財部:
2008年秋のリーマンショックで世界経済全体が落ち込み、素材メーカーも当然ダメージを被りました。炭素繊維も需要が半減するだろうという試算でした。その中で2008年末、榊原社長はメディアに向けて、「踊り場は確かに来るだろうが、それを越えれば大きな成長に戻る」と発言されていました。ここまで確信をもった発言は非常に珍しいですね。
榊原:
私は、日本が悲観する理由はまったくないと思っているのです。もちろん当社も2008年の秋以降は非常に厳しい状態におかれています。しかし、これはアメリカの金融危機が原因であって日本発の不況ではありませんし、日本企業の競争力が落ち込んだ結果でもありません。弊社も炭素繊維の受注が半分になりました。しかし炭素繊維は21世紀の基幹材料として必ず伸びていくという自信があります。具体的な需要を説明しますと、ボーイング787という飛行機が先日ファーストフライトを成功させました。この機の構造材には炭素繊維複合材料が使用されていて、東レが唯一の認定を受けて供給する予定です。しかも長期の供給契約ですので、商業生産が始まれば当社の炭素繊維複合材料がボーイング社に供給され続けるわけです。そうした底上げというものが見えているのです。
財部:
省エネというトレンドはこれからも変わりようがありません。将来の飛行機は炭素繊維による軽量化が主流になっていくのでしょうね。
榊原:
その他にも、大型風力発電設備のブレードや天然ガス自動車の高圧燃料容器など環境分野の伸びも炭素繊維で期待しています。また、太陽電池パネルやリチウムイオン電池などの環境関連分野ではフィルム材料技術が活躍します。大きな事業領域を見通せば、情報・通信材料事業やライフサイエンス分野の成長のタネが見えています。そういうモノがすでに手元にありますので、あとは、どういうスケジュールで立ち上がっていくのか、ということです。今は不景気で需要が落ち込んでいますが、東レの中には成長材料がたくさんあります。だから、不況を乗り越えれば必ず成長軌道に戻していけると思っています。
財部:
世界経済が動きだして需要が回復してきたときには、すぐに製品を提供できる体制にある。あとは、今をどうやって凌ぐかですね。
榊原:
はい。社員には危機感を共有してもらっています。リーマンショックの直前、全社の緊急対策体制を立ち上げました。今次の経済危機を乗り切るため、2009年4月には、2年間の中期経営課題を打ち出しました。社員には、「2年間、世界経済危機を乗り越えるために痛みを伴う改革を行うが、我慢してくれ」「そのための課題を着実に実行すれば、2年後には東レは必ず立ち直る」とメッセージを出しました。今、ちょうど1年が過ぎようとしているのですが、予測した通りの回復軌道に乗ってきています。私は自分の会社が良い形で進んでいるという実感がありますし、日本経済全体も浮上しつつあると信じています。
財部:
自社の対応で確かな実績を積み上げているからこそ、前向きな発言ができるわけですね。
榊原:
もちろん不安要素はあります。デフレや雇用不安、輸出企業にとっては為替問題など。化学系企業は原油価格の動向も無視できません。民主党新政権には、政治的な不安を払拭するようしっかりやってもらいたいと思いますね。しかし、不安要素ばかり見ていたのでは前に進めません。日本にはイノベーションを続ける力があるのですから。
財部:
本当にそうであってもらいたいですが。
榊原:
「総合科学技術会議」という日本の科学技術政策を策定する会議があります。その議員をしているのですが、これは日本の戦略を方向付けする重要な機関です。ここで議論し、新たに打ち出した「世界最先端研究プログラム」には総額1500億円の予算がついていまして、研究テーマ1件あたり数十億円ぐらい研究費を出すことにしています。日本中の大学、企業などから最先端の研究テーマが寄せられまして、500件ほどの応募を100件に絞って、大学教授や企業の研究者に直接発表してもらうのです。私も審査員として100件の発表すべて聞きましたが、どれもノーベル賞級の研究です。そういう世界最先端の研究が日本で行われていることを目の当たりにして、改めて日本の底力を感じています。
財部:
研究開発ではどうやってもアメリカに敵わないという印象がありますが、日本でも世界をリードできる最先端の研究がしっかりと行なわれているのですか。
榊原:
そうです。最終的には30件を選んだわけですが、これらが日本の成長をリードしていくと感じました。科学技術で新しいイノベーションをおこす。これが日本の成長の源泉になっていくわけです。新しい技術や新しい事業を企業が生み出す。輸出をして外貨を獲得して資源や食料を買う。そうやって経済成長を実現していく。これが日本の基本的な国家としてのあり方なのです。中国が凄い、インドが凄いと言っても、最先端技術は簡単には出てきません。日本の技術の蓄積には簡単には追いつけないと思います。これは空威張りで言っているんではありません(笑)。日本は得意分野をさらに伸ばしていく必要があると思います。
財部:
私もまったくその通りだと思います。東レさんは素材産業という特殊性があって競争力を持っていると思います。しかし、家電や自動車産業を見ると、技術力が本当に競争力や収益力になっているのかというと、実はわからないところがあります。
