大橋:
ところが、それはあまり詳しい本ではありませんでした。それで、岡崎さんのところに何回も通ったのですが、そのうちゼミの話はあまりしなくなりました。ある時、私は「全日空は来年、採用試験があるのですか」と岡崎さんに聞きました。すると、「来年はやろうと思うが、何名を取るか分からない」と言う。「受けてもいいですか」と、私が単刀直入に切り出すと、「自分の実力で入るならどうぞ。私が紹介状を書いてあげよう」と、岡崎さんは話してくれました。
財部:
そういう縁で、大橋さんは全日空に入社されたのですね。
大橋:
はい。でも父は、ブリジストンの前身である日本足袋という会社に入り、創業者の石橋正二郎さんの秘書をしていたことがあるので、「ブリジストンを受けろ」と言いました。当時はまだ石橋さんがご存命でしたが、「ブリジストンではなく、全日空に行きたい」と言う私を怒りつつも、父は許してくれたのです。私はそれまで、全日空の「ゼ」の字も知らず、飛行機の「ヒ」の字も知りませんでした。同様に、日本航空がどれだけ大きくて、全日空がどれだけ小さい会社なのかということも、あまり知らなかった。ただ全日空は、規模は小さくても、非常に活気がある立派な会社だと思っていました。実際に、そういう社風があったのです。
財部:
なるほど。
大橋:
自分の人生を振り返ってみると、昔の出会いが、ある時に非常に役立ったことが多いのです。最初に石川先生のゼミを取らなければ、私は卒論で日中貿易をテーマにしなかっただろうし、日中貿易を選ぼうとしたのも、やはり満州があったから。満州育ちで、父も雑貨商の仕事をしていたので日中貿易論を取ったのですが、これも何かの縁でしょう。全日空への入社にしても、最初は岡崎さんの存在をまったく知りませんでした。結局、日中貿易論を卒論のテーマにしたから全日空に入社することになったわけで、そういう縁が、どこかで繋がっているのですね。
リーダーは「聡明才弁」よりも「深沈厚重」を旨とせよ
財部:
取材前にご回答いただいたアンケート(経営者の素顔)の中で、大橋さんは「尊敬する人物」として、岡崎さんと石川先生のお2人の名前を挙げられていますよね。
大橋:
(尊敬する人物は)松下幸之助さんなど、他にもいます。私が好きな経営者もたくさんいますが、私が直に接した人の中で、自分の人生の道を選ぶうえで一番決定的な選択肢を与えてくれたのは、この2人だけなのです。
財部:
ちなみに、全日空に入られてから、岡崎さんから学ばれたことは多いのですか。
大橋:
岡崎さんは日銀で育ち、上海・華興商業銀行の理事などを務めて帰国したあと、池貝鉄鋼、丸善石油を経て全日空に入社されるなど、堅い仕事をしておられました。私が察する中では、池貝鉄鋼で大きな労働争議が起こり、組合との交渉で従業員を解雇しなければならない状況に陥った時、岡崎さんは「組合と徹底的に話す。誰が来てもいい、大衆団交でもいい、話せばわかる」という方針で、とことん話したらしいのです。そういう経験を岡崎さんはお持ちなんですね。
財部:
岡崎さんは、厳しい労働争議の中で、企業再建に取り組まれたそうですね。
大橋:
私は、ニューヨーク支店長を終えて日本に戻ってから人事労務を担当したのですが、乗員組合と交渉している最中に、岡崎さんに文句を言ったことがあるんです。「向こうは何百人という組合員がはちまきを巻き、夜を徹して時間も関係なしに大衆団交を行っている。それを岡崎さんが奨励したといいますが、どうかと思います」と。でも岡崎さんは、「確かに僕がやったことだが、これは正しいと思っている。やはり人の話はよく聞くべきで、最後まで聞いたら相手もわかってくれる」の一点張りでした。
財部:
そうなんですか
大橋:
実際、かつて岡崎さんが大衆団交を認めたことが、組合の勢力拡大につながったという人もいます。今から考えると、そういう面もあるかもしれませんが、私の経験からすると、大衆団交は別ですが、人の話をよく聞くという姿勢を見せるのは正しかったと思います。
