G&S Global Advisors Inc. 代表取締役 社長 橘・フクシマ・咲江 氏

「経営のプロ」に対する認識が10年遅かった

財部:
今日お伺いする際に、これをお聞きしたいと思っていたテーマがありまして。日本でも最近やっと、経営のプロフェッショナリズムに対する社会的なコンセンサスができてきたのではないでしょうか。リクシルの藤森義明社長、ベネッセホールディングスは、日本マクドナルドの原田泳幸さんが社長になりした。資生堂の魚谷雅彦取締役社長も、同社が戦後初めて外部から招いた社長です。ローソンも本来なら三菱商事が社長を出したかったはずで、ポスト新浪は商事出身者だろうという意見もあったと思うのです。ところが、やはり新浪さん(新浪剛史会長)は玉塚さん(玉塚元一社長)を出しました。新浪さんのお話しを聞いていると、彼もプロの経営者の道を進んで行くのだろうと思いますが、こういう流れはフクシマさんからはどのように見えるのでしょうか。

フクシマ:
遅かったなあと思います。2000年に著書の『売れる人材』を出した頃から、私はプロフェッショナルの定義をしているのです。専門性を縦軸に、マネジメントを横軸にしてマトリックスを書くのですが、会社に入って専門性を高めればスペシャリストになることができ、その一方で、日本の組織では様々な部署をローテーションさせて(マネジメント力を学ばせ)ゼネラリストを作ります。この両方を持っている人を、私はプロフェッショナルと定義しています。板前さんの例で言うと、まさに包丁1本をさらしに巻いて、いろいろな料亭で料理ができる方がスペシャリスト。プロフェッショナルは、それに加えて料亭の経営ができる人と定義しています。つまりスペシャリストであって、戦略性があり経営ができる能力がある人をプロフェッショナルと呼んでいるのです。当時から私は、いわゆるプロの経営者とは、カルロス・ゴーンさんのように、どこに行っても、どの国に行っても結果が出せる人、すなわちグローバルな「プロフェッショナル・チェンジ・エージェント」であると定義していました。少なくとも当時、欧米企業はそういう経営者を求めていたのです。今はアジア諸国にしても、アジア的なリーダーシップのスタイルと、欧米のリーダーシップスタイルを両方使い分けられる人でないと、本当のプロにはなれません。

財部:
なるほど。

フクシマ:
日本には、グローバルなプロフェッショナル・チェンジ・エージェントは少ないと思っていました。武田薬品工業の長谷川さん(長谷川閑史社長兼会長兼CEO)がフランス人のクリストフ・ウェバー氏を次期CEO候補として招聘したのも、同社がM&Aをして、買収先のグローバルな企業を管理するにはグローバル経営を経験した人が必要と考えられたからでしょう。日本人では、それだけの規模を手がけたことがないというだけでなく、やはり最初にお話ししたような多様性を管理するスキルがないと判断されたのだと思います。日本発祥の企業であっても、グローバルビジネスで成功するためには、同社のバリューチェーンの中で、もしかしたら本社はスイス、研究機関はシカゴに置くのが良いかもしれないということを、グローバルな観点で考えられる人でなければ経営できないと考えられたのだと思います。

財部:
やはり、日本企業だけで経験を積んだ人では難しいのでしょうね。

フクシマ:
日本企業とは違ったやり方を経験した方たち、それからグローバルな組織に関わってグローバルに仕事を手がけてきた方たち、加えて、まさに最初に申し上げたように、報告する相手先もグローバルという環境で仕事をした人でなければ難しいということなのです。今、時代の要請が変わってきていますので。

財部:
ようやく日本にもそういう経営のプロが出てきましたよね。

フクシマ:
20年前に私がいないと言っていたグローバルな人材が出てきているのです。以前から日本コカコーラの社長も経験された魚谷雅彦さんのような方がもっと欲しいと思っていたのですが、以前はそういう人材が絶対的に少なかったことは事実です。(かつて日本のサラリーマン社会では)1つの会社の中で育っていく人が多く、転職市場もなかったことがその原因。他にも米GEの上席副社長を経験された藤森義明さんが、LIXILグループの代表取締役社長兼CEOに就任されていますが、外資で培った経験を日本企業にという例も、今ようやく始まったところです。日本の大手企業が外資系企業から人材を採用するということが、10年遅かったと思うのですが、一応始まっています。

