まことにありがたいのだが、いっこうに届かない定額給付金10万円。そこで露見したのが「マイナンバーカード」の使えない実態です。デジタルシフトの時代にかくもお粗末なカードになってしまったのでしょうか?
「日本の場合、公的なものはすべてを官で設計し、官で仕様を作成した上で、民へ発注するという悪い癖がある。官が設計する場合、新しいものを取り入れることはリスクと考え、無難なものに終始する。また、官には、ITに関して詳しい専門家が非常に少ない上に、アドバイスする立場の人間は、最新のテクノロジーとはほど遠く、口は出せても手を動かせない人が多い」
メディアスケッチ代表取締役(兼サイバー大学専任講師)の伊本貴士氏の発言です。さらに伊本氏は対極としてエストニアの事例をあげています。小国だからこそ実現できていると思いますが、世界一のデジタル先進国といわれるエストニアの仕組みづくりは大いに参考になります。
「エストニアでは、何か新しいことをするときには、そのための民間企業を設立させて優秀なものを国の仕組みとして取り込むか、国家プロジェクトに優秀なベンチャー企業やエンジニアを設計段階から参画させる。その結果、高度な暗号化技術やブロックチェーン、データベース間連携など最新のテクノロジーを短期間で導入して、非常に合理的な仕組みを構築することができた」
いま国会では経産省の持続化給付金事業を民間に丸投げしたことが大問題になっていますが、民のチカラを使うことは大いにやるべきですが、その手法がデタラメです。日頃は聞くに値しない政府批判ばかりを繰り返してきた野党の政府批判も、今回ばかりは多くの国民の共感を得ていると思われます。一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」は電通が直接受託回避のために作ったダミーであることは間違いないでしょう。トンネル会社ならぬトンネル社団法人です。769億円もの巨額事業を受託し、その97%を電通に丸投げ、そこから電通の子会社5社に再委託し、そのうち4社はパソナ、大日本印刷、トランスコスモス、TOW(テーオーダブリュー)へと再々委託。さらに大日本印刷はDNPデータテクノに再々々委託していたことまで明らかになっています。
給付のスピードと事業規模の大きさを考慮してのこととはいえ「電通利権」丸出しのひどい構造です。しかし私がいま問題視しているのは行政の民間企業への向き合い方なのです。
給付事業はイベントではありません。電通自身にはなんの専門性もなく、再委託された子会社も5社中4社はらち外の会社で、中間マージンを搾取するだけの存在にしか見えません。要するに合理的に“民間”を使い切るという発想がないことが問題なのです。電通のキックバックや接待攻勢もあるのかもしれませんが、それ以上に前例踏襲、実績主義という霞が関の文化が給付金疑惑の問題の本質なのです。
エストニアの制度設計思想はそれとは真逆です。国家プロジェクト起ち上げる際、政府は優秀なベンチャー企業やエンジニアを設計段階から参画させて、高度な暗号化技術やAPI連携など最新のテクノロジーを駆使して、短期間で合理的な仕組みを構築しています。オールドな既得権者が幅をきかせる日本とは大違いです。
しかしコロナショックは民間だけではなく霞が関の行動変容も促しつつあるようです。
じつは国交省では300万人ほどの建設技能者(いわゆる職人)の登録とデータ管理システムを構築し、工事現場での経験が自動的にデータベース化しようという取り組みが始まっています。「建設キャリアアップシステム」と呼ばれるこのシステムが完成すれば、建設現場を転々とする建設労働者がその経験値を客観的に証明できるようになります。そして一定以上の経験を積めばゴールドカードが交付され、技術レベルや年収がある程度保証される仕組みができあがります。国交省はその中心にマイナンバーカードを持ってこようとしているのです。
「キャリアアップシステムはマイナンバーカードと連携すべく予算措置を進めようとしています。マイナンバーカードというしっかりした身分証明カードが中核にあるので、それを基本に周辺にいろいろなサービスを結び付けて一枚のカードでできるだけいろいろな用途を一括で足りるようにしていこうと政府全体で動き出しています」
国交省の幹部はコロナが行政のデジタルシフトを加速しているものの、肝心かなめの総務省に問題があると言います。
「マイナンバーカードを所管している総務省がカード自体は普及させたい一方で、非常にセキュリティ重視なので、多用途とリンクさせる際に相当高いハードルを設定しようとします。そのために様々な行政サービスを連携すると口では言っても実現できないのではないのではないかと心配しています」
これがマイナンバーカードの現実なのです。銀行口座や健康保険証との連携から国交省のキャリアアップシステムまで、幅広い連携に実現は魅力的な行政サービスの提供につながります。何事であれ、ゼロリスクはありません。「角を矯めて牛を殺す」ことにならぬようにしてもらいたいものです。