高齢者を食いものにした悪質な保険販売の責任をとり、日本郵政グループ3社のトップが辞任した。だが民間出身の3人を辞任させただけで事足りるなんて話ではない。
なぜならこの醜悪な事件の淵源は小泉元首相が執着した「郵政民営化」の安直さだ。小泉元首相は民営化自体が目的化してしまい、民営化後のことなど何の関心もなかった。
また「郵政民営化」は米国の金融商品を郵貯マネーに買わせたい米国政府の強烈な要求でもあった。
そんなことも知らず「郵政民営化、賛成か反対か」という小泉劇場にマスコミは大騒ぎして、有権者は熱狂し、どう民営化するのかになど、なんの関心も払わなかった。そのツケが今、まわってきたのである。
貯金や保険と切り離しで、郵便事業がやっていけるはずがない。事実、先行して郵政民営化したドイチェ・ポストがその失敗を認めて、郵便事業と貯金事業を再統合していたからだ。
さらに言えば、日本に郵政民営化を求めた米国は今だに郵便事業は国営のまま。民営化していない。
郵便、貯金、保険を分離した小泉政権の民営化が、いかに愚かだったかがわかる。つまり日本郵便は普通の事をしていたら絶対に成り立たないことがわかっていたのた。
だから全国のグルメ産品からドラッグストアが扱う商品まで、売れるものはなんでも売った。それらにはみな厳しいノルマが課せられた。保険販売もその延長だ。つまり小泉政権の行った郵政民営化スキームそれ自体が欠陥構造だったのである。
さらに事態を深刻にさせているのは、日本郵政グループの実質的な支配者は総務省(元郵政省)であるということだ。民営化後、グループ各社のトップの顔は民間人がほとんどだったが、20万人を超える社員の多くは民営化前、郵政の公務員だった人たちである。つまり民営化されたとはいえ、実態は旧郵政省一家なのだ。民営化絶対反対の彼らは、名を捨てて実をとったのだ。
民営化されても実質支配すれば良い。だから頭だけ民間人にして、首から下は旧郵政省のままにしておくのが次善の策だと考えたのだ。
今回の悪質保険販売は間違えた民営化の結果なのだが、それが表沙汰になった時には、民間出身社長のクビを切れば良いという総務官僚(旧郵政官僚)の思惑通りだ。
3社長辞任後、日本郵政社長には増田元総務大臣、日本郵便とかんぽ生命の社長には元郵政官僚が就任するという。これで名実ともに総務省(元郵政省)支配の確立だ。
どこが民営化だ?
日本中が熱狂した小泉劇場の成れの果てである。