榊原:
まず素材メーカーの視点から見ますと、テレビやパソコンのフラットパネルディスプレイは、日系企業が相当頑張っていますが、完成品では韓国勢が圧倒的に強くて、そのあとに台湾勢が続きます。世界シェアで見ますと彼らが圧倒的に高いのですが、そこに供給している素材はほとんどが日本製品なのです。素材メーカーの価格競争は激しいのですが、いろいろなお客さまに広く買ってもらえるという特徴があります。しかも素材は開発に非常に時間がかかりますので、中国勢や韓国勢に革新的素材の供給はできない。やろうと思っても日本から買った方が早いということになります。
財部:
なるほど。競争力がありますね。
榊原:
メーカーの技術について言いますと、サムスンさんの40インチの液晶テレビやプラズマディスプレイは2年ほど前には30万円から40万円でしたが、今はもう20万円程度です。なぜそんなに価格が下がるのかと思いますが、彼らは人件費の安いところで作って、常に一定の利潤が得られるようにしています。一方、これまでの日本勢は、日本国内で造っているので価格では太刀打ちできません。だから、彼らが注力するのは新しい商品の開発です。たとえば、50インチ以上のパネルは技術的なハードルが高い。特に高解像度、ハイレゾリューションプラズマテレビは技術力の難度が高く、韓国勢、台湾勢が追いつけない。これは日本の独壇場で、値段も55万円から60万円と下がっていません。収益性も高いのです。日本メーカーは頂点のところでしっかり利潤を確保し、マスのところの製品スタンダードをリードして、トータルで利益を出そうという戦略でやっている。素材も製造業も日本が勝って行くためには、絶えず新しいものを出し続けていくことに尽きると思います。
その国の発展のために技術を使うのが東レのフィロソフィー
財部:
東レの資料を読んでいたとき、日韓のシンポジウムで榊原社長が基調講演をされていました。読んでいて驚いたのは、サムスンさんはその昔は繊維メーカーで、東レが技術供与したことで生き延びて今に至っているという話がありました。私は昔、日本企業の韓国進出ブームを取材したことがあります。日本は集中豪雨のように出ていきましたが、その時代は労働争議が大変でみんな逃げて帰ってきた。そのような状況の中で、東レはメリットがあると思えなかった時代からずっと残ってやり続けた。その結果が今の時代に生きているという印象がありました。
榊原:
これは東レの経営フィロソフィーです。韓国の事業も全く平穏無事でずっと幸せだったいうわけではないのです。いろいろありましたが、一番大切なのは長期的な視点で事業を根付かせていくことだと思います。
財部:
具体的にどのような視点でしょうか。
榊原:
やはりその国の経済発展に貢献するという視点がないとだめですね。でも、それが必ず利益に結びつくというフィロソフィーが東レにはあったということです。事業戦略が正しければ、利益は必ず出るのです。ただし利益は長期的な視点の中にあるのです。技術に関しても、この技術は教える、教えないということではなく、技術でも韓国の発展や人材育成に寄与する。そういう姿勢でいますから、結果的にはその国から評価され、しっかり利益に結びついてくるわけです。長期的な視点、貢献するという視点。先人が作ってくれたフィロソフィーを私も引き継いでいます。
財部:
なるほど。
榊原:
それから2番目は、韓国というのは財閥企業が国の経済を牽引してきたという事実です。提携している財閥系企業のトップと弊社トップが非常に強力な信頼関係を築きあげています。韓国はトップダウンですから、問題が起きてもほとんどがトップ同士の信頼関係で解決できるのです。もうひとつ大事なことは、経営は現地の韓国人経営者に任せて、細かい事に口を出しません。工場の管理、運営は指導しますが、オペレーションは任せます。そして、多くの日本企業が失敗しているのが組合問題です。東レも労働争議はゼロではなかったのですが、深刻な労働争議は一度も経験していません。なぜかと言うと、経営者と労働者は敵対関係ではなく、運命を共にするカウンターパートナーであるということを理解してもらい、経営情報を的確に開示してきました。アメリカのように経営者だけが高給をもらって労働者は薄給で富を取り合うという文化ではなく、みんなで富を大きくしていこうという点は日本と共通です。だから利益が大きくなれば分配も大きくするという経営側の考えを明確にすることで信頼関係が生まれます。韓国の事業は40数年の歴史がありますが、今、どの会社も非常にハッピーです。韓国の東レグループ6社すべてが利益を出していますし、東レセハンという会社は、東レの関係会社240社のうちもっとも利益を上げている会社です。
財部:
それはすごい成果ですね。
榊原:
こうしたフィロソフィーこそ、東レの財産だと思っています。
財部:
なるほど。しかし経営者には任期があります。いろいろな経営者を見てきましたが、経営者になれば、やはり自らが達成したい目標ができるものです。自分の任期中に業績が回復する、利益を出す、配当を上げる。経営人の欲求として、本能としてあると思います。
榊原:
そうですね。