財部:
海外ブランドの化粧品メーカーを見ると、商品をどこででも売っているわけではなく、例えば高級百貨店にこだわり、ドラッグストアには置かないなど、ブランドイメージが確立できるところだけで勝負をしています。一方資生堂は、ブランドイメージを打ち出して、消費者はテレビCMや広告を見て「こんな風になりたい」という美しいイメージを抱きながらも、実際に化粧品を買いに行くのはドラッグストアなど、日常そのものだったりします。もちろんドラッグストアを否定しているのではなく、消費者に打ち出しているイメージと、売り場のイメージのギャップがある。はたから見ているとそこに難しさを感じるのですがいかがですか?
魚谷:
日本企業の一般的アプローチとしてよくあることですが、日本ではコーポレートブランドを非常に重視するのです。日本の消費者は「どこの会社が作っているか」ということを気にされることが非常に多い。だから商品ブランドよりも企業ブランド、コーポレートブランドが優先されてきたのです。これはこれで、ある意味とても大切な考え方ですが、最近ではお客様の価値観や行動が非常に多様化して、商品の情報をしっかりと調べて、ニーズを満たすものを組み合わせて使うというスタイルが一般化してきました。経済の発展とともに、自動車でも飲料でも化粧品でも、どの分野にも必ず同じ傾向が起こってきていると思います。例えばデパートで見かける高価格帯のラグジュアリーな商品にも、セルフ化粧品、パーソナルケア的なカテゴリーで1個数百円の商品にも資生堂というブランドがついている。お客様から見れば、信頼できる会社が作っているのだから良いという部分はあるでしょうが、よく考えてみると、そのことによってお客様が少し混乱すると言いますか、何が資生堂の持つ価値なのかがわかりにくくなるのです。
財部:
たとえばどんな例がありますか?
魚谷:
中国で資生堂はプレステージ商品を中心に展開していますが、中国のお客様が日本に旅行した際に数百円の商品もご覧になる。そこで、「あれ、資生堂ってどんなブランドなの?」と思ってしまう。日本でコーポレートブランドを広く使っていることによって、グローバルでの顧客層の資生堂に対するイメージが揺らいでしまうのです。したがって、商品ブランドをもっと前面に立てていくことがますます重要となってきます。
財部:
どんな考え方で商品のブランドを構築していくのですか?
魚谷:
例えば、休日にはデパートや化粧品専門店で丁寧なカウンセリングを受けてゆっくりと商品を選んでいただく一方、平日の忙しい日はちょっとした時間に手頃なセルフ化粧品をパッと選ぶというように、使い分けをしている方もいると思います。このような購買行動の多様化が起こってきたので、それぞれのニーズに応じた商品を代表するブランディングをもう少し志向するべきでしょう。資生堂のコーポレートブランドを基礎にしながらも、マルチブランドの方向に、グローバルでしっかりと踏み出していくべきだと考えています。
財部:
ここに、2014年7月に行われた、新プロジェクトの決起集会の写真があります。魚谷社長を知っている私からすると、「これが魚谷流か」とか「これが資生堂か」と思うような写真です。
魚谷:
それは、どういう意味でお感じになりますか?
