サンヨー食品株式会社  代表取締役社長  井田 純一郎 氏
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インスタントラーメンは世界に誇る究極の加工食品だ

サンヨー食品株式会社
代表取締役社長 井田 純一郎 氏

財部:
今日は入交グループの入交社長からご紹介いただきましたが、最初に井田社長と入交さんとの関係からお伺いしたいのですが。

井田:
私よりも入交さんの方が3歳年上です。私も勉強会や異業種交流会が好きなほうで、そういう会を通じて入交さんと知り合ったのが今から約20年前。入交さんは大変面倒見の良い方で、彼が親しくしている経営者をご紹介していただいたりする中で、お付き合いが始まりました。しばらくして私が社長に就任してからご連絡をいただき、入交さんも入っている社長の会があるからと、お誘いをいただいたのです。

財部:
青年経営者の親睦会である、日本YPO(Young Presidents' Organization)ですね。

井田:
そうです。私はそれまでYPOという会があることを知らなかったのですが、私の知っている人も多く、勉強になりそうなので入会させていただきました。同会を通じて入交さんとの交流もさらに深まりました。4年前に入交さんが日本YPOの会長を務められ、今ちょうど私が会長をしていますが、そんなご縁がつながっています。

財部:
なるほど。井田さんは36歳で社長に就任されましたね。その前に、銀行に7年間お勤めになって入社されて社長に、と。こういうプロセスはある意味で、オーナー企業の中で「このように息子を育てていこう」という、非常に典型的な形だと思うのですが。

井田:
じつは、それは意図せぬ流れで、私は大学を卒業したあと、親の会社に入るという意識はありませんでした。というのも、私の父自身が「息子であるお前に継がせる気持ちはない」と明言していたからです。「お前はお前で就職して、その会社で頑張れ。そこで出世して、世の中のお役に立て」と言われていました。実際、私はサンヨー食品に36歳で入社するまで、会社の中にほとんど入ったことがなかったのです。

財部:
そうなんですか。

井田:
一度だけ、私の記憶に残っているのは、小学校の社外学習で訪れた場所がサンヨー食品だったということだけです。私は、その時初めてサンヨー食品の工場に入ったというぐらい、父は仕事と家庭を完全に分けている人でした。ですから私も就職にあたっては、慎重に企業を選び、親からもアドバイスを受けて、結果的に銀行に入社したのです。

財部:
お父様からもアドバイスを受けて、銀行を選ばれたのですね。

井田:
銀行の仕事は楽しく、いい職場でしたから、私は「この会社で頑張って出世しよう」と思っていました。ところが銀行に勤めて7年目頃に父が大腸癌にかかったのです。かなり病気が進行していて、手術成功の確率は五分五分でした。その話を聞いたとたんに、それまで楽しく有意義だった銀行の仕事が急速に色褪せてしまい、「どんな仕事でもいいから、親父の会社に入って手伝いをしたい」と思い始めた。起業家、同族経営の一員である私のDNAがそこで目覚めたのかもしれません。結果的に手術は成功し、父は癌を克服して今でも元気に日常生活を送っています。ただ、もし父が病気をしていなかったら、たぶん私は銀行員だったと思います。

財部:
井田さんが、銀行を辞めて手伝うと言った時のお父様の反応は、どうでしたか。

井田:
病院のベッドに寝ている父のところに行き、「銀行を辞めることにしました。サンヨー食品に入社させてください。親父の手伝いをしたい」と話しました。返事はなかったですね。だから駄目とも言われなかった。駄目だと言われないのは、良いことだろうということで、そのままサンヨー食品への入社が決まったのです。私が察するに、半分は嬉しいし、半分は残念さもあったのでしょう。父は私に対して「自分とは違う仕事に就いて頑張ってもらいたい」と思っていましたから。

財部:
経営というものの困難さを、身をもって感じているからこそ、お父様も残念だと思われたのでしょうね。

井田:
そうですね。私も社長になって初めてわかったのですが、社長の仕事は大変な激務ですし、ストレスも溜まるし、相当な覚悟がないとできません。幸いながら、私はもう13年社長を務めていますが、正直言って、私自身ここまでよく続いたものだと思います。

