「不完全」を許容する新世界が日本には必要だ
フューチャーアーキテクト株式会社代表取締役会長CEO 金丸 恭文 氏
ITバブルの張本人は「真面目組」
財部:
紹介者であります、ザ・アールの奥谷さんとはどういうご関係ですか。
金丸:
経済同友会の仲間です。今回のお話もそうなのですが、いろいろな場面で奥谷さんからはご指名いただいていまして、公私で良いお付き合いをさせていただいています。
財部:
そうですか。
金丸:
ところで、政権交代が起こって日本はどうなるんでしょうかね。
財部:
民主党圧勝でしたからね。
金丸:
経済界には厳しい状況ですよね。
財部:
「脱官僚」への期待感が膨らむと同時に、「脱グローバル」の弊害が起こる心配がありますよね。グローバルな成長戦略が脱落したまま、徳政令的なバラマキによる内需喚起だけで経済成長をはかろうというのはあまりにも現実味が乏しいですよ。
金丸:
そうですか。期待が大きいぶん、失望も大きくならないように、と思いますが。
財部:
民主党政権がマニフェストをそのまま実行したら、日本の製造業は海外に出て行かざるを得なくなってしまいますからね。製造業への派遣禁止、CO2削減目標を2020年までに90年比25%とするなど、企業からみると海外へ出て行けといわんばかりですね。
金丸:
以前、うちの外国人の株主に、「なぜ本社が東京なのか説明しろ」って言われてびっくりした覚えがあります。「マーケットが東京にあるからだ」と応えたのですが、「それなら東京に来ればいいじゃないか」と言われました。金融界の常識で言うと、アジアの都市ではシンガポールが一番、香港が二番。「なぜ東京なのか考えたことがなかった」などと言うと、アナリストに馬鹿にされるので、言えませんでしたけどね。やはりショックでした。
財部:
1、2年は混乱するんでしょうね。もっとも私たちが政権交代を望んだのだから、それに伴う混乱も甘受するほかありませんよね。
金丸:
そうですかね。
財部:
金丸さんの会社は、最先端の仕事をされています。環境変化に対応するために、多くの会社が金丸さんに助けを求めて来る。そういうITの最前線の立場から見て、日本社会がどのように変化してきたのかをお伺いしたいと思っています。
金丸:
私はちょうどマイクロソフトのビル・ゲイツと同じ世代なのですが、IT業界の長老グループなんです(笑)。ビル・ゲイツはこの前引退しましたし、アップルのスティーブ・ジョブズは病を抱えながら頑張っている。人物的にも非常に面白い世代なのです。でも、ここは「まじめ組」なんです。要は、ITで真面目にビジネスを起こしたグループです。
財部:
なるほど。
金丸:
ものごとに大と小があるとします。普通は大がいいね、となりますが、コンピューターの世界は途中から大より小のほうに付加価値が高くなる可能性を多くの人が感じました。だからマイクロソフトは、「超小さいソフト」なんです。でも、当初、マイクロソフトの人が名刺を出したら、「なにこれ」と(笑)。ビックソフトなら「おお凄い」となるけど、マイクロソフト?何?って。エンジンも「マイクロ」プロセッサーですよね。
財部:
言葉通りに受け止めるとそうなりますね(笑)
金丸:
このようにコンピューター業界が大と小に分かれたとき、僕は偶然か必然か、小の世界にいたんです。僕は1989年のバブルの頂点で会社をつくりましたが、「大きいもの程、価値がある」、というムード全盛の中で"小さな会社"を作りました。11月28日に設立したのですが、折しもベルリンの壁が崩壊した直後でした。テレビニュースを見ながら、「ベルリンの壁も壊れるのだから、超巨大コンピューターの帝国も崩れ去るかもしれない」と勇気付けられました。
財部:
ほお。
金丸:
当時、日経平均株価は3万9千円をつけて、いつ5万円になるかと言われていました。時がみかたしてくれていると喜んでいたら、年明け早々株価は急落。すぐに戻るものだと思っていたら、二度と戻りませんでした。
財部:
そうでしたね。
金丸:
そんな状況で会社をスタートさせていますから、まったく仕事がなかった。さらに、当時のような右肩上がりの経済で、お客さんはまず、会社の実績を聞きます。当然、出来たばかりの会社に実績などありません。正直に「ない」と答えると、「会社の稟議書に『実績なし』って書いて出すわけにはいかないから発注は無理」と。当時、会社は2人でやっていて、資本金は父親に借りた1千万円だけ。周りから「それでなにができるの」と呆れられて、お客さんからはまったく相手にされなかったんです。
財部:
日本は実績主義、前例主義ですからね。
金丸:
