TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

川内村、復興の裏に“天山”あり

はかり知れぬおおらかな人柄にはまった。川内村の井手茂商工会長だ。
2011年の福島第一原発事故で全村民が避難したが、川内村は双葉郡のなかでは最も早く避難指示が解除されたこともあるが、復興がずば抜けて進んでいる。
震災前3,000人いた村民数が現在2,000人超。東電と国に憎悪を抱くのは当然だが、井手さんは違っていた。商工会も壊滅的な打撃を被ったが、早々に、憎しみの沼から這いあがり、仲間に向かってこういった。 「第1、第2原発のおかげで村の男たちは出稼ぎにいかずにすんだじゃないか。東電批判を続けているだけでは村の未来はない」 井手さんは一時帰宅する村民や除染従事者のために、経営する小松屋旅館と蕎麦屋酒房天山を2011年8月に再開。
天山には昼食をとりにくる東電社員もやってきた。彼らは人目を気にして東電の作業服を駐車場で脱いでから店に入ってきていた。それを見た井手さんは「店の敷居をまたいだらお客さんを差別することはしないし、それは他のお客さんも誰も文句を言わないよ」と声をかけた。 それは亡き母からの商売の教えだった。
「商売の鉄則は、革靴履いてるお客さんが来ようが、長靴履いてるお客さんがこようが、サンダル履いてるお客さんが来ようが、敷居をまたいだら同じお客さんだ」
川内村商工会の会員数は、震災前の94から増加して、いまは111から114で推移しているという。多くの人たちの支援、応援があってのことだが、商工会長の器抜きに川内村は語れない。
天山の十割蕎麦は絶品だった。