財部:
事前にお送りいただいたアンケートも非常に感動的なのですが、文字で書かれたキャリアを眺めて想像されるフクシマさんの姿と、生の正直な言葉で書いていただいたお答えとの間にギャップがあります。

フクシマ:
そうですか。強い、怖い人間だと思っていらっしゃる方が多いもので。私がなぜこのようなキャリアを歩んできたかと言うと、主人と結婚したからなのです。自分で「こういうことをやろう」と開拓してハーバードやスタンフォードに行ったのではなく、主人について行って偶然、そこに機会があったからやってきたことなのです。一見、(私が)自分1人で人生を開拓してきたような美しい誤解をして下さる方もありますが、実際には二次的、いわばバイプロダクト(副産物)的なものです。

財部:
それを言える方は、なかなか日本人の女性ではいらっしゃらないですよ。

フクシマ:
主人と出会って結婚していなければ、私はこんなことをしていませんでした。本当にそうなのです。主人は「やればできるから」と、いつも背中を押してくれました。

財部:
清貧ですね。かつて日本人が持っていた良い文化をそのまま受け継がれています。

フクシマ:
そんなことはありませんが、少し古いかもしれません。母が99歳でまだ健在で、頭もしっかりしているので、いつまで経ってもまだ精神的に頼っています。99歳の母に頼ってるのはとんでもない、こちらが頼りにされなければと思いながらも、私には理想の母親でしたので、いまだに頼っています。

財部:
「人生に影響を与えた本」としてお答えになっている『若草物語』にも、お母様が出てくるわけですね。

フクシマ:
そうですね、母に子供の頃に読んでもらったので、母の影響はかなりあるかもしれません。

財部:
大学3年生の時に、スタンフォード大学で開催された日米学生会議に参加されていますが、どんなきっかけ、もしくはモチベーションで行かれたのですか?

フクシマ:
これも自分で主体的に行ったと言うよりは、二次的です。話は大阪万博以前にさかのぼりますが、両親が、早稲田大学に通っているアメリカ人女性のホストファミリーを引き受けたのです。彼女は日本語の勉強をしていて、1年間一緒に住んだのですが、その後京都で日本語教師の勉強をしつつ、英語を教えていました。私は友人と一緒に彼女のところに泊めてもらい、一緒に大阪万博に行ったのです。

財部:
大阪万博ではどの展示館に行かれたのですか。

フクシマ:
当時はまさにアメリカのアポロの月面着陸の「月の石」の時代でしたから、アメリカ館に行きました。そこで彼女が、同館にいたアメリカ人といろいろ話をしていたのです。その中に素敵な制服を着た、とても格好いいお姉さんがいて、その人に彼女が「あなたはどこの大学に行ったの?」と聞きました。するとその人は「スタンフォード」と言ったのです。それで、スタンフォードという言葉が耳に残ったのですね。

財部:
そうなんですか。

フクシマ:
そのあと、少しは英会話もやった方が良いと思い、日米会話学院に資料を取りに行った時、スタンフォード大学で日米学生会議が行われることを知りました。「あの格好いいお姉さんが行っていた大学よね」と思って資料をもらい、家でそれをテーブルの上に載せたら、母が「スタンフォードって有名な大学よね」と言ったのです。父も「これは面白そうじゃないか。渡航費用を出してあげるから行ったら」と勧めてくれました。ちょうどその時に、私の高校生の頃からの友人と会うチャンスがあり、相談したら、彼女はその前年に日本で開催された日米学生会議に参加していたのです。彼女は「資料を貸してあげるから」と言って本を貸してくれました。一応、論文を書かないといけませんでしたから。

財部:
お金を出せば行けるというものでもないですからね。

フクシマ:
はい。彼女は翌日、本を5、6冊わざわざ持ってきてくれて、それを使って論文を書きました。英語のテストはしどろもどろになりましたが、それでも受かってしまいました。ですから、自分から「ここに行くぞ」と言うわけではなく、何となく周りが言ってくれているうちにこうなってしまったのです。すべてがそういう調子です。

