学校法人新潟総合学園 総長 池田 弘 氏

財部:
非常に面白いお話ですね。僕はむしろ、地方でそういう成功事例が増えていくことが最も重要だと思います。実際、各地で起業支援なるものが、うんざりするぐらい行われていますが、それが地方経済の活性化になかなかつながらないのは、成功事例が少ないからです。厳しい言い方をすれば、「今年の支援企業はここです」というセレモニーを、毎年行っているにすぎません。

池田:
そうなんです。最近ではたとえば、経産省や農水省が農商工連携事業で多額の予算を使っていますよね。

財部:
はい。成功事例が出てくることが最も重要で、仮に、ある企業がもうすぐ上場するところまで来ているという話を聞けば、「自分にもできるのではないか」と思う人たちが必ず出てくるものです。たとえ、その人数は少なくても。

池田:
そうですね。実際、地域のDNAのようなものがありまして、成功事例を耳にして「自分にもできる」と思う人が何人か出てくると、周囲の人たちも「起業はそれほど難しいことではない。チャレンジしてみよう」と言ってくれるようになりますね。

財部:
僕も本当にそう思います。

池田:
しかし、そういう風土を作るまでが非常に大変です。具体的には、まったくのサッカー不毛の地だった新潟にアルビレックスを作ってから10年以上が経ちますが、最近、地元出身の選手たちがU-15やU-14など、各世代の日本代表に選ばれるようになりました。以前では、新潟出身の選手が日本代表になるとはまったく想像もつきませんでした。1996年にアルビレックスが設立された時に、良い意味で本物を目にし、良いコーチたちに恵まれたことが現在につながっていると思います。

財部:
はい。

池田:
そう考えると、事業創業あるいは起業家の育成も、「自分にもできるのではないか」と感じた人たちが一所懸命にチャレンジできるような風土を作っていけば、うまくいくのではないかと思います。そこで私は、「にいがた未来塾」を主宰して30歳前後の若者を集め、街作りや創業なども含めてディスカッションする場を設けています。すでに、そこから何人か起業家が生まれていますよ。

財部:
なるほど。サッカーで各世代の日本代表選手が新潟から出てきたのと同じ構図の話が、ビジネスでも起こり始めているのですね。

池田:
まだ小さな事例にすぎませんが、地方都市での起業の特性として、たとえばインターネットによる物品販売など、いくつか黒字化した事業も出てきています。ビジネスのやり方やツボがわかり始めてきた若者が結構増えてきて、非常に面白いですね。

財部:
いずれにしても、グローバルにつながっていくのは本当に良いことです。正直な話、僕は多くの企業の経営者に「国内のマーケットが良いか悪いかというのは大きな問題ですが、それはそれとして、もっとわれわれが置かれている状況を深堀りするべきではないですか」と話しています。実際、隣を見れば、これだけ劇的に市場が拡大している東アジア地域がある。アメリカ人たちもヨーロッパ人たちも「日本がうらやましい」と言う。彼らになぜかと聞くと「隣に中国があるから」だと答えるわけです。

池田:
ははは。

財部:
それは当たり前の話であって、いま最も伸びている地域に、どういう形であってもリンクすべきだと思います。正直言いまして、全国を歩いていて、こういうグローバルな感覚を最も普通に持っているのが福岡です。それはやはり、地の利ということに尽きるのではないかと考えています。

池田:
地の利でしょうね。その点、誰しも新潟は「裏日本」だと思っていますが、地政学的にみると、新潟はロシアや北朝鮮に加え、いま最も伸びている中国東北3省に、日本海を介して非常に近い位置にあるのです。一方、日本の約4割の人口を占める首都圏のバックヤードとして横浜があるわけですが、最近、米国のシアトルやサンフランシスコから東アジア地域に来ている貨物船の多くが日本海ルートを通り、釜山を経由して大連港に寄港しています。となると、この地域で港湾設備などのインフラ整備がもっと進めば、あるいは30年後には横浜と新潟の地位が逆転するのではないか、いや、逆転させたいと私は思っているのです。