財部:
世間の人が外から見ている社長像と、経営者の本当の生活、あるいは人生そのものには大きな隔たりがあるような気がします。社長とは非常に困難を伴う仕事で、簡単に「息子を跡継ぎにする」と言えるほど、気楽なものではないと思いますね。

井田:
そうかもしれません。向き不向きもありますし、先ほどお話したように、本人の覚悟もあると思います。

古くて新しい『サッポロ一番』のブランド力

財部:
今度は会社のことについて伺いたいのですが、私が一番興味があるのは『サッポロ一番』です。私の人生の中で最初に出てきた即席ラーメンが『サッポロ一番』で、『サッポロ一番』という商品名は、即席ラーメンの代名詞とも言えるものですよね。

井田:
そうですね。インスタントラーメンと言えば『サッポロ一番』、ですね。

財部:
『サッポロ一番』は1966(昭和41)年の発売以来、45年にわたるロングセラーを記録していますが、その間にも新商品の開発が続き、会社としてM&Aなども経験されてきたと思います。『サッポロ一番』のブランドを維持しつつ、リニューアルも手がけられてこられた井田さんご自身の、ブランドに対する考え方をお聞かせ下さい。

井田:
『サッポロ一番』は、お陰様で45年にわたるロングセラーブランドになっており、累計生産食数は300億食を超えています。商品が長く愛されるためには、今財部さんがおっしゃったようにブランドが非常に大切です。おいしさ、安全安心は当たり前。加えて、お客様が商品を買い求めやすい値段に設定するための企業努力、つまり合理化も必要ですが、それらをすべて網羅するものとして、最も大事なものがブランドです。お客様が『サッポロ一番』という商品を指名買いしてくれる理由について、「おいしいから」と言う人もいるし、「値段が手ごろだから」と言う人もいます。「安心だから」とか「馴染みがあるから」と言う人もいる。そういうものをすべて包括するのが、ブランドだと私は思っています。

財部:
なるほど。

井田:
それがゆえに『サッポロ一番』が世に出てから今日まで、ブランドを維持し守る努力を続けてきました。しかし、守るだけでは十分ではありません。たとえば時代に合わせて味を微調整する、最新の品質基準や安全基準に沿って中身の入れ替えをすることも、毎年きちんと行っています。同時に、お客様に安心安全な商品をお届けするために、日本でトップレベルの品質基準や審査基準に基づき、工場に対する投資を実施しています。そういったことを含めて、『サッポロ一番』のブランドを15秒間のテレビコマーシャルなどで的確に伝え、お客様に安心感を与えることが一番大事だと思いますね。

財部:
CMのテイストも、サンヨー食品ならではというか、新しくなっても昔のテイストが残っているような気がします。そこは、かなり意識されているのですか。

井田:
コマーシャルのトーン1つを取っても、そこから受ける印象というものがありますからね。私どもは、古くから俳優の藤岡琢也さんにコマーシャルに出ていただいていましたが、残念ながら藤岡さんが亡くなられてしまったので、今は木梨憲武さんという、若い方からご年配の方まで人気のある方をイメージキャラクターに起用しています。やはりその根底にあるのは、ファミリーとしての安心感。袋ラーメンは、カップラーメンと違い、家庭で一緒に召し上がっていただくケースが一番多いのです。たとえば休日の昼間に「お昼ご飯は『サッポロ一番』よ。『しょうゆ味』にする? 『みそラーメン』にする? 『塩ラーメン』にする?」というように。家族全員で『サッポロ一番』を召し上がっていただくことで、気持ちが豊かになっていく。これが『サッポロ一番』が追求する1つのテーマなのです。

財部:
わが家でもたしかに、『サッポロ一番』を買ってあると、必ず「しょうゆにする? みそにする? 塩にする?」という話になりますね(笑)。