財部:
でも、そこで受かる実力がおありではないですか。

フクシマ:
お目こぼしで受かったのだと思います。ただその後、日米学生会議に行ってからは大変でした。なかなか発言ができなくて。私はいったん何かをやろうという時、やめようかなと必ず思うのですね。(自分には)できないかなという気がして。そんな調子で(自分に)自信が持てないのですが、そういう時にいつも背中を押してくれるのが主人です。「やってみなければわからないじゃないか」「絶対できるよ」というようなことを言ってくれて。ただ自信がないぶん、やる時は本当に全力で一生懸命になります。変に気真面目で、「そこまでやらなくてもいいのではないか」とよく言われていますが、要領がわるく心配性なのです。それでもう疲れ切って、3年前にリタイアしたはずでした。

財部:
フクシマさんが心配性だったということは、誰も想像もできないでしょう。

フクシマ:
いまだにそうです。特に「英語でスピーチを」と言われると、必ず時間内で終わるように原稿を書き、主人にチェックしてもらっています。そういう意味ではいまだに自信が持てません。

財部:
自分で言うのはおこがましいですが、私は多くの経営者を横から見ています。1年に1回とか2年に1回、取材にお邪魔することで、定点観測になることが多いのです。そういう中で、自分のことは棚に上げておきながら、「この人は成長したな」と思うことが少なくありません。能力があるから社長なのではないのです。経営者の皆さんが社長としてブラッシュアップしている姿を見ると、人間いくつになっても努力して勉強し、成長しなければ駄目だと思いますね。

フクシマ:
わかります。本当に、おっしゃる通りです。

財部:
私も心配性なのです。心配でたまらずに資料を一生懸命読みますし、取材のスタイルも、ある1つの会社を長く見ていくということも大事にしています。そうでなければ(真実が)わからなくなってしまいます。毎回毎回、時流に応じて当意即妙にレポートを行っていくのは、そう簡単にできることではありません。もちろんそういう流れも見ますが、基本的に軸をしっかり持って、ステディにやっていかないと危ないのです。

フクシマ:
そうなのですか、嬉しいです。(自分のように)心配性だと、悠々とやっていらっしゃる方がうらやましいと思うのですよ。「なぜ私はこんなに心配し、ちまちま準備しているのか」と。日本語で講演する時も、時間内に終われるように一生懸命準備していると、主人に「いいじゃないの、同じような話をすれば。なぜそんなに時間をかけているの」と時々言われます。時には時間の無駄だと思うくらい(労力を)かけている時もあるのですよね。それでも「何か新しいことを言いたい」と(財部さんも)思われますよね。

財部:
ええ、思いますね。(フクシマさんは)誠実ですね。私にとって講演は本業の1つでもあるので、毎度同じ講演では許されないと思っています。人様からお金をもらって話すわけですから。

フクシマ:
私はまだ専門としてやっているわけではないのですが、そう思います。

財部:
そうですか。最後に励まされた思いです。

フクシマ:
嬉しいです。その道でこんなに成功されていても、いまだにそういう心配をされるのですね。それこそ、どこの演壇に立たれても、いろいろなトピックについて自由にお話ができそうなのに。

財部:
いえ、そのように言っていただくことがよくあるのですが、毎回非常に苦労しています。私はグローバルな分野で言うと、新興国に強いと思われているのですが、衛生観念が少々強すぎて、新興国は非常に不得手なのです。

フクシマ:
最近、中国には行かれていますか?

財部:
ここのところ全然行っていません。私は取材先として、世間の向いている方向で半歩ぐらい先を行こうとしているので、中国は大きく後退してASEANになり…。

フクシマ:
そうすると、今はアフリカですか?

財部:
アフリカに取材に行っても、それを見たいというマーケットが日本にないのです。フクシマさんのおっしゃるように、時代の最先端ではあっても、それをテレビの企画や本にしようという国内のマーケットがありません。それがやはり日本らしいではないですか。

フクシマ:
日本らしいですね。私も15年前からグローバル人材と言い続けていましたが、マーケットがなく、そういうことが注目されるようになったのは、ここ4、5年です。その頃には(私は現役を)卒業してしまいました。

財部:
私から見たら、フクシマさんの手がけてこられたことが礎となり、やっとそういう時代が到来したという気がします。

フクシマ:
時代の先を行くと損ばかりするのですが、でも次はコーポレート・ガバナンス向上をと思っています。

財部:
そうですか。今日は長時間ありがとうございました。

(2014年4月7日 G&S Global Advisors Inc. オフィスにて/撮影 内田裕子)