学校法人新潟総合学園 総長 池田 弘 氏
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地方から、オールジャパンや世界を相手にする一流のビジネスを創造する

学校法人新潟総合学園
総長 池田 弘 氏

財部:
最初に、学究社の河端代表とはどういうご関係なのですか。

池田:
YPO(Young Presidents' organization)という経済人の集まりでご一緒させていただいてます。また学習塾業界の中でも、河端さんとは若い頃から面識がありました。YPOでは同じ業種のメンバーで、さまざまな場面で親しく話をしています。

財部:
そうですか。池田さんといえば、Jリーグ1部のアルビレックス新潟がなぜ成功したのかという話が数多く出てきます。でも僕が今回とくに伺いたいのは、地域のためにアルビレックスを作り、ここまで育て上げられたのは、池田さんご自身にとってどんな意味があるのかということです。

池田:
わかりました。私は本職として、神社の宮司をいまでもしています。そのお宮は新潟市の中心街にあり、私の幼い頃の記憶では、街は非常に華やかでした。でも時が経つにつれて街は衰退し、文字通りの「シャッター通り」になった。そこで、この街を自分なりの立場で何とかしなければと思い、学校事業を始めたのです。ところが、社会の大きな流れにはなかなか抗しきれず、店舗や施設がどんどん郊外に移転していったという感じですね。

財部:
地方の疲弊は、目を覆うような状態ですからね。

池田:
そういう中で私は、地方都市が衰退していくことに対して強い危機感を抱いていました。私どものお宮も学校もあるこの街を、何とか活性化したいと思い、さまざまなシンポジウムやイベントに参加して、いろいろと仕掛けてきたのですが、いまひとつインパクトに欠けていたのです。

財部:
そこに、2002年のワールドカップ開催という話が持ち上がってきたわけですね。 

池田:
ええ。「地元でスポーツの世界大会を開催できれば素晴らしい」、というところから入ったのですが、Jリーグに所属するプロのサッカーチームがなければ新潟への誘致は難しいということでした。そこで、プロのサッカーチームとはどういうものかを研究していくうちに、ヨーロッパでは地域のサッカーチームが、住民たちにとって1つの心の柱になっていることがわかりました。また日本でも鹿島アントラーズの成功例があり、新潟にもきっと可能性があるという期待の下に、チーム作りが始まったのです。

財部:
チーム作りの過程で、どんなことを意識されたのですか。

池田:
「おらがチーム」という関わり方をしなければ、この仕事は成功しないということです。要するに、マーケティング趣向のエンターテイメントという視点だけでチームを作っても、結局は失敗するのです。ヨーロッパでは100年以上をかけて、住民との関わりの中でチームを育ててきたことを考えると、非常に短い時間ですが、地域の住民とチームとの良い関係をどう作り上げていくかということに一番力を入れました。

財部:
なるほど。

池田:
今にしてみれば、老若男女も地位のある人たちも、自治体の皆さんも、「新潟、新潟、アルビレックス!」と大きな声を出してチームを応援してくださる姿は圧巻です。県内各地から足を運んでいただいたファミリーが、満員のスタジアムを作り上げていく様子は、非常に感動的ですね。

財部:
まさに絵に描いたようなサクセスストーリーですよね。アルビレックスを地元に根付かせ、サッカーを通じて地域の活性化をしていくという点では、見事に成功を収められたと思います。そこで発揮された池田さんのリーダーシップは、一体どのようにして形作られてきたのでしょうか。

池田:
まずは、長男である私がお宮を継ぐという選択をしたことが、1つの大きな壁でした。というのも、お宮が衰退していく中で、それだけでは生活が非常に苦しくなっていたのです。ひところに比べて新潟島と呼ばれる新潟市中心部の人口が2分の1以下に減少した結果、氏子さんの数も減り、父と祖父は細々と生活しているような状態でした。

財部:
新潟の経済とともに、お宮も衰退していったのですね。

池田:
はい。それこそ街の成り立ちとともに、約1000年も前からお宮があるわけです。その宮司として、私は18代目になりますが、「お宮に入ると決めたからには、一生をこの街で過ごしていこう」という思いがありました。「その中で、自分はどう立ち上がっていくのか」と考え、選択したのが事業家だったわけです。

地域の活性化に役立たなければ、自らの生きる道はない

池田:
学校事業を行っていくうえでは、地域における住民や若者の数が大きなポイントになり、またお宮の経営自体が、氏子さんをどう維持・拡大していくのかというテーマとは、切っても切り離せない関係にあるのです。となると、ある意味で、街の活性化をお手伝いしない限り、自分自身の生き様もないということになります。

財部:
やはり、宮司という立場上、地域との密着性や社会性が大切になるのですね。

池田:
そもそも、地域の活性化や、この場所に住む人々の幸せに資することが神職の務めですから、私の思索が深いとか立派だということではありません。お宮という場所でいかに神主を継いでいくかが私自身のテーマであり、それを突き詰めていった結果、こうなったと考えていただければ幸いです。

財部:
宮司の家で育つことによって、小さい頃からそう仕込まれていくものなのですか?

