々」(毎週金曜日夜9時〜9時54分)という番組をやり始めてから、毎週経営者の方をブッキングする必要があり、なかなかつらいのですが、私はできる限り自分でトップインタビューのお願いをしています。そこで差が出るのは広報担当者の意識で、事前に質問内容を聞いて、答えを綺麗にまとめようとすることが多いのです。面白い場合もあるのですが、経営者の言葉にはなりません。(決められた答えと)違うことを言ってはいけないというのはその通りなのですが。フォーマルな場であるIRにしても、経営者は株主からの質問にサッと答えなければなりませんよね。

魚谷:
私はIRもスクリプトなしですよ。自分でプレゼンテーションを作って説明し、質問も受け、英語でやります。確かに、時には脱線してしまうこともあります。でもそれがあってこそ、人としてのコミュニケーションだと私は思う。私の目的は、株主やアナリストの皆様に、われわれの経営を理解しサポートしていただくことです。そのためには、人間味のあるコミュニケーションが何よりも必要だと思うのです。

財部:
私は実は、この魚谷社長へのインタビュー、一番の読者は資生堂の社員の方だと思っているのです。

魚谷:
ありがとうございます、財部さん。私もそう思いながらお話をしていました。

財部:
本当に心に届くかどうかが大事ですから。

魚谷:
基本的にリーダーには、物事を決める際に胆力が必要です。時には辛い場面もありますが、右に行くのか左に行くのかを決めるために、明確なビジョンを持つ必要があります。消費者にとって身近なこういうビジネスでは、特に実務に関わる人たちの現場感を大切にしなければならないと思うのです。その人が気持ちをどれだけ昂ぶらせ、情熱を持てるかどうか。もともと日本は、それこそ豊臣秀吉などの戦国時代から、ビジョナリー・リーダーシップと実務的な部分でのオペレーショナル・リーダーシップ、そしてエモーショナル・リーダーシップが強かったはずなのです。ところがいつの間にか、これらが希薄になってしまいました。しかし一方で、欧米のリーダーはこれらを強調して育てられてきたような気がするのです。大統領選挙にしても、そこを試されているような部分があるではないですか、言葉を大事にしていますし。これらに共通するのはコミュニケーションだと思います。かく言う私も、昔アメリカの大学に行った時には、劣等感がありました。

財部:
劣等感とはどういうものですか?

魚谷:
あるクラスに参加し、テストで一応合格できる点数をとったとします。しかし教授が「この会社についてケースディスカッションをしよう」と言い出すと、なかなか参加できなくなってしまいました。クラスメートは約38カ国から来ていて、それぞれ自分の意見を喋りたい人ばかりなのです。イタリア人は手を挙げてから考え出し、インド人は喋り出したら止まりません。アメリカ人は子供の時からディベートなどの訓練を受けていますから、「I disagree」(私は反対です)と自分のポジションをはっきり示して、日本人の感覚では言えないようなことをまくしたてるのです。とてもついていけないですよ。そうこうしているうちに、教授から「もっと発言しなければ、お前はこのクラスを落第する」と通告されました。2つ落としたら即刻退学ですから、私は焦りました。ケーススタディは必ず「この会社の問題点は何か」から始まるのですが、必死になって部屋で勉強して、問題点は何かと言われたらパッと1番に手を挙げられるようにイメージしました。授業の前には『ロッキーのテーマ』をかけて、「今日は行くぞ」と自分を鼓舞していました。そんなことをやっていたのですが、これだけでは十分ではありませんでした。外部スクールでの経験によって、堂々とディスカッションに参加できるようになりました。

財部:
それは、どのような?

魚谷:
『道は開ける』で有名なデール・カーネギーのスクールが全米に数多くありますが、ニューヨークの街中にあるスクールのコースに通いました。受講者が12、3人いたのですが、ウォールストリートジャーナルのセールスマンとか、様々な属性の方が数多く来ていました。日本人は私だけでしたが、それが非常に面白かったのです。

財部:
どんなトレーニングをしたのですか?

魚谷:
自己紹介を最初のクラスで行ったのですが、アメリカ人でも緊張のあまり赤面して話せない人がいるのです。ビジネススクールにはそんな人はいなかったので、私にはとても不思議に思えました。そこに4カ月通ったのですが、コミュニケーションのメソッドがあって、「心をオープンにして、自分の意見と違っても他人の意見をまずよく聞きなさい」というところから始まり、今度は「それを自分なりに解釈し、それに対して『私はこう思う』という意見を必ず言いなさい」という訓練をします。他にも、みんなの前に出されて「魚谷さん、あなたは今死ぬところだ、横たわって、俺は死にたくない、まだ生きたいと、思いっきり叫びなさい。『I don’t want to die』と言うだけじゃダメだ、本当だと思って全身でやりなさい」と。それをみんなでやったりするのです。そうすると、気持ちが楽になってきて、緊張感がなくなります。このような経験を経て4カ月が経った時、卒業式の前に1人10分ずつスピーチをするのですが、アメリカらしく「自分はこれからの人生をどう送りたいか」ということを、皆が話すのです。最初に赤面していたアメリカ人も前に出て、大きなアクションを交えながら堂々と語っていました。

財部:
ほお。

魚谷:
最後にインストラクターが、「皆さんは将来、組織のリーダーになりたいと思っている人ばかりで、人を動かしていくのはどういうことかということを考えて、ここに参加した。経営者にとって大切なことだが、本当に重要なのは、自分自身が情熱的に生きているかどうかであり、それがすべてだ」。これは鳥肌が立つような思いでした。それ以来、座右の銘とは言わないまでも、その言葉が自分にとって非常に大事な考え方になっています。ビジネススクールのディスカッションも怖くなくなりました。こういう場では、人の意見も聞いて、解釈してわかるところに関して堂々と自信を持って自分の意見を言えばいい。わからないことまで知ったかぶりをする必要はない。だから恐れることはない、と。情熱を持って事に当たれば人はついてくる、組織は変わるのです。

財部:
魚谷さんの原点を見せていただいた気がします。長時間ありがとうございました。

(2014年9月5日 日本BS放送スタジオにて/撮影 内田裕子)