財部:
ほお。

池田:

かつて幕末には人口800人程度に過ぎなかった横浜村が、それから約140年経ったいま人口約370万人の横浜市になり、神奈川県の人口は900万人を超えるまでになりました。その一方で、明治時代に170万人を数えていた新潟県の人口は、現在約240万人にとどまっている。首都圏への人口の流出もずっと続いていました。加えて、先ほど財部さんがおっしゃっていた福岡県は、たしかに地政学的には東アジアとの交易に有利ですが、東京からはかなり遠いという事情もあります。

財部:
そうですね。それから、新潟県はロシアにも近いですしね。

池田:
はい。今年、極東ロシアのナホトカ近くの日本海沿岸に大規模な石油ターミナルが完成し、シベリア産の天然ガスを輸送するパイプラインをウラジオストクまで延長する工事も進んでいます。こうした中、日本、韓国、ロシア、中国の合弁で日本海横断フェリーの船会社が設立されました。極東ロシア−韓国−新潟間の三角航路が運休に追い込まれるなどの問題も抱えていますが、この航路が近いうちに整備されれば非常に面白い展開になるでしょう。そういう夢もありますが、いまはとにかく新潟経済をいかに活性化するかが大事だと思っています。

財部:
なるほど。本当に面白いお話ばかりでした。

池田:
いつ死んでしまうかわからないから、夢だけを見ているんですよ。

財部:
それとも関連するのですが、池田さんは、取材前にお送りしたアンケートに「『歎異抄』(たんにしょう)を読むことが、人間の本質を考える良い機会になる」と書かれています。僕は勉強不足で『歎異抄』を読んだことがなかったのですが、それはどういう意味ですか。

池田:
そうですね、人間にはさまざまな欲があります。その欲が現世でいろいろなものを生み、ある意味で人間は欲に囲まれながら、自分自身と闘っているのです。人間が欲をコントロールするという生き方はたしかに素晴らしいですが、時にはふと魔が差したりして、知らず知らずのうちに罪を犯すもの。ところが、罪を犯したことですぐに地獄に堕ちるのではない。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と『歎異抄』に書かれているように、すべての人間が持つ素直さを肯定しつつ、「善人が救われるのなら、悪人も救われて然るべきだ」というのが『歎異抄』の教えです。

財部:
ほお。

池田:
つまり「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えていれば、善人も悪人も等しく救われるはずだということで、広い意味での衆生の救済ですね。私は神道ではありますが、日本の仏教は神道と混合して独自の発展を遂げていますので…。

財部:
神仏習合という理解でいいわけですか。

池田:
おそらくそうだと思います。ベースの部分で、日本人がもともと持っていたものと融合し、仏教はその本来の姿からは変質しています。たとえば新潟辺りでは、家に神棚と仏壇の両方を置くのが普通でしたから。かつて日本では、誰しも「聖人君子を見習って修養に努めなさい」と教えられてきましたが、その道を外れてしまった人が全員悪で、阻害されるという考え方はおかしいのではないか、そういう人たちも等しく救われるはずだ、というのが『歎異抄』本来の教え。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は、「悪いことをしても救われる」という意味ではけっしてありません。

財部:
僕は、そのお話を聞いただけで少しほっとしました。聖人君主までとは言わないまでも、なるべく良く生きようと思ってはいるのですが。

池田:
しかし、表面的にはそう見えなくても、心の中で友人を裏切っているようなことは、日常茶飯事ではないですか。友人に向けてニコニコと微笑みながら、実は内心ジェラシーの塊だったりするというのは、よくあることです。でも、そういうことをいちいち悔やんでいると、生きることが非常に辛くなる。加えて、人間は誰しも本質部分で素直さを持っているのだから、それを大切にして生きましょうということなんです。その意味で、皆が救われるというのですから、いわば大衆救済思想ですよね。

財部:
そうですか。本日はどうもありがとうございました。

(2010年5月13日 東京都中央区 新潟総合学園東京本部にて/撮影 内田裕子)