池田:
そうですね。物心ついた時からお札を配ったり、父と一緒か私1人で氏子さんの家一軒一軒を訪ね、人の形に似せた紙の人形を配って「お参りに来てください」とお願いに回りました。また、お正月には浄火(じょうか)の番をしながら、多くの人たちがお参りに来るのを眺めていました。中学生の頃までは、お参りに見えた方々が、祖父に人生相談をしていたのを見かけたものです。

財部:
そういうものですか。その時点では、ご自身の進路について、どう考えていらっしゃったのでしょうか。「このお宮を自分が継いでいくんだ」と積極的に思われたのか、あるいは「本当に大丈夫なのか」と心配に思われたのか…。

池田:
もう自分で決めましたから、その時に少しぐらい波乱が起こっても、気持ちが揺らぐことはなかったと思います。ただし父には、神主の資格を取って後を継げるようにしたあと、25歳までは好きなことをさせてくれとお願いしました。それでアルバイトなどをしながら25歳で家に帰り、27歳の時に、2軒あるお宮の1つを継いで、そこを母体にして学校事業を始めたのです。ところが、とくに父は、学校事業については猛反対でした。「ベンチャーなんていう無茶なことはやめろ」という感じで、激しく抵抗されましたね。

財部:
そうなんですか。

池田:
その時、父が「まだ駐車場をやった方が、月々の収入が入ってくるからいいぞ」と言ったのを、いまだに覚えています。でも校舎を建てるにしても、私の個人保証だけでは不十分で、父にも預金や個人保証をしてもらわなければ無理でしたから、父の説得はとても大きな壁でした。私自身、父の顔を見ているうちに、「これはとても潰せない。事業に失敗したら、せっかく細々とお宮をやってきて貯めたお金を取り上げられ、一家離散するかもしれない」と思ったものです。でも、息子がやるんだから仕方がないということで、父は最終的に保証してくれました。

財部:
今回、資料やご著書をいろいろ拝見しましたが、意外とその辺の事情が語られていませんでしたね。

池田:
そうですか、お金は全然なかったですよ(笑)。

財部:
池田さんはそこでベンチャーを立ち上げられたわけですが、最初は相当抵抗があったのですね。

池田:
周囲に大変反対されました。でも氏子さんに女性の経営者がいらっしゃいまして、その方が支援に回ってくれたのです。父を始め、周囲の人を説得していただきました。

財部:
池田さんがベンチャーとして第一歩を踏み出した事業は、学校法人でした。経営は、当初の予定通りうまくいったのでしょうか。

池田:
宗教法人の一部事業として、1977年に新潟総合学院を開校しましたが、たとえば売上高については、当初の事業計画以上に順調でした。学習塾も社会人クラスも、順調に学生数が増えていきました。損益計算書や貸借対照表を一応はきちんとつけていましたが、お金が入ってきたらすぐに出て行くというような状態。しかも事業が急激に伸びたので、少し計画が狂うと、設備投資に必要なお金が何千万円という単位で足りなくなることも。先行投資が重なり、キャッシュフローが厳しくなっていくのには、非常に苦労しました。

財部:
事業計画ないし資金計画は本当に苦労するものですね。それにしても、池田さんはこれまでのさまざまな取り組みを通じて、若い人たちに熱いメッセージを送られてきましたが、そういうご自身の体験が広く共感を呼んでいるのでしょう。

池田:
自分自身が手がけて、いくら考え抜いても、世の中には予測できない事態が数多くあり、考えの及ばないことも山ほどあります。それでもやはり、前に進むしかない。夢を持って進めば必ず壁が出てきます。だから、それを乗り越える力や意志が必要なのであって、それも自分で実際にやってみなければ身に付かない、ということなのでしょう。

財部:
その通りですね。

池田:
ただしその際、自分がやりたいことをある程度、事業計画書の水準に落とし込めるだけの論理性は必要です。だから、あまりにも無謀な仮説を立てては駄目なのですが、現実の経営においては、そういう論理性を超えるファクターが出てくるのが常。それを乗り越えるベースになるのが、経営者本人の思いだと私は考えています。

財部:
なるほど。

池田:
その思いも、最初はそれほど強くなく、ぼんやりとしていることが多いのですが、本質的な部分については、本人のエネルギーが満ちあふれていることが大事。経営の現場で、思いが徐々に明確に形取られていくうちに、失敗や逆境があってもそれを乗り越え、自分の経験として活かすことができるようになります。その点、私はいろいろと経験させていただいて、「乗り越える」ことがどういうものかを体験しているので、少しばかりでも経営のお手伝いができると思っています。