財部:
お揃いの法被というのは驚きました。魚谷社長は非常にスタイリッシュな方だし、資生堂も日本の企業としては例外的にスタイリッシュな会社だと思います。その資生堂の社員や魚谷社長が、真っ赤な法被を着ているのです。うしろをよく見ると、「イチガン」「ICHIGAN」と書いてある。
魚谷:
全社員の気持ちを一つにして、ブランドを輝かせるために実施するマーケティングを「ICHIGAN(イチガン)Project」と名付けました。その決起集会でみんなで法被を着ることで、一体感を生んだのです。確かに財部さんのイメージとは違うかもしれませんね。実は、このプロジェクトを実施した背景には、マーケティングについての考えがあります。日本の多くの経営者に「マーケティングとは何ですか」と質問すると、市場調査とか広告宣伝という答えが返ってくることがよくあります。しかし私は、研究開発からブランド構築、広告、コミュニケーション、それから店頭でお客様との接点を持つビューティーコンサルタントまで、すべてが同じ考えを持ってお客様に価値を提供していくことを、全社的かつ統合的に取り組むことがマーケティングの本来あるべき姿だと考えています。つまり、マーケティングは経営全般に関わる活動なのです。ただし、資生堂が部分で良いものを数多く持っているにもかかわらず、一気通貫で総合的なパワーを発揮できていないのではないかという問題意識を持っていました。
財部:
マーケティングが全社的かつ統合的になっていない、と。
魚谷:
組織が縦割りになっているので、これを一体化しようということです。もちろん化粧品やビューティーの世界ですから、お客様に対してはスタイリッシュであり、格好の良いブランドを提供していくことが大事ですが、社内では泥臭くやるべきことをやろうよと。皆がお互いに理解し合い、それぞれの分野で一生懸命に仕事をして会社全体を良くしようよと。そういう意識や情熱を持っている人たちが数多くいるので、それをまとめたいと思っているのです。私は初め、違うプロジェクト名をつけていたのですが。
財部:
最初はどんな名前だったのですか?
魚谷:
「史上最大の作戦」と呼んでいたのです。ところが、その映画のタイトルを知っていた人が年配の方ばかりで、若い人たちがあまり知らなかったのです。そこで宣伝・デザイン部のコピーライターに考えてもらったところ、さすがにクリエイティブに作ってくれました。
財部:
このプロジェクトの眼目は、マーケティングとは単なるイメージ戦略ではなく、一気通貫で製造開発から販売の現場まで全部一体となって作るものだ、ということですよね。これは資生堂に限りませんが、会社の中で上層部と中間層、それから現場では必ずしも考え方が一体ではありません。資生堂の場合は、ビューティーコンサルタントが店頭にたくさんおられて、彼女たちは彼女たちの論理で頑張っているわけです。したがって、社長が右だと言っても皆が右を向くとは限りません。前田さんもかなり現場に行かれて、ご苦労されているというイメージはあったのですが、その部分を魚谷社長がさらに強調されて、現場を回っていらっしゃいますね。社長になる前に約6000人と対話し、社長になってからも合わせると100日で約1万人に会われたということですが。
魚谷:
今、海外でもかなりやっています。
財部:
その実態と狙いは、どのようなものだったのですか?
魚谷:
1つは、私自身が去年マーケティング改革に関わったとは言いながら、社員のことや市場の実態をすべて把握しているわけではありません。また、私が長く社内にいる人間であれば、どこかで何らかの接点があるので、人となりがわかるのですが、自分の会社の社長がどんな人かもわからない、たまたまテレビをつけたらそこに出ていて、「こんな人が社長になるのか」というのは良い状態ではありません。そこで私のほうから出て行って、自分の考えを伝えたり皆さんの意見を聞いたりして、お互いに理解し合うところからスタートすることが、当たり前の姿勢だと思ったのです。
財部:
全部門を回られたのですか?