財部:
事前にいただいた資料の中で非常に印象深かったのですが、大橋さんが講演などでリーダーシップの話をされる際、「人の話はきちんと聞くべきだ」ということを強調されていますね。
大橋:
はい。
財部:
今の話はまさにそこに通じるのですが、大橋さんは、人の資質は「深沈厚重」(しんちんこうじゅう/どっしりと落ち着いて深みがある)が第1等で、「磊落豪遊」(らいらくごうゆう/積極的で細事にこだわらない)が第2等、そして「聡明才弁」(そうめいさいべん/頭が切れて弁が立つ)が第3等だとおっしゃっています。私はこういう順位付けを、初めて伺いました。
大橋:
それは中国・明代の儒学者である呂新吾の『呻吟語』(しんぎんご)という、私が大好きな書物の中に出てくる言葉です。私が社長になって一番感じたのは、若い人は非常に優秀で、なおかつ物事を理路整然と話すことができるのですが、何か物事を決めようと思っても、なかなか決められない。つまり頭はいいのですが、肝が据わっていないせいか、物事を決断する能力が非常に弱いのです。
財部:
若い人たちの決断力が弱いのはなぜなのでしょうか。
大橋:
私は、これは教育のせいではないかと思います。たとえば学校教育では、「(この中に)正解が1つある。それはどれか」と言って選ばせますね。ところが昔の人は、もちろん正解はどれかを一所生懸命に探しはしても、「どれが正解かわからない」、「正解は何もないかもしれない」、あるいは「全部正解かもしれないが、その中で1番正しいものはどれか」とも考えた。今の入試や入社試験では、若い人たちに「正解はどれか」を選ばせているわけです。
財部:
そうですね。
大橋:
ところが会社では、「それが正解だ」とはっきり言えるものはあまりありません。もちろん間違いではないものを選択することが1番ですが、この世の中では何が間違いで何が正しいのかが、よくわからないことが多い。だから自分で正解を決め、自ら選択したものを、間違っていない方向に導いていくことが、リーダーのリーダーたるゆえんなのです。そういうことができるようになるには「聡明才弁」だけでは駄目で、腹の据わった「深沈厚重」さが必要です。その意味で、『呻吟語』は素晴らしい本だと私は思いますね。
財部:
そういえば、大橋さんの故郷である岡山県からは、幕末に山田方谷(やまだほうこく)という有名な儒学者が出ていますね。
大橋:
実は、山田方谷さんに関して1つエピソードがあるのです。私たちが大陸から引き揚げてきた時、住む場所がなかったものですから、母の叔父の家の離れを借りて暮らしていました。そこに、真っ白な髭を蓄えた白髪の老人が、夜な夜な訪ねてきたのです。「あの人は誰か」と母に聞くと、「有名な山田方谷さんの曾孫で、山田準さんです」ということでした。私の母の叔父の家は、備中松山藩の板倉家の家老を代々務めていたのですが、板倉公(板倉勝静)から元締役兼吟味役の要職を任されたのが、山田方谷さんなのです。
財部:
ほお。
大橋:
山田方谷さんは、備中松山藩が10万両の負債を抱えた際、わずか7年間で借金を返済したうえに、10万両の財産を貯えたことで有名ですが、私は会社に入ってから彼のことをすっかり忘れていました。
財部:
有名な、備中松山藩の藩政改革のお話ですね。
大橋:
ふたたび山田方谷さんの話が出たのは、私が社長になってからです。以前、東京全日空ホテルにあった『ローズルーム』というフランス料理店で、社外の方3、4人一緒に食事をした時のことです。そのうちの1人が、「小泉改革の一番素晴らしいところは、長岡藩の『米百俵』の精神に学べと言ったことだ」と話しました。するともう1人の方が、「山田方谷という、もっと素晴らしい人がいる」と言ったのです。その時、昔の記憶が蘇ったのです。