TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

双葉町、ゴーストタウン12年からの復興

2月に続き福島の被災地を訪ねてきた。福島第一原発やその周辺に広がる中間貯蔵施設など、やはり自分の目で見ないと本当のところはわからない。
訪ねるほどに「復興」とは何なのかを考えさせられる。原発事故後、最も避難解除が遅かった双葉町。伊澤町長の話には胸をうたれた。川内村や楢葉町は、人口が震災前の6割以上に戻り、まだまだ復興途上とは言え、人の営みが垣間見られる。しかし2年前にようやく避難解除が始まった双葉町の事情はまるで違う。震災前7,140人だった町民のうち帰還した町民はわずか105人。11年5ヶ月もの間、ゴースタウンと化していた双葉町の復興は尋常ではない。県外、町外に住む町民の意識調査によれば「帰らない」が6割と過半数。「帰りたい」と「わからない」が2割前後ずつ。果たして双葉町が存続することにどれほどの意味があるのだろうか。また存続するためにはどんな方策かあるのか。双葉町の伊澤町長は「まったく新しい町を創る」と言い切る。先行して復興しつつある被災町村とは違うことをしなければ、双葉町に未来はないと考えている。
災害復興住宅ひとつとってもワンパターンの標準モデルではなく、国の規制を突破するアイデアで、景観や造り込みがまるで違うものに仕上がっている。双葉町は「土間」は住宅宅面積の規制対象ではないことに気づいた。災害復興住宅に6畳の土間を置き、吹き抜けにすることでゆったり感を確保したという。だが問題は単純ではなく
「新しい双葉町には断固反対」の県外町民も多いという。
「神社や祭りなどの文化は残すが、企業誘致や移住の視点からは新しい魅力を作らなければ双葉町に未来はない」(伊澤町長)
福島原発事故の被災地は一様に語れない。複雑な要素が迷路のように入り組んでいる。
(写真は2月に車窓から撮った双葉町の災害復興住宅)