魚谷:
工場や営業の拠点に加え、海外でも中国、インドネシアを訪れました。先々週もアメリカの社員と会ってきたのですが、結局、根本にあるものは共通していると感じました。資生堂グループにいる人は、この会社に自分自身を投影するものがあり、この会社が好きなのです。今、少し業績的に苦しい状況も続いていて、「なんとかしなければならない」「どうしたらいいのだ」と皆が変化を求めています。それぞれの国、それぞれの分野、それぞれのブランドで責任を持って仕事をしてもらうのですが、1つの資生堂として、皆が同じ目標に向かい、同じ考え方でコミュニティや人間関係をしっかり作り、理解し合いながらやっていく。これが海外を含めた「イチガン」の考え方で、皆が共鳴してくれています。人は皆一緒だと思いますね、そういう意味では。
財部:
どんなに大きな会社で、どんなに良い組織があっても、やはり社員にとって、トップから直接話を聞くことほど、インパクトのあることはないですよね。ですからなおさら、社長は自分の意志を伝えるために、相当な時間をコミュニケーションに費やさなければならないのだなという実感があります。
魚谷:
他の企業の取組みから学ぶことも沢山あります。あるアメリカの日用品大手企業のCEOに会ってきましたが、その会社は、昔は堅苦しい雰囲気でしたが、今は本当にカジュアルで、エグゼクティブフロアも半分は社員が出入りするトレーニングルームになっています。CEOがいつでも「Hi!」と社員と交流し、カジュアルな服装でいつも目線を社員に合わせています。消費財を扱う、消費者向けのビジネスを展開しているのでなおさらですが、お客様と自分たちが目線をしっかり合わせるべきところに、メーカー本位の押し付けがあってはいけません。それを体現するには、自分たちの組織そのものが、本社が偉くて現場が下ではなく、フラットになる必要がありますが、欧米でも経営トップやリーダー層が最近、それをかなり心がけているという印象がありますね。
財部:
まさに今それをやっている、ということですね。
魚谷:
今週も海外への出張があったのですが、資生堂グループの社員たちと、今どんどん会っています。皆で一緒に取り組んでいこうという考え方に共鳴してくれているので、私自身も楽しくて仕方がないですね。もちろん結果をきちんと出さなくてはいけませんが、そのプロセスとして大きなモチベーションになっています。
財部:
今回の抜擢は、サントリーの新浪さんもある意味同じようなシチュエーションですが、やはり社員が皆困惑するわけですね。なぜ社長がプロパーじゃないのか。プロパーは適任者がいないのか、と。魚谷さんもお感じになられていると思うのですが。
魚谷:
全社員が共鳴し、一緒になってやるべきだと思ってくれるように、私自身が努力することがとても重要だと思います。リーダーシップを発揮するために大切なのはコミュニケーションだと私は思っています。「会社を成長させよう、その為にはこの変革が必要だ」ときっちりと説明をし、同じ思いを持つ人を少しでも増やしていく。これは地道にやるしかないと思います。
クラフトマンシップに強く、ショーマンシップに弱い日本企業
財部:
資生堂には男性化粧品もありますが、魚谷社長はこれまで、どちらかと言えば食品業界のイメージがあります。化粧品業界で違和感はありませんか?
魚谷:
私はマーケティングの世界にずっと身を置いていますが、特に女性が世の中の動きに反応し、いろいろな意味でのトレンドを作っていることが多いですよね。私はライオン時代から女性誌をよく読んでいました。家庭の日用品や飲料にしても、圧倒的に購買の中心的な役割を担っているのは女性の方ですから、その意味で違和感はありません。
財部:
また、魚谷社長は「研究開発投資」について様々な場面で強調されています。これまで資生堂のトップが積極的に言及することは少なかったと個人的に感じるのですが、資生堂は資生堂としてあらなければならない、他の会社と同じように製造業と言いたくない、という部分がおそらくあったのではないかと考えています。ですが資生堂には研究所もあり、実際に研究開発を手がけています。そこは何か意識されているのですか?
魚谷:
社長になることが決まってから、資生堂の様々な所に足を運びました。販売第一線や静岡の企業資料館、そしてもちろん研究所にも行きました。そこでいろいろなことを話していくと、やはり技術力は資生堂の大きな強みの一つだと感じました。例えば、化粧品業界の技術オリンピックと言われるIFSCC(国際化粧品技術者会)で、資生堂の技術者は最優秀賞を通算18回獲得しているのですが、これは国内外の化粧品メーカーで最多です。ただし、技術がイノベーションの1つの源泉だとしても、お客様に分かり易くお伝えする必要があります。だからマーケティングと一体になって、広告などでわかりやすいメッセージを発信し、パッケージでもそれを表現します。そして、商品を使っていただいた時に、そのメッセージした価値と実感が同じだと思えるかが大事。その価値は、まさに一気通貫になっていないと理解されないし、知覚されません。だからマーケティングが大事なのです。実は2年半ぐらい前に、英国の経済誌に衝撃的な記事が出ました。