はい。でもこれからは、右肩上がりの経済でつくった実績は通用しなくなる。新しい人達にとってはいい時代になっていくと思いますよ。
財部:
そうなっていかなければダメですよね。
金丸:
我々が持っているのは小さな技術ですが、有効活用すれば、企業経営において競争優位性が高まるメカニズムを作り上げることができます。当初、会社をアピールする際に、例えば、株式はどこの証券会社で売っても同じだけど、コンビニなどは、同じおにぎりを売るにしても、利益がいくら残るかを厳密に出すためにはメカニズムがなければ難しい。メカニズムをかえていくには「新しい軍師」が必要です。例えば、鉄砲が伝来した時点で、槍や刀で戦う時代は終わりです。軍師は新しい武器に詳しくなければいけません。我々は新しい武器に詳しい軍師です、と。こう訴えて回ったのです。でも、5年間くらいまともな注文はなかった。(笑)
財部:
最初はずいぶん苦労されたのですね。よく会社が持ちましたね。
金丸:
厳しいときに新日本石油の渡会長が部長の時に、大きな注文をくれました。不景気な時代をそれで凌ぎました。あの方は根っからの挑戦者です。まあ、そういう方でなければフューチャーに注文はくれないのですがね(笑)
財部:
そうだったのですか。
金丸:
当時はITの技術自体が発展途上の時代でした。僕らも様々な制約の中でなんとか設計していたのですが、そのうち、マイクロソフト、インテルの技術が格段に伸びてきた。ウィンドウズ95とか、インターネットが出てきて、同時に我が社も知られるようになっていきました。それでずいぶん仕事がしやすくなり、業務を拡大することができました。
財部:
金丸さんの会社が成長できたのは、マイクロソフトやインテルのおかげなんですか(笑)。
金丸:
それで、いよいよ上場の準備に入ろう、というときに、97年の金融危機がやってきた。でも、じつは我が社は絶好調だったのです。不景気の時は、企業のIT予算は潤沢にありません。でも、やることはいっぱいある。初めてシステム担当者が、ハイテクを駆使して、安くて良いものを構築しないといけない、と思ってくれたのです。
財部:
コスト削減ブームの中で、金丸さんのやろうとしていることの価値がようやく理解されるようになった。
金丸:
はい。それまでは企業の成長に合わせて、IT予算も年率5%増など普通だったので、そこまでイノベーションが要求されなかったんです。
財部:
金融危機で大きく変わった。
金丸:
そうです。我が社にとってはよかったですよね。
財部:
そこから、IT銘柄の最有力として市場でも注目されていったのですね。
金丸:
我々は株価の安い時に上場したほうが良いと本気で思っていました。従業員の持ち株会にも良いし、自分も楽しみを後に残せる。投資家にとってもそれが良いと思っていたのですが、結果的には株価は3,350万円とかなり高額になってしまいました。それで、ITバブルをつくった張本人と言われてしまった。自分達にはそんなつもりはまったくなかったのですが。(笑)
財部:
なるほど、金丸さんがITバブルの張本人だったのですね(笑)
金丸:
いやいや、うちは真面目系なんですよ(笑)。実業で上場して、持っている技術を評価してもらったと思っています。でも、その後のネット系の会社が当社の成功を見て、次々と上場したんです。それで株価はずいぶんバブルになっていった。その象徴がライブドアです。
財部:
僕は当時から、堀江さんの経営者としての考え方や、社会に対する姿勢に対して、否定的なことを書いてきました。でも、それに対してネット経由での反論がものすごかった(笑)。「そんなこと言って株価が下がったら責任取れ」と。彼には熱狂的なファンがついていましたが、結局、株はゼロになってしまいましたね。
「完全主義」から「不完全」を許容する社会へ
金丸:
先日、ある組織の管理者セミナーでネクストソサエティはどうなるかという議論と、その際の経営者の条件はなにか、という講演をしたのですが、これからは試行錯誤の時代が続くという話をしました。
財部:
ほう。
金丸:
日本人はこれまで「完全主義者」で、仕事をする際には「減点主義」でした。しかし、今後はそんな余裕がなくなると思うのです。そこで、完全主義からの脱却が求められる。
財部:
不完全をいかに受け入れられるか、ですね。
金丸:
そうです。暫定的な時代。何がどうなるかわからない時代です。もちろんトライ&エラーで良くないこともおきると思うのですが、それも試行錯誤の一環だと思ってやらないと、競争についていけない危険性があります。
財部:
少し前までは、日本人の「完全主義」は競争力そのものでした。