財部:
海外の人々に、日本という国をもっとよく知ってもらうという意味でも、非常に大切なことですよね。
大塚:
やはり外国の方には、日本という国はほとんど知られていません。事実、日本があれだけODAを行い、世界的な貢献をしているにも関わらず、日本の国際的なプレゼンスはなかなか高まりません。それは外国の方が日本を知らないからだと思うのです。もちろん、日本からの情報発信も少ないですし、日本が四方を海に囲まれた島国だということも影響していますが、人と人との交流を通じて「日本に行ったらこんなことがあった。あんなものがあった。こんなことをやっていた」という、今の日本の姿を理解してもらうことで、結果的にプレゼンスが高まるという効果があると思うのです。最近聞いた話ですが、ロシアの方にとって、『ウォシュレット』は大変珍しいようですね。モスクワで最近開業したホテルに設置されて評判になっていると聞きました。
財部:
ロシアに『ウォシュレット』はないでしょうね。
大塚:
日本では家庭でもごく当たり前に設置されていますが、『ウォシュレット』1つ取っても、日本は非常に清潔な国であり、身の回りの技術においても優れているということが端的にお分かりいただけると思うのです。また、日本に来ていただいて、たとえば『ウォシュレット』を知っていただくということはメーカーにとっても大切なことではないでしょうか。そういう意味では、観光立国は観光に直接関わる産業だけの問題ではなくて、メーカーなども含めたオールジャパンで臨むべきものです。
財部:
そうですね。大塚さんは、観光ビジネスについて、経済面の効果をどう捉えていらっしゃいますか。
大塚:
旅行・観光産業の生産波及効果は51.4兆円で、430万人の雇用誘発効果を生み出しています。また旅行・観光産業の付加価値効果は日本の名目GDPの中の5.3%に達し、全国の就業者数の6.7%を占めています。観光立国への途半ばにも関わらず、すでにこれだけの数字です。旅行・観光産業は非常に裾野が広い業界ですから、観光ビジネスを活気づかせることができれば、さらに大きな雇用効果が期待できると思います。
財部:
そうですね。話を戻しますが、先ほどの大塚さんのお話にもありましたが、北海道に中国人観光客が殺到したのは『非誠勿擾』という中国映画のロケがきっかけですね。また、韓国ドラマのロケ地というのは秋田で、イ・ビョンホン主演の『アイリス』というテレビドラマの収録がそこで行われました。私もそれらを番組で取り上げたことがあり、両方をきちんと観ています。それが私にとっても非常に新しい発見だったのですが、あの『非誠勿擾』で描かれている道東の温泉街は、日本人の感覚からすると、すっかり寂れてしまった観光地。またドラマ『アイリス』の中で、イ・ビョンホン扮する主人公が恋人と訪れたのも、秋田のひっそりとした温泉街でした。ところが、そういう場所が映画やドラマの舞台になるや、大勢の観光客が大挙してそこに押し寄せたのです。その映画やドラマの背景として、日本の美しい自然があるわけですが、おそらく日本人だったら、そういう描き方はしませんね。
大塚:
そうかもしれませんね。
財部:
その意味で、最近「地方のポテンシャリティ」と皆が言いますが、海外の人たちは、いわゆるポテンシャリティとしてではなく、今ある日本の観光資源を充分に受けいれて、そこに魅力を感じていることに、私は驚きました。
大塚:
おっしゃる通りです。何か建物を作らなければ誰も来ない、と考える必要はまったくありません。とはいえ、地域の現状としては、外国人を受け入れることについての躊躇がまだあることは事実です。1つは言葉の問題であり、もう1つは文化が違うことによるマナーの違い、たとえば入浴方法などについての心配です。一つ目の言葉の問題について言えば、「これが食べたい、あれが食べたい」などの日常的なやり取りは、ボディランゲージでも可能です。ところが一番困るのは、外国人の方が病気や怪我などした時の対応。そこで私は「困った時に、ここへ連絡すれば何でも対応する」という、数カ国語に対応可能なインフォメーションセンターなどを設けてはどうかと、観光庁などに提案しています。
財部:
そういうインフラが、ぜひとも必要ですね。
「Suica」を日本発の世界標準に
財部:
それから、もう1つお聞きしたかったのですが、JR東日本さんはニューヨークとパリに海外事務所をお持ちですよね。
大塚:
もう1つ、ブリュッセルにもあります。ヨーロッパ連合の動きを見極めるためには、本部のあるブリュッセルにいないと情報が取れません。ですから今は3カ所ですね。ニューヨークとパリには、国鉄時代から事務所がありました。ブリュッセルは、JR東日本になってからです。
財部:
本来、国鉄という枠組みの中では関係ないはずの、国際情報の収集を継続して行ってこられたのは、素晴らしいことだと思います。
大塚:
最初の頃は、鉄道の運用方法について聞くなど、当社は海外からさまざまな情報を入手してきました。それと同時に、新しい技術の話を聞くことができる先生として、私どもは海外の鉄道会社と交流を進めてきたのです。ところが昭和50年代に、世界中で「鉄道斜陽論」が巻き起こり、欧米の鉄道が衰退し、国のお金をつぎ込んでもどうにもならないような状況に陥りました。日本の国鉄もご他聞に漏れない状態でしたが、国鉄改革で鉄道そのものが生き返ったのです。それを見た海外諸国が非常に注目し、なぜ日本の鉄道が生き返ったのかを勉強するようになりました。新たな改革を行った日本が、今度は先生役としても交流できるようになったわけです。
財部:
国鉄改革は、国内のみならず海外でも相当インパクトがあったのですね。
大塚:
ええ。改革がうまくいくと同時に、ある程度の設備投資も可能になり、新技術の開発にも資金をつぎ込めるようになりました。最近、ヨーロッパでは環境問題への対策として鉄道が見直され、加えて日本の高速鉄道をお手本にして、フランスなどで鉄道の高速化が進められてきました。そして現在、高速化と近代化という2つの面で、ヨーロッパを中心にして、鉄道は目覚ましい復活を遂げています。その意味で、ヨーロッパの技術力も、日本とはまた違う部分でレベルが向上していますから、お互いに議論し合い、自らの持てる技術を提供しながら、一緒にやっていこうという動きが盛んになっています。
財部:
そうなんですか。
大塚:
とくに日本とドイツは、そういう意味では非常に合いますね。私もさまざまな国の鉄道関係の方々と話しますが、ドイツ鉄道の皆さんとは本当にざっくばらんに議論できますし、交流も盛んです。当社は主にドイツ、フランス、イタリアとそれぞれ連携していますが、技術的にはドイツとフランスに、車輌の内装などのデザインについてはイタリアに、参考にすべきものがあります。また最近、イギリスが鉄道分野に力を入れてきていると感じますね。
財部:
各国の鉄道技術やオペレーション技術のレベルの変化についてのお話も、なかなか面白いですね。
大塚:
そうです。いまやヨーロッパ各国は鉄道ネットワークで結ばれていますからね。たとえば私は最近ロンドンに行ってきたのですが、ロンドンから高速鉄道のユーロスターに乗って英仏海峡トンネルを通り、ブリュッセルに移動するまで2時間しかかかりませんでした。時差の関係で、行きは3時間、帰りは1時間ですから実質2時間です。航空会社の方には申し訳ないですが、所要時間が2時間ということになると、国境を越えるといっても飛行機に乗ろうという気がしません。各所にこういうネットワークができて、ヨーロッパの鉄道は本当に便利になったと思います。やはり鉄道にとって、ネットワークを持つということが大きな強みになりますからね。
財部:
確かにEUが成立し、さまざまな意味で国境がなくなったと言っても、飛行機は飛行機であり、空港から空港へしか行けないわけですからね。
大塚:
その点、鉄道は線ですからね。線路を引くのは大変ですが、いったん線路を造ってしまえば鉄道を運行することができます。それにしても、財部さんはお忙しいでしょうから、普段はどうしても飛行機ということになると思いますが、多少なりとも時間が取れるのでしたら、ぜひ列車にお乗りください。ヨーロッパの鉄道は、昔に比べると本当によくなりました。日本も色々と学んでいかないといけないと思います。
財部:
そうですね。
大塚:
不思議なもので、私は飛行機に一緒に乗っているお客さまに比べて、列車内で一緒になるお客さまの方を、なんとなく身近に感じるのです。私が鉄道に長くたずさわってきたからかもしれませんが、何か食べ物を持っていたら「食べませんか?」と相手に話しかけたくなるようなあの感情が、飛行機の中ではなぜか起こらないような気がします。
財部:
おっしゃる通りです。私も以前、取材でフランクフルトからボンまで列車で移動しましたが、その時、手違いで座席がダブルブッキングになっていて非常に困りました。すると、個室に座っていた中年の女性が、「こちらに座りなさい」と私たちを招き入れてくれたのです。そして「あなたたちは日本人ですか」という質問から始まって、「ドイツ人と日本人は似ている」とか「ドイツ人は"Think and think, and do nothing"(考えるばかりで行動しない)だ」、「日本人もそういう人ばかりだ」というような話をしました。初めて出会った人に助けてもらったうえに、お互いの国民性を語り合うということは、飛行機ではあまり考えられない話ですよね。
大塚:
そうですね。手前味噌ですが、列車は一種の「人生の縮図」のようなところがあります。駅が、出会いや別れの場所でもあるように。その延長で言うと、列車はただ人を動かすだけの乗り物ではなく、情報も移動させているのです。人が動くということは、情報が動くということだと思います。つまり、インターネットで瞬時に伝わる情報とは違う、生の、生きた"Face to face"の情報が、人の動きとともに行き交っているのです。だから鉄道は、本来運輸業という分野に位置付けられるべきではないのかもしれません。むしろ鉄道は、極めて重要な情報産業であると、私は思っています。
財部:
鉄道は、運輸業と言うよりも情報産業ですか。
大塚:
とくに、色々と難しい時代になってくると、結局、大事なことは人と人とが直接話しをするしかありません。電話で話せることには限界があるので、やはり最後は"Face to face"です。今後いかにインターネットが発達しても、最後は人だということが、これからの時代にはますます重要になるでしょう。その意味で、若い人たちがインターネットですべて満足してしまうという生活スタイルを、どこかで切り替えていかないと、おかしな世の中になってしまうのではないでしょうか。(コミュニケーションの)手段が、いつの間にか主役になってしまってはいけないですよね。
財部:
確かに鉄道とは、情報や文化という面に絡めてみると、運輸行政でひとくくりにする話ではありませんよね。
大塚:
そう思います。ですから、私が社長に就任した時、「JR東日本をどんな会社にするのか」とよく聞かれましたが、私は「1人ひとりのお客さまにとって、生活のあらゆる場面で、この会社がなくてはならないような存在にしたい。そうすることが、当社にとっての社会貢献です。そして、その結果として、株式欄のどのジャンルに入れたらいいのか迷うような企業グループにしてみたい」と答えました。ただ、本業は絶対に忘れてはいけませんから、本業から離れた事業をいきなり展開することについては、非常に慎重な姿勢で臨みました。まずは、本業と相乗効果の出る事業を始め、そして、そこから事業を広げていくことで充分やれると考えていたのです。